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喜びのある調和が宇宙の法則

もしあなたが神だとして、この宇宙を創ったとしたら、この宇宙をどうデザインするだろうか。

宇宙というとてつもない大きな仕組みを存続させるには、どういったシステムを創り上げるだろうか。

もしあなたが会社の社長だったとしたら、その会社をどのように存続・発展させていきたいと思うだろうか。

もしあなたが、家族の長だったとして、その家族をどのように養って生きたいと思うだろうか。

あなたは、いまここにいる自分自身をどのように活かし、発展させていきたいと思うだろうか。

この「どのように」のところが、とても大事になる。

神は宇宙そのものだから、宇宙のあちこちで争いがあって、その争いでお互いを滅ぼし合っていたなら、それは結果として自分を滅亡させてしまうことになる。

もし私が社長として会社を経営しているときに、従業員に絶えずいざこざがあり、疲弊して辞めていく人ばかりだったら会社を存続させることは難しくなるだろう。

もし私の家族が、お互いに喧嘩ばかりしていたら、家族はやがて離散してしまうことだろう。

もし私が、たくさんの葛藤を抱えていたならば、体調が悪くなり健康を害することだろう。

では、この宇宙を、あるいは私の会社を、私の家族を、私を末永く存続させるにはどうすればいいのか。

もし神が、この宇宙を末永く存続させたいと思うなら、まず最初に調和を宇宙の法則に据えることだろう。

宇宙そのものが神の身体とするならば、宇宙という身体の中で、すべてを循環させるように計画を立てることだろう。

宇宙という身体から排泄物を出して、宇宙の外のどこかにそれを捨てるということはできないから、宇宙そのものが循環するようなシステムを生み出すはずである。

社長が、会社を末永く存続させたいと思うのであれば、調和のある会社経営を考えるはずである。

会社はもちろん利益を上げることが目標だから、利益を上げられるような計画を立てることになる。

でも、会社は本来、世の中に役立ってはじめて社会の中で調和が取れるようになるわけだから、利益を上げる以前に、まずは会社が社会の中の循環の中に加わっていけることを考えるはずである。

社会の中の調和から逸脱した形で会社を運営していては、末永く存続させることは難しい。

社会の中で会社として調和の取れた役割を果たすことができなければ、そもそも利益さえ上げることはできないといっていいはずだ。

もし幸せな家庭を築きたい思うのであれば、家族間でどのように調和を保てるようにするかを考えなければならない。

家族全員の誰もがストレスなく笑って過ごせるようにするためには、まずは家族の中心となる大人自身に調和が取れていなければならない。

家族の中心となる大人同士が調和が取れてはじめて、調和のある家庭が生まれるはずなのだ。

では、この「私」を存続させるにはどうすればいいのか。

この「私」に調和を与えるにはどうすればいいのだろうか。

調和は喜びの中から生まれるものである。

人は喜びがあるからこそ前に進むことができる。

人が喜びの中で前に進むことができるようになったとき、社会の中の循環に加わることができる。

喜びは循環する調和の中から生まれるものなのだ。

自分が喜び、他者が喜ぶ、そういった調和が循環となる。

調和は、自分と他者が喜びあうことで循環する。

そういった「喜びのある調和」が循環したとき、「私」という存在を活かし生かすことができるようになるだろう。

「私」が喜びで生きれるようになったとき、自然と周囲と調和が図れるようになる。

「私」がいつも笑って穏やかに暮らすことができたとき、家族も一緒に笑ってくれることだろう。

「私」が喜びから生まれる調和を見出すことができれば、それを軸にして会社を循環さていけるようになるだろう。

喜びから生まれる調和を会社の軸にすることができたとき、会社は社会の輪の中に入って行けるようになる。

もしこの「私」が、宇宙の神になるならば、まず最初に「喜びから生まれる調和」を宇宙の第一ルールに置くことだろう。

喜びと調和が「私」になれば、自分を活かすのはもちろんのこと、家族でもも会社でも、社会の中でも、あるいは宇宙の中でも自分を活かせるようになっていくだろう。

だから、喜びと調和を中心にして、物事がどんどん前に進んで行くようなルールをこの宇宙の中心に敷くことだろう。

互いが影響し合い、互いが与え合い、互いが助け合うことで喜びを感じるような法則を宇宙の中心に据えるであろう。

そうやって調和の中から生まれる喜びを、すべての存在のシステムの根幹に加えていくことだろう。

「宇宙」と「私」は等しい。

「私」が調和を取れるようになると、「私の宇宙」も調和が取れる。

この宇宙を生みだしたのは、神という存在なのかもしれない。

しかし、私の宇宙は私が創り出している。

私が認識する宇宙が、私の宇宙なのだ。

私が調和のある喜びで生きるとき、この宇宙は調和が保たれる。

私が原因であり、私が結果なのだ。

私は私の世界での神なのだ。

だから、私は喜びのある調和を第一法則に据える。

それが「私」の原因となる。

私が調和の中で存在することができたとき、それが結果となることだろう。

私は、私の宇宙の中でαでありΩなのだ。

このことに気づくとき、私はこの宇宙を生みだした神と握手する。

あなたが望んでいた世界は、喜びの中から生まれる調和の世界だったんですね、と。

誰も苦しむことのない、喜びの世界を生み出したかったんですね、と。

そうやって私は神が創った宇宙の中で、私の世界の創造主として生きていく。

喜びが生み出した調和のある世界の中で。

私の宇宙は私が創る。

私の望む宇宙を私が創る。

どんな宇宙を創るかは、自分次第。

でも、その宇宙を末永く存続させるには、喜びから生まれる調和を欠かすことはできない。

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