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京都学派

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京都学派と称される哲学者たちの著書を取り上げます。
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記事一覧

読書感想#59 【西谷啓治・高坂正顕・高山岩男・下村寅太郎】「田辺哲学とは」

出典元:田辺哲学とは 西谷啓治・高坂正顕・高山岩男・下村寅太郎  燈影舎 出版日1991/10/1 田辺哲学と西田哲学田辺哲学から見た西田哲学 「田辺哲学」は、"絶対無"を基盤にするという点においては、「西田哲学」と通ずるところがあります。しかし、「田辺哲学」側から「西田哲学」を見ると、「西田哲学」は哲学を宗教化しており、哲学独自の立場を放棄していることになります。これは"絶対無"の捉え方から生じる分断です。 いわゆる、"宗教的体験"がそのまま哲学理論上の根拠となってい

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読書感想#57 【高坂正顕】「キルケゴールからサルトルへ」

出典元:キェルケゴールからサルトルへ 高坂正顕 創文社 1967/9/30発行 決断の哲学「実存主義」とは、その人自身の哲学です。その人自身の救いとなる"実存的真理"を説きます。 すなわち、その人を通じて明らかになるのです。そのため、そこにあるのは"真理"というよりも"決断"です。その人が何を"決断"するか、ここに"実存的真理"が現れるのです。 かくして、実存哲学は"決断"において超越を求める哲学といえるでしょう。 そして、この"決断"には不安が伴います。なぜなら、決

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読書感想#56 【高坂正顕】「実存主義」「続実存主義」

出典元:実存主義 高坂正顕 アテネ文庫 1948/3/25発行 続実存主義 高坂正顕 アテネ文庫  1948/9/15発行 実存主義の挑戦"実存主義"というのは、色々な角度から論じることができます。今回は、「実存主義はヒューマニズムである」を出発点とします。 すなわち、「物としての私」ではなくて、「私は誰であるか」の「私」を本願とするのが、実存主義なのです。 実存主義以前の哲学では、「私とは何か」という問いを立ててしまったがゆえに、「人間とは何か」「宇宙とは何か」という

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読書感想#52 【西田幾多郎】「純粋経験」

出典元:哲学概論 西田幾多郎 岩波書店 出版日1953/11/25 哲学の出発点哲学においてもっとも重要なことは、疑うに疑い様のない直接の真理から出発することです。たとえばデカルトなどはその好例となるでしょう。<我思う故に我あり>=どれだけ物を疑っても、疑っている自分だけは疑えない。なぜなら、疑っている自分を疑っている自分を疑っている自分を……と、どれだけ自分を疑っても、疑っている自分はいなくならないからです。この疑っても疑ってもいなくならない自分を出発点に置いたのがデカル

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読書感想#50 【田辺元】「メメントモリ」

引用元:現代日本思想大系 田辺元  筑摩書房 出版年1965 死を忘れ、生を軽んじる現代標題の「メメント モリ」は、西洋に古くから伝わるラテン語の句です。これは『旧約聖書』に由来するといわれており、田辺の説明を借りると、 現代風の言葉でいうなら、「明日死ぬかも知れないということを日々意識して、後悔のないように人生をおくれ」というようなことでしょうか。たしかにこのような考え方は、昨今ではずいぶん聞き慣れたものです。ただ田辺は、この「メメント モリ」の意味が、現代ではまた違っ

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読書感想#49 【鈴木成高】「世界史観の歴史」

引用元:世界史の理論 西田幾多郎 西谷啓治他 2000年10月25日 初版第一刷発行 私の読み方鈴木成高といえば、「京都学派」の主要人物に数えられる一人です。「京都学派」とは、西田幾多郎を筆頭に、京都大学の面々で発展・展開された、思想・哲学グループのことで、「唯一世界に通用し得る、日本独自の哲学」と、海外からも高い評価を受けています。特に、西田幾多郎にいたっては、今日再評価の声が高まっているので、名前を聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。中には、最近流行りの新実存

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読書感想#21 【高坂正顕】「思想史の方法概念としての世代の概念とその取り扱いについて」

