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あちらのお客様からです(戯曲)

 舞台には、バーのカウンターがある。
 一人の男が酒を飲んでいる。
 マスターは黙って話を聞いている。

男:それで俺言ったのよ、別に、俺は特にそんな食べたいものとか、行きたいところとかあるわけじゃないし、合わせるよ。君に合わせるよって言ったのよ。そりゃ、内心ね、あったよ、食べたいものも、行きたいところも。でも、向こうは山菜なんて食べないじゃない。食べないのよ、マスターは知らないかもしれないけど。それに、まさかさ、最初っからホテルに行きたいんですけどって言うわけにもいかないじゃない。いかないのよ。ホテルに行きたいときにさ、最初っからホテルに行きたいって言っちゃいけないのよ。知ってんだから。俺だって、さすがに慣れてきたんだから、最近。そしたらさ、そしたら、向こうなんて言ったと思う?

 マスターは、グラスを磨きながら優しく微笑むだけである。

男:ひどいのよ。お前、マジでつまんねえなって。そんな、そんなこと言うことなくない?ないでしょう。これ、モラハラってやつだよ、これはね。というか、こっちが何か言ったところで「でもー。」とかなんたら言うんだから、それはさ、それはどうなんだろうって思うよ。だから、もうそこで終わり。会うまでいかなかったの。今日は。

 マスターは、グラスを磨きながら優しく微笑むだけである。
 マスターは、他の客に呼ばれたようである。

男:だから、本当ならね、マスターね、今日はもうとびっきりの美女連れて来て見せたげようと思ってたんだけど・・・あ、あ、いいよいいよ。そんな、気にしないで向こう行って大丈夫大丈夫。ごめんね、ごめんごめんなんか引き止めちゃって。

 マスターは男に会釈して舞台を去る。
 男は、グラスを飲み干してため息をつく。

 マスターが戻って来て、男に酒を出す。

男:え、頼んでないけども。

マ:あちらのお客様からです。

男:ええ?あらなんかどうも、すみませんなんか。あら、お話聞かれちゃってたかしら。これちょっと、あらら恥ずかしいな。いやどうも、せっかくなので失礼していただきやすね。

 男は、客のいる方に向かってペコペコ頭を下げる。

男:いやどうも。ワタシ、遠慮できないタイプなんですもう。くれるって言うもんは何でももらっちゃうんです。SDGsなんですワタシ。あははははは。・・・いやー・・・でもねえ、最近ね本当にね、毎日家にいても退屈なんだわ。やっぱり、もっと早く結婚でもしておけば良かったのかなあって思うのよね。ほら俺、趣味ないじゃない。ないのよ。実は結構仕事人間なのよワタシ。家でもずっと仕事してるんだから。でも、まあなんというの。この歳になってくると、なんだろうね、仕事してるだけで上にいけるかって言うとそうじゃないんだなってことが分かってくるのよね。結婚して所帯持ってるやつの方が昇進してたり、あとは、なんだ、趣味とかで社内の人間関係充実しているやつがさ、うまいことこれまた上司と仲良くしてよろしくやってんのよ。最近なんてさ、オタク趣味っていうの。あんなのでも市民権得てるもんでさあ。昔だったら、いい年した大人が漫画読むなんて考えられなかったけどね、今じゃ、昼休みに漫画片手に談笑して(マスターが他の客に呼ばれる)・・・ああごめんごめん、またやっちゃってもう、行って行って。

 マスターは男に会釈して舞台を去る。

 マスターは段ボール箱を抱えて持ってくる。
 マスターは男の前に漫画を並べ始める。

男:え、これ。

マ:ワンピースです。

男:あの、頼んでないけど。

マ:あちらのお客様からです。

男:えそんな、あらららら、すみませんもう、声が、声がね大きくてもう。いやあこんな、いやー、これ、全巻セット?あ、全巻セット。まあすみませんね、いやほんとうに。え、今何巻ですか?・・・あ、101?すごいなそれ。ワンちゃんじゃないですか。ワンピースじゃなくて。ええ?いやいや、101巻ワンちゃんって。ねえ。・・・ねえほんとうに。いやあ、じゃあ。すみません、申し訳ないですけど、失礼していただいちゃいますね。すみませんね。

 男はワンピースを片手に酒をあおる。

男:これねー。いいねえゴム人間ね。俺もゴム人間なりたいもん。ね。テレビのリモコンから隣の部屋の電気からもう、点け放題消し放題でね。いやさ、ほんと、独り身のつらいところは実はそこだと思わない?思うのよ。今だけはどうしても、本当にどうしてねえ、立ち上がることもしたくねえってタイミングがさあ、あるでしょう。ねえ。・・・・・・でも本当に・・・なんだっけ。そうそう、こういうね、漫画読むってのもいいけどね。本当はこうね、技術が必要っていうのかな。なんというか。やればやるほど、自分が研さんされるような趣味がさ(マスター呼ばれる)ああもう、もうそんな、そんなのね、俺のこと気にする必要ないからそんな。常連ったって、あんたそんな。そんなねえ。俺なんて、ほら勝手に酒作って飲んじゃうからもう俺は。

