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心に使いまわせる最適解をもつ

 世の中、いろんな人がいます。考え方も様々で、正義は人の数ほどあります。ある物事について無知であるほど、無責任に自分の思うところの正義を振りかざすことができます。これは僕自身にも言えると思います。昨日も、あるプロ野球選手の組合脱退問題のニュースを見て、これはありえないと、一人で正義を振りかざしていました。

 とはいえ、まったく無知では、正義を振りかざしたいという欲求を具現化させることはできません。

 手っ取り早いのは、ネット上でわらわらとすり寄ってくる、自分の正義に近い配信記事やSNSにより、知らず世の正義=自分の正義と錯覚し、われは世の正義の片棒を担いでいる、という強い自信のもとで、正義を振りかざすことでしょうか。

 自分の知見に自信があれば、その知識や専門性を背景に、正義を振りかざすこともできるでしょう。ただ、完全に一人でやるのは難しいので、同じ考えの仲間のコミュニティをつくり、そこで知見を持ち寄って、一つの正義を主張する、そういうやり方は、単なる無責任な発言に比べても、建設的かつ高尚な感じがして、プライドを満たすこともできます。

 ただ、世の中、物事には多面性があり、だいたい自分の立ち位置から見えるのはその一面であり、加えて、外面ではわからない、相反する内在的論理が、物事を成り立たせている場合もあります。

 国際関係における国と国との正義のぶつかり合いなどは、歴史をどこまでさかのぼるかによって正義の解釈が変わってくる、これはその典型ですが、批判される側の、いわば解決をできるポジションにある人間としては、要は相反する主張を内在しながら、どうバランスをとるのかが肝要であり、バランスが悪いことで、多くの人に違和感を抱かせ、炎上することになるため、そこを補正することで鎮静化する、これは一番シンプルな解決方法です。

 ただ、多くの物事は、他と複雑に絡み合っており、一つの物事だけで捉えれば、バランスが悪く見えるだけで、もうちょっと視点を広げれば、案外、バランスが取れているのかもしれない、ということはあります。
 ここはメタ認知を持つ人にしかわからないので、持たない大衆にとっては、外見的に理不尽な言動と捉え、それに正義の鉄槌を下すのが自分だという気になりますし、所詮は無知ゆえの判断だろうという上から目線での、教えてやるという観点からのアプローチになるのだと思います。

 無責任な正義のパンチを受け続ける立場というのは、精神的に辛いものですが、自分の中に最適解を持ち、どのような立場の相手に対しても、同じように答える言葉を持っていれば、気持ちは揺らがずに難局を乗り切れるものだと思います。
 個々の正義の主張にいちいち付き合って、対応を変えてしまうと、二枚舌になり、それを自覚して自信を喪失し、最適解を見失って、右往左往して、ますますぶっ叩かれる展開になります。

 今回は過度に抽象的で、自分の心の中の世界をそのままぶつけたような内容になってしまい恐縮ですが、これを書くことで、自分の中で最適解を確認し、今日一日、何とか乗り切ることができるような気がします。


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