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📄市政報告014&123号 - 四條畷市?四条畷市?「條」と「条」が混在する理由 -

四條畷市 シジョウナワテシ四条畷市 シジョウナワテシの漢字はどちらが正解なのかと、今も聞かれることがあります。
その答えは過去の市政報告に書いていますので、そのまま引用させて頂きます。

014号より

「條と条の混在」について

まず、平成15年7月29日に田中市長より、大阪府太田知事宛に提出された文章(以下、要望書)があります。それを下線も含め原文のまま引用します。

「四條畷市」の市名表記について(要望) 
平素から、市政の運営にご理解とご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。
本市は、昭和7年に甲可村から四條畷村に改称され、その後、昭和22年に町制施行、昭和45年に市制施行を経て現在に至っておりますが、その間、南北朝時代から受け継がれた伝統的な地名である「四條畷」を市の名称として用いてきているところであります。
大阪府におかれましては、本市名称の表記に関し、出来るだけ当用漢字を用いる観点から、従前より「四条畷」との表記を用いられているところであり、大阪府の各種例規や府立の保健所、高等学校、警察署などの施設名においては、「四条畷」と表記されております。
しかしながら、地名につきましては固有名詞であり、その表記にあたっては、その地域の有する歴史や伝統を踏まえたものとすることが基本であると考えます。
本市においては、四條畷村設置以来、一貫して伝統ある「四條畷」との表記を用いてきており、多くの市民に慣れ親しまれ、定着しているところであります。
つきましては、以上のような状況をご賢察頂き、大阪府における本市の名称にかかる表記につきまして、「四條畷」を使用頂きますよう、要望いたします。

以上の要望書に対し、大阪府では「四条畷市等の表記の変更に係る関係条例の整備に関する条例」 を制定し、平成16年4月1日より「條」の表記を用いることになりました。それにより、 府立各施設の《条》が《條》に変更されました。
但し、JRについては駅名の変更はされておりません。


次に、私と同じ会派の扇谷議員が議員になる前に、この件について調べられた文章を一部引用します。

・・・聞くところによると、三牧町長(当時)から大阪府佐藤知事(当時)宛に提出された四條畷町を四條畷市とすることについての申請文章では《條》の文字が使われていたようです。
ところが、昭和45年6月3日付けの 「大阪府公報」大阪府公告第112 号には、大阪府佐藤知事名で「・・・・・昭和45年7月1日から北河内郡四条畷町を四条畷市とする。」 と、《 条 》の文字が記載されており、 更に不思議なことには、昭和45年6月25日付け 「官報」自治省告示第116 号には、 自治大臣秋田大助 (当時)名で「・・・・・ 大阪府北河内郡四條畷町を四條畷市とする旨、大阪府知事から届け出があった。・・・・・昭和45年7月1日からその効力を生じるものとする。」と《 條 》の文字が記載されているのです。
大阪府が四條畷市の申請を受理し、自治省にはそのまま届け出し、大阪府公報には四条畷市と載せたことが《條》と《条》が混在することの始まりと推測されます。

市長の提出した要望書で大阪府の対応が変わった点や扇谷議員の調べた理由で大筋は正しいと思いますが、要望書の一部内容に疑問が残ります。 ≪南北朝時代から受け継がれた伝統的な地名である「四條畷」を市の名称として用いてきている≫とありますが、市のHPに市名の由来は「南北朝期の古戦場である四条縄手」とあります。「條」も違えば「畷」すら違う漢字で書かれており、この点だけを見ますと間違えた内容が大阪府へ提出された様に思います。

また、昭和6年四條畷村に改称した理由には「・・・歴史上有名なる四條畷神社を中心とする最も意義有る四條畷村と改称せんとするものなり」(四條畷市史 第1巻)とあり、四條畷の地名は、四條畷神社名からが正しいと思われます。

甲可村、四條畷村期の庁舎
大正4年〜昭和39年

続編

次の記事も読んで頂ければ、「條」と「条」が混在する理由もより明らかになります。

市政報告の画像

vol.014の頃は輪転機をリースし、折り機で3つ折りにし、原稿を作るより紙からチラシにする手間の方に時間がかかっていました。
しかも、ここにアップしているデータはカラーですが、現物は一色刷りですので写真は映えません。

今は原稿を作ってプリントパックにデータを送ればカラーでチラシが届きます。それでも、輪転機のリース代や用紙代等を考えれば安価に仕上がっています。

2008年8月1日発行
2018年3月1日発行


データ

PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。

<了>

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