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ゴジラ~初代の感想~

1954年公開(日本)
監督、本多猪四郎 脚本、村田武雄・本多猪四郎
原作、香山滋
キャスト、宝田明 河内桃子 平田昭彦


ネタバレあり


水爆実験により古代生物ゴジラが地上へ現れ破壊の限りをつくす!


先日、「ゴジラ-1.0」を観たことで、初代ゴジラを改めて観たくなりました。
いろいろ書いちゃったんですが、戦後すぐのゴジラ、という設定は、そういう気持ちにさせる意味でも意義深い設定だと思います。

では初代の感想。
この作品はやはり映画史に残る名作なのだと実感しました。

70年も前の作品なのに、特撮や人間ドラマが今見ても遜色ないところがすごいです。
今を生きる私が、今の気持ちで共感して感動ができる作品でした。

ゴジラは恐ろしく、またとても悲しい生き物でした。

年を追うごとにたくましい怪獣王になっていくゴジラさんですが、初代は本当に無垢な生命体という感じで、死んでいく様子は哀れを誘います。

ただのっそりのっそりと海底を歩いていただけで、オキシジェンデストロイヤーをくらわせられる。
苦しみもがき、水上に顔を出し、最後の叫び声をあげ、沈んでいく。海底で横たわったゴジラの姿は、恐ろしい怪獣ではない。ただの弱った動物だ。そのゴジラが、静かに骨に変わる。
そこで描かれているのは、怪獣退治ではありません。無垢なる命が失われていく様です。

物悲しい音楽は、芹沢博士の死だけではなく、ゴジラの死も悼んでいる。

望んでこうなったわけではない。水爆にて安住の地を追い出され、体を変えられてしまった動物。そこへの哀れと、人間の罪がしっかりと描かれています。

こんなゴジラを一人で死なせるなんてことはとてもできない。
だから人間側にも、ゴジラと一緒にあちら側に行ってくれるキャラクターを作ったのではないでしょうか。
芹沢にはもしかしたら、どちらも戦争や核兵器によって元には戻らぬ体にされ、人生が変わってしまったシンパシーというのもあったかもしれません。

それと同時に、初代ゴジラは怖かったです。

口から何かを吐いたら、周りが静かに火の海に代わるのが本当に恐ろしいです。
演出が静かだから余計に絶望や恐怖を感じさせます。
この独特の怖さは、白黒ならではにも思いました。

ゴジラ-1.0の山崎貴監督は、初代ゴジラが怖くて仕方がなかったそうです(パンフレットによる)。
だから、ゴジラには恐怖の権化であってほしいと。自分が作るならそういうゴジラを作りたいと。
たしかにこれは怖い。幼少期にこんなものを見せられたらマイゴジくんは恐怖の権化になってしまうわ。

地下に入ったり逃げ遅れて隠れたり。
その周りを歩き回るゴジラからはホラー映画のテイストも感じます。

逃げ遅れて抱き合う母子。母親が「お父さまの所に行くのよ」というシーン。
直接的に死ぬシーンを描かなくてもじゅうぶんに伝わってきます。

初代の魅力は、この恐怖と哀れさが混在して割り切れない点だと思います。
ゴジラがただただ恐ろしいだけだったら、数多あるモンスター映画のやられ役として映画史に流れていったでしょう。

ゴジラには哀愁がある。死んでいく姿に思わず可哀想だ、と思わせるものがある。だから甦らされ、ヒーローという名誉を与えられ、父になり、神となり、ずっと愛されるキャラクターとなったのだと思います(シンゴジラやゴジラ-1.0で哀れさもなくヒーロー的でもないゴジラが描けたのは、長い年月の末やっと、初代のゴジラの無念さが浄化され切ったということなのかもしれません。ある意味良い傾向なのかも。)。

ただ怖いだけのゴジラも、たまにならよいですけどね。スタンダードなゴジラ像としては、やはり悲しさというのは忘れたくないポイントです。

ゴジラの試写会を観た関係者も、可哀想だと思い泣いた人が複数いたと記録があります。
監督自身ですら、殺さないといけないが、殺したくなかったと。
観客から「ゴジラが可哀想」と苦情が来たとも。

