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戒名をいただいた

かい‐みょう〔‐ミヤウ〕【戒名】
読み方:かいみょう
1 仏門に帰依して受戒した出家・在家に与えられた法名。授戒の作法のない浄土真宗では、法名という。
2 僧が死者につける法名。鬼号。

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2の意味で、柳直起探(やなぎなおきたん)が私の戒名となった。

戒名をいただいたけど私は生きている。生きている間に戒名をいただいた。
その体験を書いてみた。

* * *

CRAZY PEEPS(以下、PEEPS)のグループラインに届いた案内がきっかけで、今回のイベント<死生観カフェぷらす戒名ワーク>を知った。
本を読んだり、死に触れて考える機会はあっても、人と話すことは滅多にない。信頼する人たちとこの体験をすることに興味が湧いた。

死について考えていたこと

・死は不幸なのか

「身内に不幸があった」という表現に違和感を持っていた。生まれた以上当たり前のことなのに、どうして不幸と表現するのだろうと考えている。

一方で、死ぬことを恐れるようになった自分もいる。
20代中頃まで、いつ死んでもいいと思っていたし、本当に辛くなったら死のうと思っていた。死ぬことを切り札として持っているつもりでいた。
その後、夫と出会って生活するうちに、出来るだけ一緒に長生きしたいと思うようになった。

そういえば昨年の2月に父の意識がなくなったとき、これまで父を散々恨んで酷いことも思ってきたくせに「生きてほしい」と願った。
あのまま死んでいたらきっと「死ぬことは当たり前」とは思えなかった。やっぱり「不幸」という表現は適切なのかもしれない。

・メメモン

19歳の頃、重松清さんの峠うどん物語を読んで初めて「メメントモリ」という言葉を知った。メメントモリは物語の中で「メメモン」と呼ばれていて、私にとってはなんらかの可愛らしい存在を想起する呼称だった。

4年前にひとつ年上の友人が事故で死んでしまい、メメモンを思い出した。
どうしてもっと会いに行かなかったんだろう、もっと好きと伝えればよかった、もっと手紙を書けばよかった。「もっと」がたくさん出てきた。
初めて喪服を着る機会が、同年代の友人のお別れ会になるなんて思わなかった。

日常的に趣味として書いていた手紙は、この頃から「想いを伝えられるときに伝える」ことが目的に加わった。私が日常的に書くゆるゆるな手紙には、実はそんな気持ちも込められている。

・このあとどうしちゃおう

私は死んだ時のためにドキュメントを作成している。タイトルは「このあとどうしちゃおう」。ヨシタケシンスケさんの絵本のタイトルをそのまま使わせていただいた。閲覧の権限は弟にだけに与えている。

書いていることは大切な人の連絡先、大切にしていたもの、遺書の下書き、理想のお別れ会など。
一昨年の5月7日に作り始めて、死ぬ予定なんてないのに遺書を書いて、幸せな人生だなあと思った。光を求めて足掻いて、見つけて、享受して。そんな人生を振り返り、遺書を書きながら泣いていた。

作成していると書いたものの、そんなこんなで感情がいっぱいになってしまい実は完成していない。ブラッシュアップが必要という段階でなく、空白の項目がいっぱい。遺書は最後だな。

死生観カフェぷらす戒名ワーク

平日夜、PEEPSの仲間たちといつもの場所に集った。
いくつかのグループに分かれて、自己紹介と、近況と、このイベントへの期待をシェアして本題に入っていった。

・死のイメージ

私は絵で描いてみた。
生きる前であり生きた後の大きな存在が、生きている私たちを見ている。
生きていない時の私たちは、大きい何かで同じ存在。

生きていない世界と生きている世界の間に「死」という事象がある気がする。

昨年読んだ、雲黒斎さんのあの世に聞いた、この世の仕組みが私の思考に大きく影響していると思う。死を扱う本はそれまでにも読んできたけど、当時は父がどこをさまよっているのか知りたくて読んでいた。

この文章を書きながら、泉ウタマロさんの人生逆戻りツアーを思い出した。その中では私たちはマニキュアのラメだったっけ。雲黒斎さんと同じことを伝えようとしているように感じるし、どちらも腑に落ちる。

グループでシェアしてみると、私以外の人たちは「消える」「何もなくなる」というイメージを持つ方、その考えに共感する声が多かった。

そういえば知人女性で、前世の記憶に苦しんでいた方がいた。彼女の苦しさを聞いた経験も、私が生と死のつながりを意識する要素になっていたのだと思う。

振り返ってみると私にとっての死は、本を読んだり、人の体験を聞いているうちに形になってきたみたい。
それらに出会う前の私はどう考えていたのか、今では思い出せない。

・これまでの人生

現在までの人生を振り返ってみた。
左が0歳、右が現在、上下はその頃に感じたプラスマイナス。

夫婦関係ってこんなに子どもの記憶に残るんだと思った。自分の体験としては分かっていたけど、グループでシェアをして改めて思った。

両親が不仲だった場合、幼少期の説明には両親の夫婦仲の話が入ることが多いように感じる。そうでない場合は話題にさえほとんど上がらない。
もし親になる時は後者のような存在でありたい。

それから「死ぬってこういうことか」という体験をした。

友人が死んだ時に「もっと」って残された側として思ったけど、死ぬ側になった時も思うのかもしれない。

・字を贈り合う

人生を聞いて、その人に対する一文字を贈り合った。
時間内にこれだと思う漢字に辿り着けなくて、贈った私としては腑に落ちていなかったりする。受け取った方は「?」という気持ちもあるかも。

・私の贈った字

■この字が適切か分からないけど、その存在なしでは語れない人生だと思って贈った「親」
■生きるために死にたくなるほど辛い体験をして、気力で生きた方に贈った「心」
■変化すること、新しい挑戦を自身に許した人生が印象的だった方に贈った「変」
■様々な場所に身を置いて、新しい環境を求め続けてきた方に贈った「移」

・私の受け取った字

■直:環境に囚われずに、生き直そうとしてきた。
■柳:柳の葉のようになびく姿を見せながら、地に根を張っている。
■探:生まれた意味を探していたし、探し続けている。
■起:何度つまずいても、自分を引き起こしてきた。

上記の字と説明は、添えていただいた言葉に私の解釈も交えて書いてみた。
「直」を渡してくださった方は「もっと適切な字がある気がする」と言っていたけど、私としては意味も含めて、生きる姿を肯定してもらえたように感じて嬉しかった。

並べ替えて、柳直起探(やなぎなおきたん)が私の戒名となった。
敬称のような ”たん” がいい味を出していると思う。

・最後に

自分の人生を完璧に伝えることは難しくても、少し話しただけで話していない部分まで分かってもらえた。
今までそうして受け取ってきたし、伝えていたのだと感じた。

最後に参加者みんなで輪になった。
その時に聞いた感想が印象に残っている。

毎日いろんな人と会っていて、私が知るのはその人の人生のほんの一部なのだろうけど、その一部の中に、その人の体験や価値観、人生が凝縮されていることを感じた。

私は人生について、いつ終わりが来るか分からない、死ぬまでの不確定な時間を生きることだと思っていた。
ワークを終えて、生きているこの一分一秒も私の人生なんだと思った。

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▼このイベントを主催してくださった鈴木秀彰さんのnote

▼過去に開催された死生観カフェのイベント告知ページ



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