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俺たちのメグミ

やけに長いのれんをべろりんとめくったら、音楽なんて鳴ってやしない安定の無音な店内。お店のおばちゃんは出迎えてくれるでもなし、そのままいつもの奥の座敷に向かう。ちょっと奥っていうよりは、イメージするよりもっとずっと先にその「奥」はあって、初めてきたときにはこんなに奥って深いところにあるんだなと思った。

テーブルではいつものアイツらが待っている。”イツメン”ってヤツだな。まだ生きてる? このワード。
ヘイ、ハロー、ヤッホーと声をかけ合い、ごろんと座敷に座りこむ。畳の上でかくあぐらは、フローリングの上でかくあぐらとはちょっと違う気分。妙に肌になじむっていうか、そう、実家感ってやつ。

やけにピッカピカな白熱灯がまぶしい。こんな色してたっけ? そう思いながらも、壁に貼り付けられたお札みたいなメニューたちに目を通す。あれもうまい、これもうまい、いつものやつも食べたいけど、新しいやつも食べてみたい。と思いつつも、たいそうにおいしいことが分かってるからいつものやつを注文してしまう。そうそう、イツメンってやつよ。ヘイおばちゃん、注文お願いします。

笑うでもなく無愛想ともいえないおばちゃんの平常運転なテンション。注文ね、はいはい、ちょっと待っときな。って無表情な目の動きだけで伝えてくるけど、6卓ぜんぶをまんべんなく見渡して、ひとりですべてをまわす姿にはリスペクト。「はい、焼酎セットね。これはレモン、これはゴールデンカボス。どっちを絞るかい?こっちのほうが甘くておいしいよ」などと、テーブルの上に焼酎のボトルや氷のボックスを雑多に置きながら、それでもレモンとゴールデンカボスのおいしさ比べについては手取り足取り、絞りながら教えてくれる。これこそいつものおばちゃんだ。

酒のうまさに頬をうすらピンクに染めているサラリーマンのおっちゃんたちが横の席で盛り上がっている。ザ・ジャパニーズサラリーマンという盛り上がり方は、少しの昭和感を感じたりして妙に微笑ましい。いつもお勤めお疲れさまです。って俺は誰。
最近はこうだったとか、あの話はこうなったとか、近況報告をゆるりと交わしながら、料理を口に運ぶ手がとまらない。

刺盛りに板わさに帆立バターに肉豆腐。なんてないメニューに見えるけど、そのなんてなさの中にこの旨味や塩梅を引き出すのが至難の業。トマトパスタはトマトソースでどうにかごまかせるけど、ペペロンチーノの味がなんかうまくきまらないのと一緒で、シンプルなほうがいつだって難しい。どれもこれも家庭の味って感じはするけど、唸るような職人っぽい風味が静かに潜んでいることは絶対的に否めない。そんなうまさの料理なんだ。ま、ひとつ言うなら、久しぶりに頼んだハムカツは、昔よりちと薄くなったかな。

とにかく明るい白熱灯の下で、三岳を片手に俺らのトークも白熱する。最近のできごと……恋愛の話なんて普段しないけど、久しぶりに集合したことで過去の思い出話なんかも出ちゃったり。
座敷、向かって右奥のあのテーブルに座って、前の彼女と語り合ったときもあったっけ。そしてお別れのときも漏れなくあの席で語り合った。別れ話の場にはふさわしくないんだろうけど、振られそうな俺は、周りで聞こえる雑多な会話に埋もれて気を紛らわしたかったんだよな。そんなことを笑って話せるなんて、今となっては懐かしい。メグミは俺にとってずっと大事な存在。いや、メグミってのは元カノのことじゃなくて、この店『』のこと! 恵は、俺の思い出を知っている大事な場所ってことだ。昔はいつもここで集まってたよな〜ってみんなで言い合って、そう、だから恵は、俺の、ではなく”俺たちの”恵だ。

会話に夢中になっているとあっという間に時は経ち、まもなく閉店ガラガラタイム。キープボトルにバッチリ名前を書いて、今日の続きはまた今度。実家にご飯食べに帰るみたいな気分で、またべろりんと長いのれんをめくりにやって来よう。

座敷の奥の奥のいつもの場所。
恵は奥が深いんだぜ。

※写真に載ってる友人とストーリーは無関係です。

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