この悲劇性があるからこそ、水爆への警鐘となるのですが。

人々を恐怖のどん底に落とす加害者でありながら、人類の被害者でもある。それがゴジラというキャラクターの最大の魅力といえます。

人間ドラマも、70年前の作品なのにまったくチープではなく飽きずに見られました。

感心したのは、女性議員が出てきたり、恵美子が自分の意志で恋人を選んでいるところ。

ヒロインの恵美子は、生物学の権威・山根博士の一人娘です。
博士には可愛がっている弟子の芹沢博士がいます。
周囲はみんな、恵美子と芹沢は結婚し婿養子となると思っています。

しかし、恵美子には尾形という別の恋人がいます。
女性が自分で好きな相手を選択しています。
尾形からは、「芹沢も戦争で顔に傷を受けなければ……」と言いますが、恵美子はこれをはっきり否定します。

「芹沢さんにはずっとお兄さんのように甘えてきた。その気持ちは今もちっとも変わっていないのよ」


顔に傷があろうがなかろうが芹沢を人間として慕う気持ちに変わりはない。そして、そのうえで尾形を想う気持ちも。

また、ゴジラの情報を伏せておくべきという山根議員に異を唱えるのは女性議員です。
かなり強気です。当時の女性もかなり強さを持っていたのがわかる貴重な資料ともいえる作品です。

戦後9年しか経っていないころの作品です。
ゴジラが先進的なお話だったのか、それとも、後世が思うよりずっと、当時の女性も自立的だったのでしょうか。
少なくとも初代ゴジラという作品は、女性をしっかりと描こうとしている姿勢があり好感が持てます。

芹沢博士と恵美子の関係について。

よく解説で「元婚約関係」と紹介されているのですが、これは公式なのでしょうか?
映画を見る限りでは、周りが勝手にそう思っている、当然の成り行きとしてそうなるだろうと思われている、というだけに見えます。
でなければ、もう少し尾形との関係を後ろめたく感じそうなものです。

芹沢博士はきっと恵美子さんが好きだったのでしょう。
でも、自分が絶対に彼女と結婚できるとは思っていない。別に約束があるわけでもないし。こんな顔だし。彼女がその気なら別だけど、こちらから気持ちを伝えるつもりもない。
尾形と付き合っているのは終盤まで気づかずにいた? いい感じなのは察していた?

オキシジェンデストロイヤーの研究を、めっちゃ無邪気に恵美子に見せるわけですが、もし恋人がいると知っていたら、こういうことするかな?

知らなかったんじゃないかな? 

たぶん、恵美子にだけ話した秘密が尾形に伝わっていた時にざわっとなり。尾形の傷を手当てする彼女を見て完璧に察した。という感じではないだろうか。
死に際には察していたのは間違いないだろう。だから、尾形に「幸福に暮らせよ」と言った。尾形もその思いを察したから、恵美子にその言葉を伝えた。切ないね。

そして調べて思い出しました。
「ゴジラVSデストロイア」だと恵美子が独身、だと?
芹沢の想いはどうしたんだよっ。

と、思いましたが。

「幸福に暮らせよ」は、芹沢の想いが初めて恵美子に届いた瞬間だったのではないだろうか。
恵美子が芹沢の想いと、今まで気づかないようにしていたその想いと初めて本気で向き合った。
だから尾形を選びきれなかった。
芹沢の想いを捨てることができなかったから、生涯独身となったのかもしれません。
でも、独身だからって幸福でないとはならない。きっと、芹沢の遺言を胸に、自ら幸せをつかみながら生きてきたに違いありません。

