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6)「横並び」でなく「喜び」で生きる

今日は、「横並び」ではなく「喜び」で生きるということについて書こうと思う。

今回、このことを書こうと思ったのは「よこならび」と「よろこび」が駄洒落のようだったからだ。

しかし、もちろん、書きたいことの本意はそこではない。

なぜなら「横並び」と「喜び」はその性質が真反対だからだ。

だって、人が感じる「喜び」を「横並び」には出来ないでしょ。

人はそれぞれ「喜び」と感じることは違うし、それを無理やり「横並び」にするのは不可能だから。

でも、これまでの社会は「横並び」が善しとされる時代だった。

誰もが同じような意識を持って生きた方がいいとされてきた。

では、なぜそういう意識が生まれたかというと、ひとつには誰もが同じ意識、同じ目的を持っていた方が目的達成がしやすいからだ。

そして、昭和の初期から中期ごろにかけては多くの人が同じ目的意識を持って生きていたといっていいだろう。

そういったこともあって、太平洋戦争で焼け野原となった日本を復興するために、みんなが同じ意識になって国や経済の立て直しを、ある意味では、最速で出来たんだと思う。

そうやって、みんなが一緒になって頑張っている時代は楽しい時代だったかもしれない。

でも、日本という国が安定するにつれて、「みんな一緒に」という「横並び」の意識は薄まっていく、1960年代頃の若者は「横並び」の意識に警鐘を鳴らし、一人ひとりがそれぞれのやり方で生きていったもいいんじゃないかといって学生運動を始めることになる。

では、なぜそういった思いが生まれたのかというと、日本という国が豊かになったからだ。

国が豊かになるということは、ひとつの目的が達成されたことになる。食べることに困らない、生活に必要なインフラが整っている、病気になったら通える病院がある、といったライフラインが整うと、国は国としての目的を達成することができたことになる。

江戸時代に元禄文化や化政文化が生まれたのは、当時の日本が安定していたからだ。

大正デモクラシーが生まれたのも、世の中が平和だったからだ。

世の中が平和になると、それぞれにそれぞれの「喜び」を追求して生きたくなるのが、人の本能といってもいいだろう。

その反対に、戦争が起こったり、国としての経済が落ち込んだりすると、人の意識は「横並び」になるものだ。

「みんな意識を一つにして、頑張っていこう!!」となるのだ。

でも、戦争がなくなり経済が安定すると、新しい文化が生まれるのは、人が本来持っている「喜び」で生きていきたいという本能が顔を出すようになるからだ。

昭和のバブル期も、そういった安定の上で生まれた「喜び」の現われだったといってもいいだろう。

人の本能の中に、何かを表現して喜びを感じたい、という思いがあると僕は思っている。

だから、世の中が安定すると、みんなの心の中から、何かを表現して喜びを感じたい、という思いがむくむくと浮かび上がってくるものなのだ。

そして、この、何かを表現して喜びを感じたい、という思いは人間が人間として存在する上で、欠かすことのできない思いなのだ。

1960年代の学生運動の頃の若者に限らず、いつの時代の若者も、何かを表現して喜びを感じたい、と思って生きている。

そういった思いは、時代を超えて、いつの時代の若者は持って生きているのだ。

さらに、こういった思いは若者だけが持っているわけではない。

老若男女誰もが持っている。

なぜなら、それが人間の本能だから。

でも、大人になるとそういった思いを押さえてしまうから、何かを表現して喜びを感じたい、という思いが若者の特権のように見えてしまうだけなのだ。

でも、今は誰もが何かを表現して喜びを感じたい、という思いで生きられるようになっている。

日本という豊かな国では、今、誰もが何かを表現して喜びを感じることができるようになっている。

だからこそ、もう「横並び」は必要ないといっていいだろう。

なぜなら、誰もが「自分にとっての喜び」を表現していい時代になっているからだ。

自分が楽しいと思うこと、嬉しいと思うこと、夢中になれることで、「喜び」を表現し、それで世の中に貢献していけばいいという時代になっているのだ。

表現とは、芸術という意味ではない。

家事や育児、食事を作ること、何かを製造すること、何かを販売すること、他者に何かを教えること、困った人を助けること、苦しんでいる人に手を差し伸べることも表現なのだ。

表現とは自分の心が喜ぶことをすることだ。

自分の心が喜ぶことをするだけで、それが表現になるのだ。

だから、誰もが「自分の心が喜ぶこと」をすれば、この世界はきっと「喜びで満ち溢れ平和な世界」になるだろう。

人の「喜び」は「横並び」にはできない。

でも、「横並び」にできない分、多様性が生まれるんだ。

こういった多様性が花開くことが文化なのだ。

そして、文化はたくさんの人の「喜び」によって生まれるものなのだ。

繰り返すけど、一人ひとりの「喜び」は異なるから、人を「横並び」にすることはできない。

人を「横並び」にするということは、抑圧を生むということだ。

つまらない気持ちで仕事をしていたり、つまらない気持ちで生きているのは、自分を抑圧しているからだ。

つまらない気持ちで仕事をしていたり、つまらない気持ちで生きているは、自分という存在を「横並び」にしようとしていることに対する、心の反発なのだ。

だから、「横並び」をやめて「喜び」で生きることにすれば、もうしかめっ面で生きることはなくなることだろう。

なぜなら、人が「横並び」ではなく「喜び」で生きるようになると、何かを表現して喜びを感じたい、という思いを実現するようになるからだ。


どこかで誰かが泣いて
涙がたくさん出た
政治家にも変えられない 僕たちの世代
戦闘機が買えるくらいのはした金はいらない

NONONO……
NONONO……
NONONO……
NONONO……

笑い飛ばせばいいさ

The BLUE HEARTS 「NONONO」より

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