今回は、ペストがヨーロッパに与えた影響について書く。

ペスト（黒死病とも言う）は、大きく数えて、歴史上３度流行した。

第１パンデミック：エジプトから地中海沿岸一帯へ
第２パンデミック：おそらく中国から中央アジア・地中海・ヨーロッパへ
第３パンデミック：中国から世界各地（特にインドとアメリカ西海岸）へ

「中国から」。第２パンデミックに関して諸説あったのだが、2010年に、国際的な研究チームがこの説を発表した。世界各地から収集した17株のペスト菌の遺伝子配列から、共通祖先が中国にあり、シルクロードを通じて拡がった可能性が高いとわかったそうだ。感染経路も、前は海説が有力だったと思う。

初回から２回目、人の力でどうにかできたのではなく、おそらく疫学的なバランスが成立しておさまり（自然）、また起こった。

ヨーロッパにおけるペストの大流行は、1347年からはじまり、終息までに約５年かかった。とにかく、打つ手が皆無だった。ヨーロッパ人口の３分の１が命を落とした、ともいわれている。

感染者の多くは、症状が出てから３日以内に死亡していたらしい。あまりにも早く大勢が死んでいったため、人々はほぼ、何が起きているのか把握できていなかったし、どう対処すべきかもまともに考えられていなかった。ペスト菌がげっ歯類のノミによって媒介されることも、当時の人々は、わかっていなかった。

これだけの大惨事である。当然、社会を一変させた。具体的には、社会構造・医学・宗教・女性の権利・文化・経済。少なくとも、これだけの物事を変えた。

封建制度が崩壊した

ペスト以前は封建制度だった。王→貴族→商人→農民。ペストでこれが崩壊した。

農奴の大量死により、労働力は大幅に減少。突如、農民が希少なものに。当然、その重要性は高まった。これは、生き残った人々にとっては、賃金やより良い生活を求めて交渉できることを意味した（自分たちで育てた作物を食べれるだけで、報酬など得れていなかった）。後々、必要最低限以外の物品～贅沢品が買えるようになった。下層階級だった人々の生活は、結果的に、改善された。

裕福な人々は、あの手この手で、農奴を以前のような状態に戻そうとしたという。1358年フランスの農民反乱、1378年ギルド反乱、1381年ロンドンの農民反乱などは、そのことへの反発だった。もう、元には戻らなかった。

興味深い余談なのだが
エリート層は、以前よりも上質な衣服を身につけるようになった貧困層と、差別化をはかりたがった。そうして、彼ら彼女らは、より贅沢な衣服・より華美な装飾品を欲するようになった。ペスト以降、ヨーロッパのファッションは、派手になった。エキセントリックな例を見てほしい。

教会の権威が揺らいだ

主に下層階級の人々が、修道院や教会へ、救済を求めて集まった。

聖なる場所へ行ってもかかった。
聖職者でもかかった。

最初の内こそ、ペストで亡くなった人々と、信仰心の欠如を結びつけていたが（理由を説明しようと試みたが）、そう述べていた聖職者たち自身が、亡くなっていった。権威が揺らいだのは、言うまでもないだろう。

宗教関連だけではなかった。理論家たちの権威も（今で言うとどんな人たちなのかイメージしてみてほしい）、軒並み失墜した。

余談
埋葬が追いつかず。人々は、遺体が腐敗していく様を目の当たりにした。腸にたまったガスが音を発した。肉体がしぼんで爪が伸びたように見えた。不死者（アンデッド）。この時代にヨーロッパでこの概念が出まわったのは、ペスト関係からだと思われる。

医者の意識が変わった

ロング・コート、ゴーグル、革手袋……とりわけ、マスクは異様だった。どれだけ事態を理解できていなかったかが、この姿によく表われている。ハーブの香りを仕込んでいたらしいが（遺体の匂いがきつかったとかだろうか）、なにもクチバシ型にしなくとも……。霊的な力の表現か？大衆の不安が増すだけだったろう。

