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正解主義を手放したいと思う日々

こんにちは!
最近自分の中で引っかかっている言葉があります。

正解主義

私は、長年この主義を大事に持ち歩いていました。
思い返せば、子どもの頃から親や先生の正解を常に探していて、行動、発言をしていました。子どもの頃の方がその傾向はとても強かったと思います。それが正しいと思っていたし、そうすれば幸せに過ごせると思っていました。学校の教科で言うと、正解が明確でない国語よりも正解が一つである数学の方が好きでした。

でも、案の定そのまま大人になると「自分で考える力」が全然育っていなくて苦労することがたくさんありました。
言われたことは、正確にこなすことはできるが、新しいものを生み出したり、創造性を求められるものはとても苦手です。自分の意見を言うことにもためらいがあるし、人前でのプレゼンも緊張しすぎて頭が真っ白になってしまいます。

日本の教育は正解主義なんて言われたりするみたいですが、ばっちりこのレールに乗ってきたんだなと痛感しました。
正解を求めて、いろんな情報を集めたり、本を読んだりしても自分の求める正解はどこにも載っていなくて、また別のものに正解を求めにいく。いつまで経っても正解が見つからないからいつまで経っても満足いかない。そういう意味では人一倍努力はしてきたと思いますが、振り返ると何を得られたんだろうと虚無感にかられる。
他人からはよく「頑張り屋さん」と言われます。

しかし、子どもと接していると「こうなって欲しい」とか「これはやめて欲しい」とか思っていてもことごとく違う方向に行ってしまう。その度に「自分の伝え方が悪かったのかな」とか「やり方が違っていたのかな」なんて思っていたけど、そういうことではない。

昔は、「じゃあどうすればいいのか」とまた新しい情報を求めたりしていたけど、最近は「あ〜また正解主義がでちゃったな」と少し俯瞰して考えれるようになってきた。
正解主義を少しずつ手放せるようになってきたように思う。
そして、手放すととても心が楽になる。そして、余裕が生まれ、子どもと笑顔で接することができる。
まだまだ、完全に手放せていないけど。
この変化は子育てだけでなく仕事にも活かせるし、自分の人生を変えてくれる。(と今は信じている)
実際今は昔よりも心穏やかに過ごせています。

情報過多のこのご時世、自分で選択する力が求められる時代。外の世界に正解はなく、自分の中で正解を育てていくことが必要となる。
自身はもちろんのことこれからこの時代を生きていく子どもたちにも伝えていけたらいいなと思います。

お読みいただきありがとうございました!!


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