ワタリガラスと始祖の人間【ハイダグワイ移住週報#3】
15日目(2023/08/15)
晴天。毎日一度は雨が降るという話を聞いていたから、カラッと晴れた日はなんとか一日を充実させねば、という気分になる。
午前中は先週図書館で借りた文献と小説を読み込んで、午後からは芝刈りをする。実家の庭で芝刈りはしたことあるけれど、車が一台止められるくらいの芝生なのでたかが知れている。今の家の庭はサッカーコート半面くらいあるので、その芝刈りと言えば重労働である。
隣人の友人が遊びにきている。モニーとリアムはバンクーバー・アイランドからフェリーを乗り継いでハイダグワイまでやってきた。普段はヴィクトリアでBC州の公務員として働いている二人。公務員でも普通に三週間の休暇を取れる社会、素敵ですね。大きなトラックを乗りつけた二人は、当たり前のように大きな犬を連れてきている。しかも二匹。大型犬・ピックアップトラック・カントリーミュージックがカナダ人三種の神器である。
今の家には同居人と僕、そして犬猫の合計四人で暮らしている。今日はさらに隣人の二匹のゴールデン・レトリバー、そして遊びに来ている二匹。今までペットなんて飼ったこともないし、日本で見てきたのは飼い慣らされた家犬・家猫でしかなかったから、こちらのペットたちの「動物らしさ」には度肝を抜かれる。よく食べ、よく遊び、よく寝る。彼らにとっては最高の環境なのだろう。
16日目(2023/08/16)
裏の家にはルークとレイチェル、娘のエレーナ、二匹の犬が住んでいる。ハイダグワイ出身のルークは同居人のタロンとは十年来の友人で、タロンが三年前にハイダグワイを訪れた時に裏の物件を紹介したという。僕は彼らのお家に洗濯機を借りに行ったり、逆に犬や娘の子守りをお願いされたりとほぼ毎日顔を合わせている。
ルークはそのコーカソイド的な風貌からは見当もつかないが、彼はレイブン(ワタリガラス)のクランに属するハイダ族。
彼の父親がハイダ族の母(ルークからすれば祖母)の養子になったことで、彼らの家族はレイブンのクラン(族)に取り込まれた。ハイダ族は母系制の社会を生きている。母系制とは、母親の家系で家族や血族関係を構築する社会制度のこと。改めて考えたこともないが、僕たちが父親の苗字を名乗るのは僕たち日本人が父系制——父親の家系に基づく社会集団であるからである。この島では逆に、子供たちは母のクランに入ることとなる。
彼の父親はハイダ語(スキディゲート方言)保全プログラムの発展に尽力し、ほぼ流暢にハイダ語を操るのだという。ルークの本棚にはたくさんの例文集や辞書がある。ちょっと読んでもいいかい、と聞くと快く貸してくれた。
ちなみに彼は家族でカヤックツアー会社を数年前まで経営しており、ルーク自身もユーコンやグランドキャニオン、ナイル川を漕いできた生粋のカヤッカーだ。ハイダグワイを漕ぎたくて今年カヤックを習い始めてここまできたんだ、と話すとたいそう喜んでくれて、手取り足取りナビゲーションのことを教えてくれる。心強い隣人だ。
17日目(2023/08/17)
庭の片付けがひと段落して、さくらんぼの木に腰掛けて本を読む。装丁が素敵で手に取ったエミ・ササガワの「Atomweight」、本当に面白い。この本についてはまたほかで書こうと思う。
そういえば、去年のこの時期はスウェーデン北極圏にいた。クングスレーデンというクラシックトレイルを一週間歩いていたようだ。去年スウェーデンにいたときには今年ハイダグワイにいるなんて一片たりとも予想できなかっただろう。それでも懲りずに、僕はまた極北の地にいる。
短い夏の、永遠に続くと思える一日。森も、川も、海もいのちに満ちる。人々は扉を開け放ち、ベリーを摘んでジャムを煮詰め、サーモンを釣って燻製にし、流木を割って薪にする。来たるべき冬、ぴたりと扉を閉じて春の訪れをじっと待つために。極北の大地が僕を魅了するのは、その目的意識に満ちた夏である。
18日目(2023/08/18)
「氷が溶け、大洪水が終わり、ナイクーンの浜も姿を現した。遠浅の海岸には、引き潮になれば多くの海の幸が打ち上げられる」
眼下に見下ろすのはハイダグワイ北岸、ナイクーンの砂浜。東に進めばローズスピット、北西端に辿り着く。ここが最初の人類の誕生——ハイダ族の誕生の伝説が生まれた場所だ。朝にオートミールを食べていると、窓に差し込む朝日がとても綺麗だった。この光はぜひ良いトレイルでカメラに収めたい——そう思ってすぐハイキング・ブーツを履き、車のキーを取った。
「たくさんのごちそうをむさぼっていたワタリガラスは退屈していた。空に太陽を、星を、月をちりばめてこの世界は光に満ちたのに、砂浜のうえには彼だけ。何か面白いことはないのだろうか」
ワタリガラスは世界の創世主として、ハイダ族の神話において最も重要な地位を占めている。とはいえ、「崇高な創世主」というよりは好奇心が強く、いたずら好きで、姿かたちを変える不思議な動物として描かれている。
僕が歩いてきたのはトウ・ヒルというトレイル。名前の通り、海岸にぽつんとタワーのように聳える崖である。15,000年前に最終氷期が終わり、氷河が後退する際に柔らかな地面が削り取られて北部の平原が作られたが、非常に硬い溶岩の部分だけが取り残され、150メートル近い断崖絶壁が作られたというわけだ。
