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キリスト教神秘主義

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キリスト教が盲信的な宗教だと思っているなら大間違い。 キリスト教は論理です。
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記事一覧

読書感想#42 【ドゥンス・スコトゥス】「神の自然的認識と〈存在〉の一義性」

果たして、私たちは知性によって神を自然的に認識し得るでしょうか。もちろん普通に考えてみれ…

読書感想#41 【ドゥンス・スコトゥス】「神は類の内にあるか」

「神は類の内にあるか」、これが意味するのは、無限者が有限者と共に、存在という類の内にある…

読書感想#40 【ヤコブ・ベーメ】「真の心理学」

全ての事物は永遠性から発源し、永遠の自由に由来します。それは意志を持ち、またそれ自身が意…

読書感想#38 【(クレルヴォーの)ベルナルドゥス】「雅歌講話」

 魂が言葉に目を向ける時、その魂は言葉によって新たなものとなり、そして言葉と一致すべきも…

読書感想#37 【ヨハネス・エリウゲナ】「ヨハネ福音書序文説教」

 天翔ける福音史家、使徒ヨハネの声。それは物質の空気層やエーテル層を越えたり、可感的全世…

読書感想#36 【(偽)ディオニシオス・アレオパギテース】「神名論」

 神についての認識や観照は、それが例えどのようなものであったにしても、存在を越えた形で万…

読書感想#35 【(アレクサンドリアの)フィロン】「アブラハムの魂の遍歴」

 アブラハムは、カルデアの地からハランの地へと移住しました。敬虐なるアブラハムが、神の言を聞き逃すはずなどなかったのです。  彼にとってこの移住は、肉体のためではなく、むしろ魂のためでした。というのも、カルデアの人々は可視的なもののみを尊重し、決して不可視かつ可知的なものは考慮しないような人々だったからです。そのような地で訓育された彼は、感覚的なもののためにひどい霧にたちこめ、本来の力を失っていました。そんな彼にとって移住とは、魂の目を聞き、カルデア人の教えから離反すること