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藤原書店

 藤原書店という、重厚な本を時々出している出版社があります。
 僕が最初に出会ったのは、フェルナン・ブローデルの「地中海Ⅰ 環境の役割」でした。当時は高校生になったばかりでもあり、ポール・ケネディの「大国の興亡」や、クラウゼヴィッツ「戦争論」などに読み慣れてはいましたが、この地中海の文章の格調高さと、分厚さはなかなかのもので、途中で挫折してしまい、結局シリーズを完読できていません。 

 その後、歴史的文書を後世に遺していくという観点から、アーカイブズということに興味を抱き、月刊環15「図書館・アーカイブズとは何か」という書籍を購入しました。
 この月刊環シリーズもなかなかに歯ごたえがあり、熟読には至らず、何となく流し読みして、そのまま積読、最後は売却してしてしまいました。僕にとっては、藤原書店の本は、なかなか他の出版社が手を出さないような分野で深掘りする本の制作を手掛けている、好奇心のそそられるタイトルが多いのですが、現実に山に登ってみると、途中の峻厳さに引き返す、そんなイメージがあります。

 三度目の挑戦ということで、一昨日、図書館で「震災復興はどう引き継がれたか」という本を借りました。

 先日も書きましたが、最近、震災リスクが高まっていると感じ、自衛策としては自助が強く求められるにせよ、むしろ東京・横浜の壊滅といった状況から、日本がどう立ち直ったかを知るために購入しました。

 まだ読み始めですが、震災の前年に「平和記念東京博覧会」が上野で開催され、1千万人を超える来場者があり、第一次世界大戦では直接の戦場にならず、戦時景気により高揚した日本経済の勢いそのままで、そうした国内万博的なイベントが開催されたことは、はじめて知りました。

 その翌年に関東大震災があり、博覧会で作られたパビリオンなどはことごとく焼失し、今は残された写真の中にしか当時の情景を見出すことはできないようです。

 関東大震災と、太平洋戦争は、僕の頭の中ではこれまで、別な物事として捉えていましたが、被災の規模が桁違いで、日本経済に大きなダメージを与え、世界恐慌の追い打ちもあって、国内経済が立ち直るきっかけをつかめない中、世情は不穏となり、海外進出に活路を見出さざるを得なくなったという流れの中で、国際的にも孤立し、最後は米国との開戦に突入したということで、はじめてつながったように思いました。

 こうやって後から振り返ると、いつの時代でも、様々なひずみを抱えたまま、辛抱強く立て直しを図っていくことは、民意としても受容し続けることが困難で、事態打開の特効薬のようなものを求め、破滅的事態に至って、ようやく灰燼の中から再生することができたようです。

 軍国主義により抑圧されて引きずり込まれたというより、そうした軍部の台頭を許し、強権的な局面打開を望んだのは当時の世論であったわけで、戦争後半は国家による統制は国民の思いを超えたものであったと思いますが、それをもって戦争責任は一部の指導者に帰するとしてしまうと、思考停止してしまうため、同じ過ちを繰り返さないためにも、当時生きていた世代が去り行く今、市井の証言の次世代への共有も、今後の教育においては重要ではないでしょうか。

 足元の状況を考えると、ここ数十年で、与えられることに慣れた人々と政治が、大震災が次に日本の中枢を直撃した際に、持ちこたえることができるのか、国債の信任が低下してしまえば、大盤振る舞いができなくなりますが、既に財政健全化に向けた道筋は描けないところに至っており、一度坂道を転げ落ちた信任の回復は困難、こうした不都合な真実は誰にとっても救いがたいので、まともに議論されることはないですが、構造としては理解し、個人としては、状況の変化に柔軟に対応できる力を、磨いておき、まさかに備えるようにします。

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