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祖父のおひるごはん

祖父の背中をよくおもいだす。祖父がいた頃とはリフォームしてしまったので間取りも全然違うけれど「ここ」に長くいるのでよくおもいだす。猫背で顔を洗う背中、新聞を読む背中、晩酌する背中。その中でもいちばんなのはおひるごはんの時にパンを焼く背中だ。時間に正確な祖父はテレビから流れてくるNHKの正午の時報には準備万端整えていた。

それはトースターでパンを焼く準備。ふつうはトースターは台所の固定の位置に置かれ、そこで焼いてからお皿にうつし食卓へ運ばれるものなのだろう。だけれど祖父のやり方は違った。いつも同じ準備がきっちり時報までにされていた。まず、古新聞を自分のいつもの席の横に見開きで大きく広げ使い込まれた小さなトースターを台所から居間に持ってきてコンセントをさして横にお盆にのせたパンの袋を置くのだ。そして、その日いる家族の分を祖父が焼いてくれた。なにせ真横で焼き具合をみながらなので絶妙なタイミングでひっくり返し両面きれいに焼いてくれるので祖父の焼くパンはまさにトーストで完璧だった。外に行くことの多い祖母はそこにいたりいなかったりだ。母が仕事に行ってない頃は3人で食べることが多かったように思う。母のつくる野菜炒めと祖父の焼くトーストの匂い。テレビから流れるおひるのニュース。

その焼いたトーストに祖父は丁寧にマーガリンを塗り絶妙な量の苺ジャムをのせておいしそうに食べていた。母のつくる汁っぽいおしょうゆ味の野菜炒めと一緒に。母やわたしの分も焼いてくれながらなのにゆったりと食べながら手際よく焼いてくれていた。

祖父の最後の入院の時、意識が混濁している中、いきなり「パン!パン!」と大きな声で言った。「なぁに?おじいちゃん。」と声をかけると寝ている天井につく電気を指さして「あそこでパンを焼いとくれ。」といった。わたしの記憶ではっきりと喋ったのをきいたそれが最後だった。

おひるごはんが終わるとお膳のうえのパン屑を丁寧にあつめトースターの下にひいていた新聞紙に落として、その新聞紙をごみ箱にそっとかたむけて捨てて、たたみにパン屑を落とさないようにしていた。コンセントがくるりと巻かれた小さなトースターは祖父の手で台所の棚にしまわれた。几帳面な祖父らしさだった。

くりかえされる毎日のこと。それもいずれは様をかえる。今はマーガリンは冷蔵庫にはいっていないし、苺ジャムもはいってない。パンも祖父が好んでいたパンとは違う。おひるごはんではなくあさごはんにパンを食べる。だけれども、ワイシャツを腕まくりしてせっせとパンを焼く祖父の背中や丁寧にマーガリンを塗るその姿を思い出すと、絶妙な焼き加減でマーガリンと苺ジャムが丁寧にぬられたあの完璧なトーストをおひるごはんに無性に食べたくなるのだ。


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