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ドアベルはまだ鳴らない

古本屋があった。

最寄り駅からの帰り道に小さな古本屋があった。賑やかな駅前通りのちょうど真ん中にひっそりと佇んでいた。
店の名前は日葉堂。
ガラス張りの扉からもれるオレンジの光が好きだった。小さな頃から母に手を引かれ店の前を通っていた。ワゴン車に積まれている本が頭の上にあった頃から。 

中学生になって塾に通うようになった。      少し遠回りだったが、必ずその店の前を通った。小さな店の中にはいつも人がいたし、ワゴン車の本も頻繁に変わっていた。これは後から知ったことなのだが日葉堂は古本コレクターの間でそこそこ有名な店らしい。所狭しと並ぶ本たちと長屋のように奥行のある店内。いつしかそこは私の憧れの場所になっていた。いつか、いつか大人になったらあの扉を開けよう。そう決めて高校生になった。

 高校1年生の夏。久しぶりに日葉堂の前を通った。その頃は何故か本を忘れていた。あんなにずっと一緒だったものたちのことは頭の片隅にもなかった。だから日葉堂の前を通った時思わず足を止めてしまった。店から零れるオレンジの光が陽炎みたいに漂っていた。何度かワゴン車を覗いたことはあったが、初めて1冊ずつ題名を読んだ。相変わらず難しそうな本ばかり。しかし、隅の方に何冊か高校生でも読めるような本が並んでいた。「猫の通り道」。その頃流行っていた哲学の入門のような本だった。文字数も少なく読みやすいと誰かが言っていた。買ってみようか。そう思ったのは必然だった。

未だ値段が分からない本を持って扉を押した。カランコロンとドアベルが鳴り、心地よい冷気に包まれた。店内に入るとすぐにレジがあった。いかにも人当たりの悪そうなそうなおばさんが怪訝そうな目でこっちを向いた。急いで本を渡すとおばさんは馴れた手つきで裏表紙を捲り、手描きの鉛筆文字を指さした。108円だった。予め握りしめていた500円玉を渡し、お釣りをもらった。おばさんからは仄かにサイダーの香りがした。      店内には珍しく誰もいなかった。本棚に入り切らず積み上げられた本達と2階へ続く階段がどうしようもなく魅力的だったが、踵を返した。おばさんはもうメガネを掛けて本を開いていたし、オレンジの光も心なしか薄くなったような気がした。 

むっとした熱気に包まれて車の音が聞こえた。戻ってきた。と思った。プールでクロール25mを泳ぎ終わったような感覚だった。店の中は水でいっぱいで精一杯手足を動かさなければ進めなかった。あの店で平泳ぎはまだ出来そうにはない。

 あの日から何年か経って私は大人になった。日葉堂は相変わらずそこにある。心を亡くしそうな帰り道は必ずワゴン車を覗いた。けれどカランコロンの音は聞かなかった。          もう少し大人になったら。そう思っていつも手元の本をワゴンに戻した。 

あと何年たったら扉を開けられるだろうか。でも、今はまだいい。まだ大人でなくてもいい。ワゴン車の本を見ているとそう思う自分がいる。そしてそんな自分を楽しんでいる自分がいる。だからもう少しだけこの消えそうなオレンジの中で揺らめいていようとかなと思う。 そうして私はまた踵を返すのだった。  

ドアベルはまだ鳴らさない。



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