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ガーデニングが楽しすぎる!

続けること、続くこと。

色んなことやってみても、それは自然になるようになってくもの。

私がガーデニングに出会ってから、もう5年くらいは経過しました。

何が楽しいのか、好きなのかと問われても、ただ楽しい、好きとしか表しようがない。

始めた頃のことは、あまり覚えていないのですが、当時のメンタル不調は、土いじりという作業によって、すっかり良くなりました。

うつ病や統合失調症だったと思うのですが、波はあるものの、時間をかけてそれらが薄まっていくのを感じられました。

色んなことにチャレンジして、結局は後から振り返ると、自然と体が動くことだけが残っていくんだなあって思う。

それが、潜在意識の力ってやつなのかも知れない。

もちろん、自然な流れに任せていくことが、最良な形を生み、力もいらないからその方が楽ということも、ガーデニングを通して学んだこと。

ある程度の経験者ならわかると思いますが、結局は植物って地面にぶっ挿して放置しとく、というのが最強の育て方で、何もしなくても強く大きく育ってくれるんですね。

農業でも、自然農法というものがあり、雑草はそのままにしておいても、それらの雑草が枯れて、作物に必要な栄養素へ分解されて土へ還り、土が肥えて作物が育つという自然のサイクルに任せるだけで、野菜などを育てられます。

自然の力というものには、本当に驚かされるばかりです。

何もしなくても、なるようになっていくし、そのありのままの姿が一番美しいんですね。

あるのはただ、自分が都合よくコントロールしようとする思いだけ。

もちろん、それを実行して、何かを変えていけるからガーデニングの作業が楽しいのですから、自分の中から生まれる支配的なコントロール欲求も否定はしません。

それも、自然の一部、自然な流れに抗うという自然体であるとすれば、自由に遊ぶことだって許されます。

だからこそ楽しいのであって、自然任せだからと言って、何もしないのであれば、ガーデニングそのものが存在できなくなり、そんな趣味すら成立しなくなっちゃいますから。

自分で動かし、作り、描けるから楽しいんです。

子供の頃は、絵を描くことが大好きでした。

真っ白い紙がそこにあると、いつも無性に何かを描きたくなる衝動にかられていました。

今ではその白い紙が、庭に変わっただけなんだろうなって、私はそう自分を理解しています。

描くことも、創ることも好きで、そのクリエイティブな時間に、自分が解放される感覚があります。

恐らく私は、いつも自由でいたいんでしょうね。

誰にも邪魔されない、自分だけの自由な世界がそこにある。

それが私の幸せなんだと思う。

ゲームばかりしていた時期もあるし、スポーツに熱中していた時もあった。

けど、こんなにも没頭して、終わりのない世界にワクワクし、長く続いた趣味は初めてかもしれない。

ガーデニングは、やっぱり楽しい。

正解なんてないし、終わりもない。

寒い日もあれば、暑い日もある。

四季を感じながら、育つ植物たちを見て、ただ癒しと自分の満足感だけを味わっていく。

無限にやっていられる、と思えるこの感覚は、本物の「好き」なんでしょうね。

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