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インド映画 OMG!神への訴状を観て思った神の存在

数ヶ月前にインド映画「PK」を観て、とても面白かったので、今回も同じ神と宗教をテーマにしたインド映画「OH MY GOD!神への訴状」を観た。

■PK

■OMG!神への訴状

神とはどのような存在なのか

過去に聞いていた話と共通するところが多く、映画を観て改めて神と宗教について考える機会になった。

数年前にある講演会に行き、アメリカで世界中から神のメッセージを受けているというスピリチュアリストが集まるイベントが開催された話しを聞いた。

誰が本当に神からメッセージを受けているのか見極めるための質問があるらしい。

チャネリングをしているときに「あなたは誰ですか?」と質問すると「わたしは神だ!」という人達はあまり信用できないと言っていた。

信用できるチャネラーは「わたしはあなたの友人です」と答えるらしい。映画の中でも同じようなことを言っている。

映画では、イケメンの神がバイクに乗って登場し、言葉を話し、直接アドバイスをして困難を乗り越えていくストーリーになっている。

実際、私達は神の姿を見ることも、声を聞くこともできないが、神が私達にいつも何をしているのか、映画の内容を日常生活に置き換えてみたい。

映画で神は万物に宿ると言っている。これは日本の神道も同じだ。

万物に宿るということは、神は素粒子のひとつひとつに宿る意識だと私は思っている。スターウォーズのヨーダは万物に宿る意識をフォースという言い方をしている。

神の意識はあらゆるところにあり、日常生活においても、たまたま見たテレビ番組、電車で目に入った中吊り広告や駅のホームに貼ってあるポスター、たまたま入った書店で手に取った本、レストランで隣の席から聞こえてきた会話、そうやって神は私達にコミュニケーションを取ってくるのだと思う。

私達に直接話せない代わりに、目に映るもの、聞こえたこと、直感やインスピレーションで伝えてくる。20代にインスピレーションは神の声と教わったことがある。

私は数年前に、鍼灸院の施術中にケルト人の過去世を見た経験をした。スコットランドの崖っぷちに立っている過去世の私が「神と宇宙を信じなさい」と、一言だけ言った後に全てが消えていき、はりとお灸をされている自分に戻ったことがある。

「神を信じなさい」というのは、どんな意味だったのだろうか、神の存在なのか、それとも神を信仰しなさいと言っていたのか、確実に言えるのは後者ではない。  

映画のテーマでもある、神の存在を信じることと、宗教は別問題だと思う。

映画にも出てくるが、熱心に信仰している人やお布施が多い人が、より神の恩恵が受けられるなんてことはあり得ない。

昔、こんなことがあった。先輩がある宗教に入り、1人暮らしのアパートに仏壇を置いていたらしい。私に「彼女が出来たときに仏壇がある部屋に呼べない」と泣きそうになっていた。処分すればいいんじゃない?と思ったが、そんなことをすればバチが当たるとか、魂的な何かを言われるのかもしれない。

友人が、ある宗教の御守りをしていたが、仕事中に同僚と喧嘩をしたときに御守りを地面に落としたらしい。神の代わりである御守りを地面につけることはタブーで、浄化するのが大変だったと言っていた。

私が思うに、神はそんなに器は小さくない。

神が罰を与えるというのは、宗教が作った妄想だ。

神を信じるということは、信仰心とは別なことだ。

数年前のインドでの学びで、ディバインを信頼してつながり、内なる意識の変容を起こすということを教わった。このディバインというのは「宇宙意識=創造主=神」だと私は理解している。



神とは、まずは信じて信頼することから始まり、とても現実的な生活の中にある。


私達が苦しんでいるとき、目の前の問題を乗り越えられるように、私達にいつも寄り添い見守り、ありとあらゆる方法を使い、メッセージを送っている。

ただし、神は自分達の都合のいいようにはしてくれないし、どんな悩みも解決してくれるわけではない。

常に内なる意識も観察し、選択する必要があると思う。神がどんなメッセージを送っていても、結局はすべて自分で選択している。

そう、いまの現実は全て自分が選択したことが実現している。

神社や、どこかの神にお願いした現実とは違う、悩みは解決していないと思うのであれば、万物に宿る神の存在に気付き、信頼して、いつもそばにいる友人のように、時には話しかけて、時には感謝して、身近に感じていれば、現実も悩んでいたことも、きっと視点が変わり新しい世界が広がると思う。

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