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寛容派の役割

まずはこちらの記事をご覧ください。

私自身はトータルで言うと
「寛容派」に近い人間です。

言い方をかえるとミーハーです。

厳格派の方々が守っている
古いしきたりや決まり事
細かいルールなどは
内心「くだらない」と思っていて

新しいことや違う文化に触れて
アップデートしていくことこそが
素晴らしいことだと考えている方なので

むしろ自分の環境を
愚痴を言いながらも変えようとしない人や
住む場所をずっと変えない人
地元から出ない人などを
内心見下していたりもしました。

ただこれは私が人生の若い時に
「生まれ育った土地を離れる」という
不本意な出来事を経験したからこそ
育った価値観かと思います。

日本において私と同じような経験を
している人というのは
あまり多くないと感じます。

それでも日本は世界的に見ると
行こうと思えば
いろんな国に行き来できるし
宗教やしきたりが厳しくて
行動を制限される人も
現代ではほとんどいないので
自由な国であると言えますが

それでも寛容派は
そんなに多くないなと感じるので
世界的に見ると
寛容派はあまり多数派ではないのでしょう。

ただ私が前回述べたとおり
普及や外部とのコミュニケーション
取り入れやすい仕組みを作る役割がある
寛容派は
他文化民との緩衝材としての
役割も果たしていると思うので

寛容派が少なすぎて
直接厳格派がぶつかり合うことになると
それ自体が戦争の引き金になりかねません。

私が思う「治安の悪い地域」というのは
異文化同士の厳格派が
緩衝材なしにぶつかり合っている地域だと
思うんですね。

そこには「貧困」という
要因も加わってくると言われますが
この「貧困」に関しても
あくまでひとつの要素にしか過ぎません。

たしかに経済的に潤っている方が
心にも余裕を持てて
「寛容派」がたくさん生まれそうですが

逆にその富を手放しまいとする
「厳格派」が生まれることもありますし

コンゴのサプールのように
貧困の中から「寛容派」が
生まれることもあります。

これはヴィクトール.E.フランクルの
「夜と霧」にも同じようなことが
言われていて
結局は私たちの心情や
物事の捉え方によるところが
大きいかと思います。

何が言いたいかと言うと
多少は文化や伝統を重んじることも大事だけど
これからの時代は
それぞれの文化を受け入れて
新しいものを作り出す
「寛容派」がもっと増えていかないと
間違いなく戦争の時代に突入する

ということです。

私が日本にとって遠い存在である
イスラム教国家の寛容派である
UAEに導かれたのは
そういう意味があったんじゃないかと
感じ始めています。

私は寛容派として
人々を「許す」「受け入れる」
姿勢をこれから特に大事にしていきたいと
感じました。

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