「ふと耳をすませると、どこかから物音がする。どうやら浜に埋まった貝の中から聞こえてきているようだ。ワタリガラスが貝の中を覗くと、ちいさな生き物たちがひっそりと隠れている。ワタリガラスはその生き物たちに甘い声で語りかけ、だまし、外に出てきて一緒に遊ぼうと呼びかけた」
晴れ渡る日にはカニを取り、ウニを取り、はまぐりを取ることのできるいのちの宝庫になり、風の吹く日にはこの世界の果てにいるということを否が応でも思わせるこの場所は、きっと物語を始めるのにぴったりの場所だっだのだろう。
「やがて、その生き物たちは恐る恐る貝の中から出てきた。彼らには羽もなく、くちばしもない。彼らこそが最初の人類、ハイダ族なのであった——」
“The raven and the first men” (Sign on Naikuun Ecological Reserve)
19日目(2023/08/19)
ポールの一番上には三人のウォッチメンが座っている。六年前に建てられたポールということもあり、色彩も未だ非常に鮮やかで、何が彫られているかを容易に推測することができる。
ここはヒーレンの村。北端の街、マセットから車で20分ほど東に行った場所にある。今では人は住んでおらず、キャンプ場の一角に伝統家屋の「ロングハウス」がちょっとしたメモリアルとして建てられている。その村跡の玄関口に佇むのがヒーレン・ポールだ。1920年に朽ち果て、倒壊してしまうまで一世紀に渡りヒーレンの村を見守り続けていたという伝説のポール。それを倒壊から百年ほどたった2017年、現代のハイダ族のカーバー(彫刻家)が復元させ再建された。リード・カーバーのキルスグーランズ・クリスティアン・ホワイト、そして三人のアシスタント・カーバー
がこの一本の制作に携わったという。
モチーフとなっているのは熊猟師の話。
三人のウォッチメンはきっと百年後も、この場所から世界を監視しているはずだ。このポールが色褪せ、朽ち、倒れんとする時、きっと僕はもう生きていないかもしれないな。このポールの後には誰が、何をモチーフに新しいポールを掘るのだろうか。
20日目(2023/08/20)
昨晩のポットラッチに引き続き、今日はハイダ・デイなるお祭りだ。とはいえ開催第一回目らしく、主催者側はてんやわんや、参加者は手持ちぶたという状況。このアンオーガナイズ感がなんともハイダグワイという感じである。
皆を指揮している大柄な男にステージの搬出をするから手伝ってくれ、と言われて超大型のピックアップ・トラックに乗り込んだ。セシルはオールドマセット出身。今ではオールドマセット村評議会の議員を務める、地元のリーダーのひとり。川が見える丘の上に小綺麗な家を持っている。庭にはまだ新しいポールが訪問客を威圧するかのように立っている。
ある程度の搬入が終わると、彼の家へ朝食に招かれた。ソックアイ(紅鮭)のマリネのサンドウィッチ、そしてハリブート(オヒョウ、大型のカレイ)を薄くスライスして乾燥させたもの。シンプルだからこそ、この場所の素材の味をそのまま楽しむことのできる贅沢な朝食だ。
「俺はレイブン、妻のグエンはイーグル。同じクランでの婚姻は禁忌なんだ」ハリブートの燻製にバターを乗せながら、セシルが僕に教えてくれた。ハイダ族はレイブン(ワタリガラス)、イーグルのクランに二分されており、クランをまたぐ形で結婚は行われる。長い歴史の中で生まれた、近親婚を禁止するための禁忌なのかもしれない。
僕はそのことを本で読んで知っていた。ただ、現地でその社会を実際に生きている人の口からそのことを聞いたとき、僕の中の知恵が確かな重みを持ったかのように感じたのである。
21日目(2023/08/21)
西海岸で釣ったマグロ、川沿いで採れたラズベリーとグースベリー。冷蔵庫の野菜を刻んで、少しの塩と村の人がくれた自家製マヨネーズで和えれば、立派なサンドウィッチの具になる。冷凍庫の大量のサーモンとハリブートを、今年のサーモンの遡上までに食べ切らねばならない。あと二週間ほどだろうか。
海の豊かさこそ、気候的にも地理的にも生活に適しているとは言い難いこの孤島で、ハイダの文明が繁栄を見た一つの大きな要因である。日本からアリューシャンを超えてやってくる黒潮は、ハイダグワイ沿岸に豊かな漁場をもたらす。ザトウクジラは冬にメキシコやハワイ、小笠原近海で繁殖に励むため、夏にはハイダグワイの海でしこたま食べる。秋には太平洋に生息する五種類のサーモンすべてが遡上し、彼らのもたらす窒素循環こそが豊かな森を育む。
昨日のイベントであったセシルも、先週バンクーバーに行った時の飛行機代はハリブートの切り身で払ったんだぜ、と得意げに言っていた。魚は生きる糧であり、プライドであり、物々交換のアイテムでもある。
ハイダ語に「飢え」に関する言葉はない。飢餓という概念も言葉も持たなかったことから、いかにこの島の文明が「食料の不安」から解放されていたかを見てとることができる。だからこそ、彼らには時間があった——ポールを彫り、物語を編み、文化を耕すための時間が。
-参考
Dowie, Mark (2019) ”The Haida Gwaii Lessons - A Strategic Playbook for Indigenous Sovereignty.” Inkshares
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