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読書感想#27 【ジル・ドゥルーズ】「スピノザ−実践の哲学−」

 体(例:身体や心など)というのは、普通考えられているように、形や諸々の機能によって規定されるのではありません。全体の形状も、種に固有の形態も、諸々の器官機能も、また形態の成長さえも、全ては微粒子間の速さと遅さとの複合関係より決定されるのです。故に体が無数なる微粒子をもって成立するといわれるのは、かくの如く、微粒子間の運動と静止、速さと遅さとの複合関係という意味に於いてでなければなりません。


 また同時に、体というのは、その変様能力によって規定されるのでなければなりません。それは即ち、一つの体が他の諸体を触発し、また触発される力なのです。我々が一つの体を何らかの主体として規定することが出来ないのは、ひとえにこの能力の故であります。


 ところで、これらの複合関係や変様能力には、一定の変位幅や強度があります。固有の変動や変移があります。そして実は、このような関係や力によって、個というものは特徴付けられているのです。ここに例外はありません。如何なるものも、それが世界と結ぶ関係を離れては存在しないのです。様々な新陳代謝の速さや遅さ、知覚や行動、反応の速さや遅さが連鎖し合って、個は世界の中に成立しています。即ち個は実体でもなければ主体でもないのです。それはいわば様態です。それは身体や思考における速さと遅さとの一つの複合関係であると同時に、その身体や思考の持つ触発し触発される一つの変様能力なのです。


 重要なことは、複合関係や変様能力には、状況に応じた具現のされ方や満たされ方があるということ。仮に関係や力そのものは変わらなかったとしても、現下の情動がその個体の存立を危うくさせるか、あるいはこれを強化促進して増大させるかに従って、その具現のされ方や満たされ方は大きく違ってくることでしょう。


 以上述べたものは、ただ単に一個体間にのみ存するものでないというのはいうまでもありません。むしろ相異なる個体間に於いてこそ真価を発揮します。即ち、各個を構成している関係相互が直接一つに組み合わさり、そして新しく、さらに強度の高い力が作り上げられるということが最も重要なのです。もはやここで問われるのは、個的利用や捕捉ではありません。社会を形成する力、即ち共同体の成立なのです。様々の個体がどのように複合して、より高次の一個体を形成し、ついには無限に到るのであるか。そしてそれは同時に、いかにして一個の存在は、他の持つ固有の構成関係や世界を破壊せずに、むしろそれを尊重しながら自らの世界に捉えることが出来るか。今、私たちの実践が問われています。

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