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我をわーい^^vってならせし者達へ

 あー、アナタは、自分の書く文章とか創作物が好きか。
 あの、ぼくは割と好きです。自分から出てくる、なんか、思考のまろび出モン。例えば、ブログやnoteで書く文章とか。

 なんでしょうね、ハードルが低いんですかね、たぶん。ちょっと、なんか、日本語を駆使して意味のある文章を書くと、えらいね、ってなる。なかなかできませんよ。日本語を駆使して意味のある文章を書くこと。
 いや、違くて。違くないですが、えらーい^^ ですが、そうでなくて。
 えー、つまり、一応、まあ、楽しんで書いている。ノリノリで書いているのである。それは間違いない。
 ただ、なんか記事書いた直後とかは、この文章おもしろいか? とか、思う。いや、大抵、あの、思ったこと思ったまま思った順序で並べただけっちゃだけの雑文ですからね。これを世に出す意味とは……? 読む人がいたとして、その人の黄金ともいえる時間という資源を、ぼくの文章を読むという行為によって、なんか、切れた輪ゴムみたいな価値におとしめてやいないか? とか思う。思ってるかな。たまに思います。

 いや、わりと書いてるとき楽しかったし、そこそこおもしろいんでは? と思って投稿前に読み返すんですけど、ヌゥー……と、なる。深く考えると、その先に待っているのは『無』なので、深く考えるのはやめるんですけども。

 でも、あれです、昔から「書いたら投稿する」って決めてるので、どんなに、排水溝のぬめりみたいな文章でも、書いたら投稿するって決めてるので、書いたら投稿はします。
 んで、翌日くらいに、読み返したら「おっ、この人けっこう良い文章かくね!」ってなる。あれだ。自賛・オブ・自画!

 あれかな、時間置くと、客観的に読めて、ただの自分とセンス近い人の書いた文章ってことになり、読みやすいから、おもしろく感じる。ということかな。実際におもしろいかどうかってより、そういうカラクリなんでしょうね。あの、寝てるとき見る夢、自分だけがおもしろいみたいな感じ。人に話すと立ち強【ふーん…】を喰らう感じ。

 というふうには、思っていなくてですね、おもしろいと思っている。自分の書くやつ、おもしろいと思っている。他人が読んでもおもしろいんじゃないだろうか、と思っている。
 ハードルが低いのか。低いです。自分大好きか。フツーだ。
 でもフツーのやつが、ポメラを駆使し、日本語を駆使して意味のある文章を書き、インターネッツを駆使してアップロードして、どこかの愛すべき誰かの時間と脳のリソースを駆使させるのであれば、それは、立ち強【えらいね】だ。

 そうなのだ。自分だけで良いと思ってるだけじゃ満足できない。愛すべき誰か、読んでくれる誰かの存在は絶対に、いる。
 文章書いて投稿ってのは、たぶん15,6年くらい前からやってる。最初は高校生のときだった。
 ホームページビルダーでテキストサイト作って、今みたいな雑文アップロードしてた。続けてると「おもしろかったよ」って掲示板に書いてくれる人がいて、むちゃんこ嬉しくて、嬉しすぎて「わーい!生きる」ってなったと思う。
 でも「わーい!生きる」って高校生のときはなったんですけど、えらいもんで、人っていろいろ経験するなかで、磨耗するものがあるのも確かで、なにかこう、素直に喜ぶってことが出来なくなってくるもので、それが投稿した記事にスキをつけてくれる人がいたとしても、嬉しいっちゃ嬉しいけど、昔ほどじゃなかったりするかっていうとそんなことは全然なくそれはめっちゃ嬉しい。むちゃんこである。依然としてむちゃんこ。

 だから読んでくれてありがとう~^^v

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