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傷を肩代わりしてくれたもの|エッセイ

※この記事は虐待の話などがでます。苦手な方は読まないようにお願いします。

中学の3年間、私は不登校児だった。学校にも家にも居場所がなく、ネットや創作の中に現実逃避していた。
よく読んでいたのは、血が出て来たり簡単に人が死んでしまったりする残酷なお話だ。読むのも書くのも好きだったし、血のついたキャラクターが好きでぬいぐるみを集めたりもしていた。

その中でも特に好きだったのは、作家の日日日さんの書いた「ちーちゃんは悠久の向こう」という作品だった。親が宗教にハマりネグレクトされている男子高校生のモンちゃんが主人公で、幼馴染のちーちゃんには虐待されていることを黙っている。ちーちゃんはオカルトが大好きで、主人公とのすれ違いからどんどんのめり込んで行き……というストーリーだ。
自分と似たような境遇の主人公に感情移入していたのもあるが、他のキャラクターも居そうで居ない感じがよかった。
私の大好きな本だったが、同じ宗教2世の知人に貸したらビシャビシャにされ、ヨレヨレになって返ってきた。本は絶版で、今ではもう買えない。

母親の都合で2回ほど引っ越し、仲の良かった友人と離れ離れになった上、宗教2世同士仲良くしろと適当な同い年をあてがわれたのがすごく不快だったのを覚えている。少しは仲良くなろうと、好きな本を読み合いっこしようと貸した本がヨレヨレのボロボロにされて返されて、どうしても許せなくてその後は避けた。
引っ越した先の人間とどうしても合わなかったのも、引きこもりや不登校になった原因の1つかもしれない。

そしてどんどん創作にのめり込んで行った。
人を傷つけるなんてとてもできないような人間だったが、人が傷ついたり死んでしまったりするようなものをたくさん読んで書いた。
中二病だったし、そうしないと立ってられなかった。家にも学校にも居場所がないなんて耐えられなかった。

創作に出てくる血や傷が、心の傷の絆創膏のようだった。
壁が真っ赤になるほど親にビンタされながら、毛布の上から本気で蹴られながら、ブチブチと抜ける髪の音を聞きながら、創作の世界に現実逃避した。
ああ、モンちゃんもコウモリ傘で思い切り殴られてたな…なんて、同じような思いをしている自分をなんだか誇らしくさえ思った。

その後友人ができ、高校からはちゃんと通学し、立ち直っていく過程で残酷なものは読まなくなっていったが、今でもあれは必要だったと思う。傷だらけの子供は自分が傷だらけだと気付けない。同じ思いをしている創作のキャラクターを通して、やっと「可哀想だ」「なんて酷いんだ」と客観視できる。

私の心の傷はきっと、あのヨレヨレの本の中に閉じ込めてある。人に傷つけられた分傷つけてやろうという衝動も、本が引き受けてくれた。
誰かを傷つけてやろうなんて思わないし、なんなら採血すら怖くて目を逸らしてしまう。

あの本達は実家に置いてきて、きっともう捨てられてしまったけれど、今でも私の心の奥底にある。あのヨレヨレの本が、私を今でも支えてくれている。

追記(2024年2月6日)
ちーちゃんは悠久の向こうを本棚の奥からみつけた。やっぱりヨレヨレだったが、ちゃんと引越し先まで持ってきて大切に残していたようだ。
少しパラパラと読んでみたが、もう今では全く刺さらない。大人になったんだ。傷口を覆う絆創膏はもういらない。

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