その他。順番に。

ゴジラの鳴き声と足音が鳴りながらオープニングロールが流れます。まだ登場しない得体のしれない怪獣の存在を感じさせます。

大戸島。
ゴジラという言い伝えの生き物のお話と、現代の生物学がクロスするところはロマンを感じます。

山根博士によるゴジラの説明。

「度重なる水爆実験によって安住の地を追い出された」

力強く強調して語る山根博士。
生物学者としての愛を感じます。観客にもゴジラの境遇が提示されます。

この博士、最初から最後までゴジラを生物として気にし続ける唯一のキャラクターです。
マッドサイエンティストに片足ツッコんでいますが(恵美子からも「お父さまはおかしくなってしまった」と泣かれる)、こういうキャラクターがいるのもあり、ゴジラという生き物の命についても我々観客は考えさせられます。

「我々に覆いかぶさっている水爆そのものではないですか」

今では言えないような直接的な表現でドキッとします。

「その水爆を受けて生きている生命の神秘を何故追求しようとしない」

博士の気持ちもわかります。

ゴジラが古代から命を紡いできた尊い生命であり、人間による水爆実験がなければ静かに暮らしていられたことは忘れてはいけないことです。たとえ屠る必要があるのだとしても。

また、山根博士がゴジラの水爆の被害を受けながらいきながらえた生命を研究しようと言っていたのは、またゴジラが出てきた時の対策の為もあるでしょう。水爆をくらって生きていたゴジラを死なせる兵器などこの世にないと。

ゴジラを殺したくない山根博士。
しかし、その想いとは裏腹に、ゴジラは地上に侵攻し、街を壊していきます。

どこへ行ったらいいかもわからず、歩き続けるゴジラには悲しみを感じます。
ゆっくりのそのそ歩く感じが、無垢な動物っぽくて素敵です。
怖いけどどこか可愛さもあって、だから悲しい。

この話の通じなさそうな、より無垢な動物っぽさは初代ならではかもしれません。
ここには悪意などない。住処を求め歩き、攻撃されたから攻撃をする。ただただ生きたいという純真な気持ちしかない。
平成のゴジラさんは人間と意志の疎通できそう。初代さんはできなさそう。令和のゴジラさんは意志の疎通してくれなさそう。

ゴジラは光に怒る。それは原水爆の光を思い出しているから。という説明を観て、胸がぐっとなりました。
(作中ではなく、調べた情報による)

ゴジラ役の方は、動物園に通って、動物の動きを徹底的に研究したのだそうです。
さすがです。

人類は、ゴジラを退治するために、感電させる作戦をとります。
感電させられて転ぶゴジラが痛々しいです。

怒ったゴジラは、立ち上がると、今までにない行動をとります。

口からなんかはいた!
後の時代に「放射熱線」と呼ばれる、アレですね。作中では特に説明がありませんが、便宜上、放射熱線と呼びます。

初代の放射熱線は、光線ではなく、煙がぶわーっと出る感じです。
特撮技術の限界もあったのでしょうが、逆にこれが、白黒映画の静かさと合わせて、とても怖いです。

しかし、ゴジラが放射熱線を出したのは、電撃を受けたからです。
それまでは人間に意図的な攻撃はしていません。

何発も銃弾や砲撃を受ける姿に胸が締め付けられます。
攻撃されるから怒って放射熱線を吐く。それが伝わってきます。

ところで。私たちはあれが「放射熱線」で、被爆した結果身に着けた能力だと理解していますが、当時はどういう理解で観られていたのでしょう?
特に作中で説明はなく、急に何か口から吐き出します。それが余計に不気味で怖い。
当時、どのように受け取られていたのか気になります。
ガイガーカウンターがゴジラに反応する以上、ゴジラが放射能の影響を受けているのは間違いありません。
何か口から出したのを、放射能の影響と取るか、古代生物の元々の能力ととるか……。
気になります。

ゴジラが街を壊すシーンに、報道陣が出てきます。

だんだんと迫ってくるゴジラを映しながら、リアルタイムで状況を国民に伝えます。
それは死ぬ間際まで続きました。

「近づいてきました。鉄塔に手をかけました! いよいよ最後です」
「いよいよ最後 さようなら さようなら」

ここにはきちんとニュースを伝えなければならないという報道を担う存在としての信念を感じます。
特にこの時代、ゴジラの恐怖を伝えるには近くでああやって放送し続ける必要があったのでしょう。
とてもぐっとくるシーンでした。