 マスターは別な客の方に会釈し、カウンターの下から品物を取り出す。

男:これ、なに。

マ:写経セットです。

男:え、頼んでないけど。

マ:あちらのお客様からです。

男:ええ、まあまあまあまあまあ。すみませんどうもこれは。あれまあ。あの方、仏像じゃなくてお客様だったのね。俺勘違いしてたよ。マスター急に趣味変わったなんて思ってたけど。あら、すみませんどうもそんな。いやあ神々しいなあ。頭頂部のその、モコっとしているのは、それどちらの美容院ですかなんてね。じゃあ、申し訳ないですけど、ええもう。いただきますね。すみませんねどうも。どうも本当に仏様みたいな人だね。

 男は写経しながら酒をあおる。

男:いやあ何年振りか分からないよ俺は。筆なんて持つのさあ。いやはやなんだか緊張しちゃうね。あの頃はさ、緊張なんてしたことがなかったもん。緊張なんて言葉すら知らなかったからね俺は。小学生の頃じゃないよ?・・・大学生の頃だよ。それがまさか、こんな、ね、んん、これ、これどうなってんだろね。よく分からないけど、こんな感じかな。・・・あーいいね。こらあいい刺激だよ。そうなんだよ・・・そうなのよ。最近ね、刺激不足の毎日なのよマスター。なんも、代り映えのしない日常を送っているのよ。あらら、なんだかJポップみたいなこと言っちゃったね。でもね、ほんとよ。平穏でさあ、危険もないけど、刺激もない、そういう毎日・・・(マスター呼ばれる)そんなもういちいち、マスター、何年の付き合いよもう!そんな申し訳なさそうな顔されたら、俺なんてどんだけ謝らないといけないのよもう。

 マスターは別な客の方に会釈し、カウンターの下から品物を取り出す。

男:ん、なにこれ。

マ:スタンガンです。

男:いや、頼んでないけど。

マ:あちらのお客様からです。

男:ええ!?ああもう。すみませんねどうも。いやあやっぱり、やっぱり俺の声がでかいんだねもう。違うよマスター、店が狭いって言ってるんじゃないってば。もう。そんなこと言うわけないじゃないの。いやいやすみませんねどうも。あら。なんだかあなた、それとっても洒落たマスクじゃないですか。ええ。目と口しか見えなくって、とっても男前ですよ。うんもう。右から見ても左から見ても立派な強盗ですよ。そうそうそうそう、店に入って来たときも本当にびっくりしたんですよ。アンタ、まさか覆面してマスターとにらみ合ってて、それで犯罪行為が行われていないとは思わないじゃないですか。2人の間にある将棋盤になんて絶対気付かないんだからそんなん。いやじゃあ、失敬してね。私もちょっとお刺激の方をいただきまして、一発びりっといただいちゃいますよ。え?大丈夫大丈夫。言ってませんでしたっけ。俺、ゴム人間だから。

 男はスタンガンの電源を入れ、電気の流れている部分にチョップする。

男:ぎゃああ

 男は床に倒れ込み、しばらくけいれんしている。

 マスターは、グラスを磨きながら優しく微笑むだけである。

 男はゆっくりと立ち上がる。

男:き、効くねえ。これ、ええ、ちょっと、スピリタスなんて目じゃないよ。しかも、抜けた後も、これ全然悪くないね。いやあ気分爽快。ちょっとマスター。俺、この店の隣でスタンガン屋開いちゃおうかな。そしたら困るよマスター。商売あがったりだよマスター。ね。困っちゃうよねマスター。いやでも・・・今、なんだろね。今さ。一瞬、すげえ綺麗な花畑にいた夢見てさあ。いやあ・・・死んだはずのおふくろまでいるんだもん。でも、おふくろ、寂しそうだったな。そりゃ一人息子が、独り身じゃ安心できねえよな。

 マスターは別な客の方に会釈し、カウンターの下から品物を取り出す。

男:ん、なにこれ。

マ:奥様です。

 女性はカウンターに座って頬杖をつく。

男:いや、頼んでないけど。

マ:あちらのお客様からです。

男:ええ、いいんですか!たははは。またまたこれは、いやすみませんね。分かってるんですよ。分かってて「え?頼んでないですけど。」とか言ってるのワタシは。だってもう、それくらいは言っておかないと。失礼じゃないですか。すみませんねどうも。いやせっかくなので、はいもう、今日は籍だけでも入れて帰ろうかなと思います。(女性に向かって)いやあどうも、ちょっといかがですか、御気分。

