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エッセイという秘密を晒す理由

先日知人との会話の中で、「なぜ書いた文章を人目に晒すのか」という話になった。

知人はふだん、Evernoteと呼ばれるツールを使い、自分にしか見えないように日記や日々感じたことを記録しているという。一方私は、ここnoteという不特定多数の人の目につく場所でエッセイを綴り、記事を残している。

エッセイは日記と異なり、出来事よりも書き手の「感情や考え」が如実に反映されるものだ。それはある意味、書き手の「秘密」を晒しているのと同じ気がする。

感情や考えは、人によっては個人の胸のなかにこっそりと留めておきたいものだろう。それなのにどうして自分は秘密ともいえる大切なものを、ここに書き残しているのだろう。

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明確な答えが出たわけではないけれど、「秘密を晒す」というプレッシャーがあるからこそ逆に、感情や考えなどの秘密の中身がより整理されるのかもしれない、と思った。

私はここ以外でも、自分用の手帳に書きたいことを書いている。けれども、それだけだと頭の中がぐちゃっとしたままになってしまうことがある。考えが堂々巡りしていたり、単純に良かった悪かったなど浅いメモで終わってしまったり。

これは、例えるならば、カフェに行くと自宅にいるより作業がうんとはかどる感覚に似ている。

私がただ怠け者ということなのかもしれないが、他人の視線がある程度あった方が、背筋が少しだけピンとして頭が回転する。実際、スタバに行くと適度な緊張感が本当に気持ちよくて大好きだし(笑)。お店全体に流れるスンッとした空気感が心地よく、脳内の回路を整えてくれる。

私はやっぱり怠け者なのだ。

人目につく場所でエッセイを綴るということは、なんとなくこれに近い。感情や考えなど秘密の中身を丁寧に整理するのに、ここはうってつけの場所なのではないかと思う。

もちろん書く前に秘密の中身が十分に整理されていることもある。ただ全部が全部そうではないため、自分でさえもまだ気が付いていない感情や考えを、「秘密を晒す」というプレッシャーのもと整理できることに期待している。怠け者の私にとって、ここはいわば自己発見の場でもあるのだ。

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自分の秘密に対して、読み手の方が感想をくれるのはとても嬉しい。

共感してくれたり、意見をくれたり。既読のメッセージだけでも心がぽっとあたたかくなる。そういった他者とのコミュニケーションが偶然発生するのもまた、手帳に一人でメモを残していくのとは趣が違う。

「なぜ書いた文章を人目に晒すのか」

問いの答えがようやく出た気がする。エッセイを書いている自分としては、これからもここで生まれる「秘密」を楽しみながら、綴り続けていきたい。

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