それまでの医者たちは、ヒポクラテスやアリストテレスの医学知識にもとづいて、活動していた。つまり、紀元前450年頃～350年頃の知識にもとづいてだ。相当長い間、進歩していなかったことになる。偉大な先人にならうというような意識で、悪気はなかったのかもしれない。

そういった伝統的な理解からペストを治療しても、患者たちは驚くべき速さで死亡していった。処方は全く効果がなかった。

過去の知識を現在の状況に適応せずに受け入れるという、それまでのやり方に、自ら疑問を抱きはじめた。

迫害が起こった（誰かのせいにしたがった）

人間全体の罪に対する神の怒りーーこのような思想だと、特に問題はないのだが。そうでない人々がいた。

ユダヤ人に白羽の矢が立てられた。いつもユダヤ人だ。ユダヤ教の魔術などと言われた。特に悪質なものだと、ユダヤ人がキリスト教徒の数を減らそうと井戸に毒を入れた結果、などと言われた。

ドイツ・オーストリア・フランスのユダヤ人コミュニティが、破壊された。

他の迷信には
鞭打ちをすれば、罪が減り徳が積め、ペストにかからないというものがあった。各地で行われ、ローマ教皇にも制御できないほどだった。

女性の地位が向上した

ペスト後、女性は、前よりも高い地位を獲得した。

たとえば、下層階級の女性が、誰と結婚するかを決めていたのは、父親ではなく領主だった。領主に服従する父親のさらに支配下、それが娘という存在だった。

聖母マリア崇拝によって、女性のイメージは、いくらか向上してはいたが。それでもやはり、“世界に罪をもたらしたイヴの子孫”。本質的には罪深いのだ。そのことは強調され続けた。

男性を含む多くが死亡したため、女性にも、ビジネスをする機会がおとずれた。土地や店を所有できるようになった。事業を営めるようになった。（夫や息子がしていた事業を受け継ぐ流れなど）配偶者を選ぶ自由も増した。

※女性の権利に関しては、貴族と教会が状況を元に戻そうとし、また逆行してしまった。

文化にも影響した

多くの芸術家たちが、ペストが社会に与えた恐怖を記録した。死に焦点を当てた作品が、多発した。当時の悲観主義は、建築にも影響したといわれている。

一部の人たちは、恐怖のあまり、広場などで半狂乱になって踊り続けたそうだ。この集団ヒステリーを「死の舞踏」と呼んだ。芸術家たちから『死の舞踏』という作品が出るようになるまで、100年ほどかかっている。混乱していてそれどころではなかった・不謹慎で描けなかったなどかもしれない。

以下は、ボッカチオ『デカメロン』の一部

「……それは天体の影響に因るものか、或いは私どもの悪行のために神の正しい怒りが人間の上に罰として下されたものか、いずれにせよ、無数の聖霊を滅ぼした後、休止することなく、次から次へと蔓延して、西方の国へも伝染してきた。それに対しては、あらゆる人間の知恵や見通しも役立たず、そのために指命された役人たちが町から多くの汚物を掃除したり、すべての病人の町に入るのを禁止したり、保健のため各種の予防法が講じられたりしても、或いは、信心ぶかい人たちが恭々しく幾度も神に祈りを捧げても、行列を作ったり何かして、いろいろ手段が尽くされても、少しも役に立たず、……」

この頃、「メメント・モリ」だらけだったようだ。

世界経済へも影響した

ペストの蔓延をおさえようとした各国は、輸入を大幅に制限した。それは、貿易相手国の経済のみならず、自国の経済も悪化させた。

ペストは、田舎よりも都市で深刻だった。多くの都市が、ゴースト・タウン化した。畑も廃れたが、商業も麻痺した。

描かれた年ではなく、タイトルが、1720年のマルセイユか。ペストの脅威は、完全に終わっていなかったようだ。調べてみると、1665年にロンドンでまた、大勢亡くなっていたり。何度も単発で再発していたようだ。

現代の私たちでも、新型コロナウイルスのパンデミックを経験する前と後では、さまざまなことが変わったのだから、中世での影響は、もっと巨大だったんだろうなと思う。