 女性は何も答えない。

男:なになに。無口?めちゃくちゃ気が合う。あのね、僕もね、無口なの。がははははは。うそうそ、冗談冗談。そうなの。僕ね、おしゃべりよ。相当なおしゃべり。もうね、おふくろが言うにはあんたは口から生まれてきたって。でね、体が全部出るより先に「看護師さん、密です。」って言ったんですって。がははは。うそうそ。でもお喋りなのは本当でね、うわさによると眠ってるとき以外はずっと喋ってるらしいの。でも、友達が言うには俺ね、夜もいびきから寝言からすごいらしいから、もう死ぬまでお前が静かになることはないなって言われてるから。だから、だから俺、お前に寂しい思いはさせないと思う。

 女性は何も答えない。

男:お近づきのしるしに聞きたいんだけど。子供は何人ほしい?

 マスターがカウンターの下から5歳ほどの男女の双子を取り出してカウンターにのせる。

マ:あちらのお客様からです

男:マスターまでもう、俺のリアクション待たなくなっちゃったじゃない。ええ?「え、なんですか。」とか「頼んでませんけど。」とかまだ言ってないのに。いやすみませんね。2人も!双子ちゃんか!え、二人はおいくつ?

 双子は何も答えない。

男:もうお父さんとは喋らない期?成長早いんだからもう。ちょっと目を離すとこれだもん。君たちね、あのね、ちょっと前までは「パパだっこパパだっこ。」ってうるさかったのにもう。もうこんなんになっちゃってもう。ねえママ。

 女性は何も答えない。

 双子の片方が男にスタンガンを当てる。

男:ぎゃあああ

 男は床でけいれんする。

男:ちょ、ちょっと、さすがにスタンガンをね、無言で当てるのは良くない。良くないよ。象に「みみはなでか太郎」って名前付けるくらい良くない。まーたおふくろに会えちゃったよ。この親孝行者め!父ちゃん喜ばせて何かほしいものがあるってか?んん?言ってみなほれほれ。なに?何がほしいの?新種?新種の虫?

 双子はワンピースを読んでいる。

男:そうそう。まさか俺もさ、女に振られたその日に美人の奥さんもらって二児の父になれるだなんて思ってなかったよ。ワンピースっていうのは、多分こういう、家族との絆みたいなもんなんじゃないかな。いやあ、おふくろにも見せたかったな。おふくろね、昨日死んじゃったから。ほんと惜しかったね。

 マスターはカウンターの下からおふくろを取り出す。

男:おふくろじゃん。

マ:あちらのお客様からです。

男:いやいや、おふくろくらいはさすがに俺から出させてもらいますよこれは。これはさすがにおごっていただくわけにはまいりませんよこれは。すみませんね。悪しからず。ちょっとおふくろ、ごめんね昨日死んだなんてうそついて。まだ生きてるのに。たははは、なんてもうすみません何度も。おふくろ死んで、もう10年かね。俺、優しいお客さんたちにおごってもらってようやく家族が持てたよおふくろ。

 おふくろは何も答えない。

男:ちょっと、夢だったからさ。家族みんなで写真撮っていい?マスター、お願い。

 男は、カウンターのテーブルの上に座っているおふくろと男女の双子と女性たちの間に座り、マスターに向かってピースする。

 マスターは優しい笑みを浮かべ、カウンターの下から一眼レフを取り出す。

マ:あちらのお客様からです。

 マスターは連写する。

 男はポーズをいくつも作るが、他の4人は無言無表情である。双子はワンピースを読んでいるが、途中で男にスタンガンを当てる。

男:ぎゃああああ

 男はカウンターから床に転げ落ちる。

男:これは、これはちょっと温厚な父上でも、これは親として怒るところだと思っちゃうぞ。しかも、またおふくろに会ったんだけど、そうすると、ここにいるおふくろはなにってことになっちゃうじゃんね。怖い怖い。ねえママ。

 女性は無言である。

男:ああ俺今。今最高に幸せかも。家族もいるし、刺激的だしもう、もう俺、どうせいつか死ぬなら今が良いね。

 マスターはカウンターの下から拳銃を取り出す。

マ:こちらは、当店のサービスです。

男:またマスターったら。じゃあ遠慮なくもう、いただいちゃおうかな。

 マスターは拳銃を連射して男の体を何度も撃ち抜く。

 男は、床に倒れ込む。スタンガンを食らったときと同じようにけいれんするが、けいれんが止んでも起き上がらない。

 舞台が静かになる。

 双子はワンピースとお経を読んでいる。

 マスターは、グラスを磨きながら優しく微笑んでいる。



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