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必殺

 あるところの将軍が、当代一の弓の名手であるという傭兵の評判を聞き、西の戦で重用しようとその弓手を練兵場に呼び寄せた。噂によれば、北の戦場では百人を射殺し、東の退き場では追手の将を亡き者にし、南の城攻めでは遠く離れた物見台に立つ城主を射落としたという。将軍は、此度の西の戦で武勲を示し、己の出世栄達を狙うべく弓手を幕屋に招き入れた。

 しかし軍旗の下で跪き首を垂れる男は、枯木の如き細腕に胡麻塩色の頭をした皺の目立つ貧相な男。世辞にも兵とは呼べぬその姿に、苛立ちと失望を覚えた将軍はひとつ試験を課すこととなった。

 やや強い向かい風が枯れ草を揺らす岩場に、丸太に荒縄をひと巻き締めた的が立っている。そこからおおよそ五十尋(約90m)離れた弓場で「あれを射て丸太より荒縄を切り離せしめよ」と将軍に命ぜられた弓手はおたおたと構え、汗をかきかき大きな弓をやっと持つと、蚊の鳴くような音で弦を弾き絞って矢を放った。すると矢はひゅぅっと飛ぶや否や二十尋も飛ばぬうちに失速し、草間の岩へとガチンと当たって火花を散らした。深く落胆した将軍は弓手に歩み寄り、役立たずめ、と佩いた剣で袈裟懸けに斬りつける。弓手はなぜ、と驚き次に理不尽さに怒り、将軍へ向かい弓を構えると一条の矢を放つが、その鏃は明後日の方へと飛んでいき、一瞬肝を冷やした将軍の刃は弓手の首を刎ねるのだった。

 陣へ戻った将軍は、届いていた各方面からの書簡に目を通す。それらはいずれもあの弓手に関するものだった。南の特使は弓手の腕前を褒め称え、弓手が城下の真下に矢を射掛け、飛び立った椋鳥の群に驚いた城主が物見台から落ち死んだことを報告した。東の退き場から落ちのびた特使は、引き際に弓手が放った矢が谷間の岩に当たり、引き起こされた岩崩れで追手の将が潰されたことを伝えた。北の戦場の司令官は、明後日に放った弓手の矢が山の雪庇を撃ち抜いて、雪崩に精鋭百人の敵が飲み込まれ、戦に勝ったことを書き記していた。そしていずれも弓手に命を救われた事を感謝し、もし弓手の命を損なう者あらば命を賭しても其奴に報いると。

 額に冷汗を伝わせた将軍は、弓場からの叫びを聞いて陣幕を飛び出す。見れば、あの弓手の放った矢が当たった岩の周辺が燃えている。火花が枯草に移ったのだ。燃え盛る炎はやがてあの丸太に燃え移り、巻き締めた荒縄をはらりと焼き落としてしまった。

 次は俺だ。将軍は慄いた。

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