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読書感想#25 【ジル・ドゥルーズ】「ヒューム」

 哲学が対象とするところは、人間本性の探求です。空想からではなく経験から、想像力に属する諸観念からではなく人間本性の観察から、哲学は生まれるのでなければなりません。畢竟すれば、想像力はいかにして人間本性と化すのか、ここから哲学は始まるのです。


 まず前提として、精神はそれ自体では自然の本性ではありません。それは想像力であり、空想であるからです。いわば精神とは特殊な諸観念の寄せ集めであって、これらの観念の運動に他ならないのです。諸観念に役割と絆と力能を授けつつ、精神を自然の本性に転換するもの、それは連合の諸原理であり、情念の性質です。


 連合の諸原理とは観念の性質そのものではなく、また想像力に固有な活動を表現するものでもなく、自然の本性に元来備わる性質です。これらの原理が想像力のなかで諸観念を結びつけ、精神がそれ自体では有することなき、恒常性と斉一性とを精神に付与し、精神を人間的な自然の本性へと転じるのです。これらの原理は数々の傾向によって精神を触発し、精神を固定します。

 そして行動のために不可欠な恒常性と斉一性とを付与し、人間に数々の動機を与えて歴史なるものを可能にするのは情念です。情念は連合を現実化し、出発点となる項を与えることでこれらの関係を一義化し、想像力に一つの傾きと角度を与えます。即ち連合は諸観念に可能な諸関係を与え、情念はこれらの関係に一つの意味、一つの方位を与えるのです。


 情念は想像力を固定し、それを触発します。一方で逆に想像力のほうもまた、情念を反射し反映します。そしてこのように情念が想像力に反射し反映されると、その形式は圧し拡げられ、情念の機能として精神に課される限界の外でも、これらの形式を働かせるようになります。即ち想像力は情念を拡張するのです。いわゆるこの想像力の情念化ともいえる事態に於いては、その対象が真に実在するかどうかということとは無縁になります。反射し反映された情念はある対象に関して、それを現実に規定している情勢の存在を要請しなくなるのです。


 情念が想像力へと反射し反映され、自然の本性その他の諸原理、連合の諸様相を介して響きわたっていくことで、一般規則というものが規定されるようになります。そして一般規則によって私たちは想像力の傾向に抗し、そしてそれ固有の偏向を乗り越えるための、即ち個別的状況から独立した、堅固で共通な遠隔的規範を得ます。一般規則は情念を拡張し、情念をして、その偏向を乗り越えさせるのです。


 しかし規則が規定されるというだけではまだ十分ではありません。規定の矯正というものが必要になってきます。規則はその本質からして拡張的であり、原理とその実際の行使の条件とを切り離すことで逸脱する傾向があるからです。その結果として、規則は原理に呼応するものと空想に対応するものとの区別をする可能性をことごとく失ってしまいます。この時、超越論的なものと経験的なものとが混合されてしまうのです。このような帰結を私たちは絶対に避けなければなりません。


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