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【エッセイ】「ぶら下げ」に振り回される。

 小論文・作文指導者の朝は、遅い。

 昼近くに起き、顔を洗い歯を磨き、野菜ジュースを飲む。雑に遅い朝ごはんを終えて着替えると、「職場」に向かう。通勤時間ゼロ。自分の机に向かう。在宅ワークが今日も始まる。

 大きなあくびをしながら、高校生の書いた添削原稿を眺めると、すぐに異変に気付いた。

 「ぶら下げか…。」

 さて、この業者の原稿ではどうだったか。赤入れするかどうか。迷った。

 文章の誤りには赤を入れて正すのが、私の仕事である。誤字、脱字の、表記上のミス。言葉の誤った使用の仕方などの、表現上のミス。誤った段落分けなどの、構成上のミス。もちろん、文章として適切な内容でない場合は、そこにも赤入れする。内容校正である。

 そうした評価項目の中で、「原稿用紙の使い方」というのがある。原稿用紙の誤った使用の仕方に対してチェックを入れ、赤入れする。こうして正しい原稿用紙の使い方を、学生に指導する。

 たとえば、横書き原稿用紙の場合、算用数字やアルファベットの小文字は一マスにつき二字、ただしアルファベットの大文字は一マスにつき一字、というように原稿用紙の使い方にはルールがある。それをチェックするのである。

 その中に、「句読点や閉じかっこは行頭に置いてはいけない」というルールがある。句読点や閉じかっこが行の先頭に来てしまう場合は、行頭に置かず、その前の行の終わりに置く。ただしこの時は、マスの中でもマスの外でもどちらでもよい。これを行頭禁則処理というのだが、ここからの派生なのか、促音・拗音の小さな「つ」なども同じように行頭を避け行末に置いているケースがある。これを特に、「ぶら下げ」、「ぶら下がり」などという。

   今目の前の原稿は、小さな字を行末に「ぶら下げ」ているのだ。

 この扱いが困る。業者によってこれを間違いとするか、正しいとするか、異なるのである。こういうとき私は、業者の添削マニュアルを見返す。業務上、業務委託元の業者の指示に従わないといけない。

 さて、この業者の場合はどうだったか。マニュアルを何回か見返したが、そのケースへの対応の仕方が載っていなかった。困った。

 このケースは、一年に二、三度くらい遭遇するレアなケースである。その度に私はいつも思う、「どこかの学校や塾の先生が、こう教えているんだなぁ…」と。

 原稿用紙の使い方に関わるルールは、巷の国語の教科書や資料集、国語や小論文の受験参考書に必ず載っている。そしてその内容は全て同じだ。というよりも、統一されていないと書くときに混乱して困る。ルールだからだ。だからどの指導書にも、「句読点や閉じかっこは、行頭に置かずに行末に『ぶら下げ』る。」ということが書いてある。これは問題ない。

 しかし、小さい「や」や「ゆ」などを「ぶら下げ」るかどうかについては、参考書などにより異なるのだ。小論文の参考書の中には、多くはないものの、「『ぶら下げ』るのが正しい」と記載しているものも、あるにはある。

 ちなみに私がこのケースを初めて知ったのは、出版社に勤めたときであった。このルールを学校で習ったこともなかったし、その前に勤めていた学習塾で生徒にこんなことを教えたこともない。それは一体どこを出自としたルールなのかと、私は思った。

 そのときに調べたのだが、これは組版の都合らしい。昔はコンピュータなどなかった。原稿用紙にある手書きの「原稿」に即して、業者が活字を組んで版を作る。その際、組版の人に配慮して、その人が読みやすい(間違わない)ように、小さい「や」や「つ」も「ぶら下げ」るようにしたのである(「きょ」で一つの音となるため、「き」と「ょ」を分けるのは不自然と考えたのだろう)。そしてこのルールは、出版や印刷の業者の中では、今も生きている(そもそも、行頭禁則処理自体が印刷業界の用語である)。

 おそらくは、そうした業界ルールが習慣化し、一般的な「原稿用紙の使い方ルール」となっていったのだ。しかしその結果、教育の世界ではその扱いや判断が個々に異なってしまった。

 なお私の個人的な見解は、「どちらでもよいが行頭に置くのが一般的」である(この理由については、教科書などを出版している東京書籍さんのサイトの回答に詳しいので、それを理由に代え最後に引用する)。

 それはともかく、今の私には、困った話だ。私の意見など、今の状況下ではどうでもよい。この業者の原稿の場合、赤入れするのかしないのか、一体どちらなのだろう。

 たまらず先方に電話をすると、幸い担当者が出た。私が小さい字の「ぶら下げ」についての対応を問うと、「それは資料によって見解が異なるのでウチとしては不問(赤入れ不要)」とのことだった。「だったら、マニュアルに書いておいてよ…」と私は思った。

 何か疲れたので、コーヒーを飲もう。

追記

 小さい字のぶら下げについて、東京書籍さんのサイトでは、以下のQ&Aが掲載されている。孫引きになってしまうが、文化庁の見解も記されている。

Q 促音・拗音などの小書きの仮名を原稿用紙に書くときのルールを教えてください。
A 文化庁刊行の「ことばに関する問答集11」(昭和60年)という冊子の中に、「原稿用紙の使い方」の目安が示されております。そこの「2 促音・拗音・外来語・特殊音などを表す小書きの仮名」という項目では次のように記述されております。
「(促音・拗音・その他、擬音語や外来語などを書き表す際の小さな「ァ・ぁ、ィ・ぃ…」等の例を挙げた後、)これらの小さく書くべき仮名が、原稿用紙の行頭にくることになる場合がある。これは見た目によくないし、読みにくくもあるし、右下に書くことにも反することになるのであるが、一般に余り問題になっていない。印刷物でも行頭にある。「きゃ」などの拗音は、仮名二字を使って書き表すが、これは一まとめの一つの音節であるから、本来二ますに分けて書くのは、音声的に考えるとおかしいと言う人もあるし、また、読み手にとっては、読みにくいこともあるのである。が、伝統的に、それぞれに一ますを与えて書くことになっている。行末に書き切れない場合は、欄外に書けば読みやすくなるという人もいる。(句読点や読点などと同様に考えればよい。)」
 以上の記述から見るかぎり、原稿用紙などでの表記の仕方では、促音・拗音が行頭にくる場合はそのまま行頭に書くのが一般的かと存じます。ただし、これはあくまでも目安であり、必ずこう書かなければならないというものではありません。たとえば、「コップ」の「コ」が行末にくる場合、その行の欄外に「ッ」を書いても誤りではないということです。もっとも「プ」まで書いてしまうことは一般的ではないと考えられます。 なお、教科書では児童の読みやすさに配慮し、文字と文字の間隔を調節するなどして、促音・拗音が行頭にくることがないようにしております。

東京書籍株式会社 教科書・図書教材 よくあるご質問Q&A


東京書籍株式会社 教科書・図書教材 よくあるご質問Q&A

https://www.tokyo-shoseki.co.jp/question/e/kokugo.html

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