ゴジラが侵攻してくる前、恵美子は芹沢博士から、オキシジェンデストロイヤーの話を聞かされていました。
それは二人だけの秘密であり、誰にも漏らしてはいけないことでした。

しかし、街を壊されるのを見て、恵美子はオキシジェンデストロイヤーのことを尾形さんに話すのを決めます
ゴジラを葬り去るため、使うよう二人で芹沢を説得に行きます。

ここのシーンで、芹沢博士が恵美子に実験を見せた理由がわかります。
今はこんな恐ろしいものだが、いずれ必ず社会の役に立てるものにしたいと。
その夢を、恵美子にだけは知っていてほしかったんだね。本当に好きだったんだね。

恵美子が遊びに来たと思ったら尾形も一緒で、尾形から恵美子にだけ打ち明けた秘密に触れられる、芹沢博士が可哀想すぎるんよ。

しかし、芹沢博士は拒否します。

「一旦使ったら最後。原爆対原爆。水爆対水爆。さらにこの新しい恐怖の武器を人類の上に加える。科学者として一己の人間としてできない」

今作では、ゴジラよりもオキシジェンデストロイヤーという兵器のほうが危険なものとして描かれているのに気づきました。
ゴジラ(=水爆)という兵器を闘うために、もっと恐ろしい兵器を使う。そのことの是非。使ってしまった科学者の選ぶ道……。
娯楽だけではない、社会への強いメッセージを感じます。

説得のさなか、テレビから平和への祈りの歌が流れてきます。それに合わせて、壊された街や、怪我をした人々、懸命に救護をする人々が映し出されていきます。

そして芹沢博士は決断をします。

研究の成果を火にくべる姿を見て、恵美子が号泣します。
ここのシーンは胸が締め付けられます。
社会の為に役に立てたいと、夢を語っていたのに。その夢は芹沢自らの手で、すべて燃やされてしまったのです。
それが恵美子がやった裏切りの代償。ゴジラという生命を葬ることの代償。
いいんだよ、って笑う芹沢さん。けなげだなあ。
もうこの時点で、死ぬことは決めていたのでしょうね。
資料だけではない、自分が生きている限りは、悪用されてしまうから。

そして、海に泳ぐゴジラの下でオキシジェンデストロイヤーが使われます。
芹沢博士は命綱を切り、ゴジラと運命を共にすることを選びます。

「やったぞ、実験は成功だ。尾形、幸福に暮らすんだぞ。さようなら、さようなら」

本当に嬉しそうな声です。
自分の実験が成功したことへの科学者の喜び、人類や尾形・恵美子の幸福を守れたことへの喜び、少しの強がり。
そんなものを感じます。

尾形が、「幸福に暮らせってさ」と、恵美子にその遺言を伝えます。これによって、はっきりと、この言葉が尾形にだけではない。恵美子にも向けて言われたものだと観客にも伝わります。尾形もきっと芹沢の気持ちを察したのでしょうね。

今までゴジラにしか興味のなさそうだった山根博士も、さすがに「芹沢……」と動揺します。たったの一言ですが、一言で十分なくらい、感情が伝わってきました。

「この感激この喜び」
と喜ぶマスコミと、悲しみに暮れる芹沢関係者が対比的です。

そしてみんなで礼して鎮魂をします。
物語上は芹沢博士への鎮魂ですが、作品としてはゴジラに向けても含めていると感じました。

「あのゴジラが最後の一匹だと思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない」

山根博士の最後の言葉。

水爆実験をもうしてほしくないという強いメッセージが込められています。
しかし、その祈りもむなしく、今もゴジラはやってきます

核兵器がなくならない限り、ゴジラの襲来はつづくでしょう。

いつか、核の苦しみから解放された、南の島でのんびり暮らす古代生物としてのゴジラを観てみたいです。


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