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一人称複数

あなたは、自分のことをなんて呼んでいますか?


ある日ボーッとしていた時、陽の光がフワッと部屋を明るくした時があった。
その時部屋に流れていたのは昭和の懐メロ。何が流れていたかはわからないけれど、ふとそんなことを思い出した。

自分の中に混在する自分の数に少々驚きを隠せないことがたまにある。

そんな時は周りから見るとボーッとしているように見えるんだろう。
自分でも何を考えているかわからねいけれど、1度に4人くらいが頭の中で会話することがある。

それら1人1人には、それぞれの1人称が存在する。
俺、僕、自分、私。
どれが本当の自分かわからず苦しい時も多々存在する。

だけれど、どの人格が好きもしくは嫌いで、とかは特にない。
そこに関しての障壁は無くなっている。昔はあった。
社会ではそのことを多重人格という言葉で表していると思う。
ただ、真逆の性格ということはなく、社会的に認知されている独り言をぶつぶつ言ってたり、急に性格が変わる、ということもない。

ただ自分の頭の中で、それらの人格から醸成されるいろんな考えや価値観が巡り、情報量の多さに疲弊することはよくある。でもそれだけ。

そう言った自分の特性があり、その特性の良い点を享受するまでは本当に辛かった。
だけれど、1つずつ丁寧に自分を理解しようとすると、なんだか楽になる感覚もあった。自分を理解する作業を怠らずに丁寧に丁寧に、自分と向き合うきっかけをここ2年くらいでたくさん作った。

自分を理解すればするほど、周りと乖離する自分が存在しては、それでも自分のことは嫌いになれない自分もいる。
嫌いに成ろうとしていない、むしろ今の自分でも十分好きだからでしょうと思っていたりもする。

何を考えているか自分でもわからないけど、そんな時は記録するようにしている。今のは「俺」か「私」か「僕」か「自分」か。
そんな変な自分との付き合い方が、今では習慣になっているから、わりかし普通の人間として社会に溶け込んでいる。

自分との付き合い方は人それぞれ。良いも悪いもない。
社会という集団に精神的に潰されるという感覚は、今のところなかった。
今はそれで良い、ただ自分との付き合い方は知ってて損はなく、むしろ知っておくべきだ、という持論。

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