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第29節 人はそれぞれの道に従う

*この物語は、大学3年生の「僕」と「僕の中にいる老子さん」との間で繰り広げられる脳内会話のフィクションです。

主人公の僕は「僕の中の老子さん」の指令を受けて旅に出ることになり、船に乗って小笠原諸島の父島に向かい、旅の経験から「幸せ」とは何かを見つけようとしています。

今回は、前回の「ほんとうに完成しているものは、欠けているようである」の続きになります。


僕は、ダイビングショップのダイスケさんの紹介で仙人と呼ばれている人を訪ねることになった。

ダイスケさん曰く、その仙人と呼ばれている人は、単に髪や髭を伸ばし放題で見た目が仙人なだけで、実際には普通の初老のオジサンなんだそうだ。

父島に来る以前は東北地方の高校で校長先生をしていたようで、きっといろんな話が聞けるんじゃないかということで僕に紹介してくれた。

その仙人と呼ばれている初老のオジサンの家はダイスケさんのショップから歩いて15分ほどのところの少し小高い丘の上にあった。

ダイスケさんから教わった道をただ歩いていくと、庭で空に向かって手をかざしている髭の長い初老の男性がいたので、すぐにその人が仙人だということが分かった。

家の表札には「サイトウ」とあった。

僕は、サイトウさんと思われる見た目が仙人のオジサンに声をかけて、ダイスケさんの紹介で訪ねてきたことを告げると、嬉しそうに微笑んで家に入るようにといって僕を促がした。

サイトウさんは、ダイスケさんと同じように空き家になっている家を賃貸で借りているといっていた。

サイトウさんは、生れてからずっと雪の多い土地で暮らしていたから、少しの間だけでも一年中暖かい場所で過ごすのが夢だったそうだ。

お子さんはもう独立しているし、奥さんとはわけがあって離婚されたそうなので独り身だから今は自由に暮らせているといった。

でもやっぱり、ひとりで暮らしていると話し相手がいなくて寂しいから、こうして人が来てくれると嬉しいという。

特に、君くらいの年齢の若者と話すのは楽しいんだよ、といって笑った。

僕は、サイトウさんが庭で空に向かって手をかざしていたことが気になったので何をしていたのか尋ねたところ「ああ、あれか。あれは雲消しだよ」といった。

サイトウさんは、空に浮かんでいる雲を「念」で消そうとしていたんだと説明してくれて「なかなか消えてくれないけど」といって笑った。

それから、僕は延々とサイトウさんの話を聞くことになった。

どうやら、サイトウさんは話し好きの人のようだ。

サイトウさんは、学校の朝礼で長話をするタイプの校長先生だったということが容易に想像できた。

それでも冷蔵庫から昨日の残りだといって刺身を出してビールを勧めてくれたり、出前でラーメンや餃子を頼んでくれたので、僕はそれだけで十分に満足できた。

サイトウさんの家に着いたのが2時過ぎで、夕方にダイスケさんのところに行く用事がある(本当はなかったけど)といって家を出たのが夕方の6時頃だったので、およそ4時間、サイトウさんの話を聞いたことになる。

サイトウさんは、学校での役職が就く前はずっと野球部の監督をしていたそうで、サイトウさんが見てきたという生徒の話が特に印象に残った。

サイトウさんがまだ30代だったころ、逸材と呼ばれる生徒が入部してきたそうだ。

サイトウさんが勤務していた高校は公立高校だから、逸材といっても私立高校に野球推薦で入るような選手に比べると劣る部分はあるけれど、その選手は育て方ひとつで大化けするかもしれないと内心思ったそうだ。

まだ血気盛んだったころのサイトウさんは、何とかその選手を大成させようと試みたそうだ。

でも最終的には、サイトウさんの思う通りにはいかなかった。

というのも、その生徒は野球はあくまでも高校時代の思い出作りであって、将来は科学者になりたいという思いがあったからだそうだ。

逸材の彼は野球で名を馳せたいという思いが皆無だったから、サイトウさんの思いは、所詮、暖簾に腕押しで終わったそうだ。

それから、数年経って中学に野球部がないという学校からやってきた初心者の生徒が一人、入ってきた。

彼は全くの野球素人だったけど、野球が好きで好きでたまらなかった。

体格的には小柄だったけど自然豊かな場所で育ったこともあって、動きが俊敏なのが特徴的だった。

入部当初は、当然、何をやっても上手くいかなかったけど、それでも彼の頭の中は野球のことしかなかったから、日に日に上達していくのが目に見えて分かったそうだ。

それから彼が3年生になるとキャプテンとしてチームを引っ張り、その学校初の県大会ベスト4という快挙を成し遂げたそうだ。

その彼は、一浪して大学の野球部に入って卒業する時にはもしかするとプロからの声が掛るかもしれないと言われるくらいになった。

結局、彼がプロに行くことはなかったけれど、社会人野球で活躍したこともありサイトウさんは東京ドームに応援に行ったといっていた。

サイトウさんが逸材と呼んでいた選手の経験があったから、それ以降は、選手一人ひとりの考えに合わせた指導をするようになったそうだ。

だから、社会人野球で活躍するまでになった彼には、基本的には何も教えることはなかったのだそうだ。

なぜかといえば彼は、自分でなんでも調べて挑戦するから、サイトウさんがあえて何かをいう必要がなかったからだ。

ただ、彼によくいっていたことが「早く返れ、もう終わりにしろ」ということだった。

サイトウさんが逸材と呼んでいた生徒は今、研究者として働いているし、野球好きの彼は、現在、所属していた社会人野球のチームの監督をしているそうだ。

サイトウさんは、彼らから指導者が出来ることは実際にはほんの少ししかなく、無理に口出ししたところで、所詮、生徒たちの考えが重要で、その思いを応援してやることしかできないんだ、と実感したそうだ。

だから、サイトウさんはまずは生徒の話を聞いて、その思いに応じた指導を心掛けたと語っていた。

サイトウさんは、二人の選手から、才能のある選手を大化けさせようとするのは指導者のエゴでしかなく、本当に伸びていく選手は勝手に伸びていくものだし、道を間違えないようにさせることが指導者の役目なんだということを学んだといった。

僕はサイトウさんの話を聞いて、老子道徳経の一節を思い出した。

僕は、サイトウさんの家を出たあと、酔い覚ましに砂浜に行って夜風を浴びた。

これから先の人生は、自分がどうしたいのか、どうなりたいかで決まるんものなのかもしれないと思った。

僕は夜空に浮かぶ雲に手をかざし、「雲よ消えろ」と念じてみたけど、雲は僕の思いとは無関係に風に吹かれて漂っていた。


*文中の行書体で書かれている文章は老子さんの超訳本である「老子 あるがままに生きる」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から引用させて貰っています。




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