地域コミュニティーの変化のひとつ

学縁祭の川北さんのお話は、単純に捉えると、地域活動なんだけど、そもそも、なんで今更、そう言うことを声を大きくしなければならないのか?
そこで、思ったのが、葬祭事業。
子どものころは、今のような葬祭ビジネスがなかった。
母方の祖父、蘇祖父 父方の祖父母の葬儀を経験してきた。
葬式ができると地域の人たちが、集まり、いろんな準備をしていた。先日も実家を整理していたら、母のクリーニング仕立ての割烹着が出てきた。いつでも行けるように準備していたんだろうなぁ。と、思い出した。
職場でもその地域で葬式ができると年配の男性社員の方々も仕事より、そちらを優先して、休みを取って手伝っていた。
そうやってみんなが集まり、役割分担して見送ったのだろう。女性陣は、炊き出し等でしょうね。男性陣は、家の片付けとか、当日の受付等を担当されていたような記憶がある。最後のお別れの食事をしたのを思い出した。
また、地域には焼き場があって、焼き番なるものがあった。父が焼き番での体験談を話してくれたのをなんとなく覚えている。まぁ。のんべぇの集まりだったので、そういう関係の話だったと思う。そうやって、気ごころ知れた仲間ができていたのだろう。(良し悪しは、別として)この焼き場も、集約されて高松市の公園という位置づけで、なんどか行った。
ここにきて、3人の喪主をして見送った。先に述べたようなその地域での見送りはない。葬祭業者にお願いすると、それぞれのやり方で基本的な葬儀はかわらないけど、個性はあった。
要するになにが言いたいかと言うと、昔は、葬祭ビジネスのようなサービスがなかったので、自分たちでまかない、相談して見送ってきた。人が集まれば、いろんな話が出るだろう。そうやって、コミュニケーションができたのではないかと思う。
しかしながら、現在は便利になって、お金を払えば、ちゃんとやってくれる。むしろ、昔に戻すのは厳しい。
つまり、昔のように集まることがなくなった分、コミュニケーションは取りにくくなり、意図して集まらないと意思決定ができない。意図して集まってまで、意思決定しなければならないのか?そんな空気感を感じられずにはいられない。
我がマンションのコミュニティについても、同じことが言える。修繕などの維持管理は、管理組合という組織をつくって、そこに外部からの管理業者が入って、代行してくれる。自治会でやっているゴミ出しに関することも受け持ってもらえる。もちろんお金を払ってだ。
要するに代行という意味では、葬祭ビジネスもマンションの管理組合も同じだろう。煩わしく感じることを第三者にお願いして代行してもらう。
そういう意識の中で、世の中は動いている。そういうことを考慮して、自治会というものを考えなくてはならないのではないかと感じるのである。
自治会に加入するとか、しないとか。そこを議論しても、平行線は交わらないような気がしてる。どういう立場であろうが、「自分たちの暮らしと命を守る」。これをベースに役割分担的に考えて、運営していくテクニックがこれからの世の中に必要になってくるのではないかと、感じているのである。
そういう考え方で、これからのことを考えていこうと思う。
「自分たちの暮らしと命を守る」
マンションを例に考えると、暮らしに関しては、管理組合の運営を利用すればいいように思う。さらに「命を守る」という視点では、もう少し、踏み込んだ関係性が必要になってくるのではないかと思っている。

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