 思想とは何か、それを知るためにはまず、歴史を参考にしてみる必要があります。そうすれば思想とは一口にいっても、それはおおよそ唯物論的な立場に立つものか、あるいは観念論的な立場に立つものかという風に、異なる二つの捉え方があるということが分かります。そして私たちは、一方の立場に立つ人は他の立場に立つ人を非学問的だととぼし続けている現状についても知ることになるでしょう。両者は対立するのです。しかし実は思想というのは畢竟、観念論的な立場でみようが唯物論的な立場でみようが、それ事態にさ

読書感想#19 【高山岩男】「呼応の原理」

 私が重きを置く哲学の一つに、本書に於いて展開されている対話の哲学があります。対話というとあまりにも身近過ぎて、一見哲学からはほど遠いものであると感じられるかも知れませんが、それは主に次の二つの点からみて誤解であることが分かります。  一つには先ず、哲学は常に身近な問題を取り扱うものであるということです。よく科学や経済、政治が現実を舞台に戦っているのに比べて、哲学は空想を取り扱っている、と小馬鹿にする人がいます。もちろんどう思うかについては人それぞれなので、特別それに対する

読書感想#14 【西谷啓治】「ニヒリズム」

 ニヒリズムを題材に取り扱う本こそ沢山ありますが、それがどういう風に取り扱われているかについては必ずしも一様ではありません。ネガティブなものとして批判的に挙げられることもあれば、むしろポジティブをもたらす希望の種として崇められることもあり、その理解の仕方はまさに雲泥の差といえましょう。  仮にニヒリズムをネガティブなものとして取り扱う場合、基本的にはそれは単に漠然とした虚無的な気分や風潮という意味合いで捉えられています。故に生きることに意味はない、あるいは命に価値はないなど

読書感想#9 【務台理作】「場所の論理学」

 私たちの生きる現実の世界とは、一体どのような世界なのでしょうか。私たちは老若男女問わず、少なくとも一度はこの問題について考えたことがあるはずです。そしてこれまでにも様々な人によって、様々な考察がなされて来ました。例えば本書では場所という考察がなされています。  場所の論理に於いては、現実の世界は到るところに主体的な生死の場所の中心を持つ世界であると考えられます。到るところに、というからにはもちろん世界は決して私中心ではありませんが、同じくして中心でない私というものもあり得

読書感想#1 【田辺元】「常識、哲学、科学」「弁証法の意味」「種の論理と世界図式」「懺悔道としての哲学」「メメント モリ」「生の存在学か死の弁証法か」「哲学の根本問題」

 田辺元が誰なのかを知っている人は、おそらく極僅かでしょう。日本の歴史に於いてはすでに忘れ去られた人です。しかし実はそれはまだマシな方で、残念なことに田辺元が誰なのかを知っているその数少ない一部の人々に於いても、その大半は田辺元=戦争に協力した人間と敬遠しているのが現状です。もちろん見方によってはそう思われても仕方がない面があるかも知れません。しかし私が田辺元の諸論文を読んで感じたことは、田辺は誰よりも強く戦争に反対の意を示していたということ、そしてその戦争を止める力が自分に

読書感想#16 【西谷啓治】「近代の超克私論」

 近年、宗教に対する世間一般の理解は深まってはいるものの、いまだ宗教が偏見なしに受け入れられるという段階には来ていません。何かしらの嫌悪感を感じない訳にはいかず、また必要とされる場合には避けはしないものの、用件なしには決して近づかない、そのような一定の距離が置かれているのが現状です。昨今は宗教に対する一般教養も高まり、頑なに宗教を拒むべきではないという流れになりながらも、私たちは宗教が引き起こす実害を知っているので、それを無視して手放しに歓迎する訳には行きません。畢竟、宗教は

読書感想#12 【西谷啓治】【鈴木成高】【小林秀雄】【河上徹太郎】【林房雄】【吉満義彦】「近代の超克座談会二日目・歴史ー移りゆくものと易らぬもの」

 歴史から私たちが学ぶということは、例えばそれは古人の跡を求めるということではなくして、古人の求めた所を求めるということでなければなりません。仮に古人の跡を完璧に辿れたとして、おそらくその思想体系を現在に於いてもそのまま取るということは出来ないからです。一方で古人に於いても現在を生きる私たちに於いても変わらないのは、私たちがその思想を必要とする動機です。時代に応じて取るべき思想態度は変わりますが、その思想が生まれてくるその根本はどこまでいっても動きません。  もしある古人が