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祖父のかばん

祖父の日課であった散歩に行く時、必ず玄関先で「散歩に行ってきますよ。」と大きな声で言ってから出かけていった。普段着でうろうろとしているヒマな老人と思われることはおじいさんの美学に反すると思っていたらしく、いつもネクタイまではしなくとも背広に着替えてかばんを持って出かけていった。

それはクラッチバッグでA4の書類がはいるくらいの黒いかばんだった。経理の仕事をしていた祖父だから仕事でも使っていて、長く愛用したものなのだろう。年季のはいった、よく言えば祖父に馴染んだものだった。そのかばんをからだにぴたりと添わせるように小脇に抱えて歩くのだ。

すれ違う人が呑気にゆったりと散歩を楽しむご老人だとは思えないスピードでシャキシャキと歩いていたというのはきいたことがあるが、どこを歩いていたのかは知らない。きいたこともなかった。今ならきっとどこ歩いてきたの?ときくだろうけれど当時はまったくそんなことには思いもよらなかった。だいたいお昼前までに、小一時間で帰ってきた。

祖父が亡くなってしばらくして遺品を片付けしている時に、そのいつも持っていたかばんの中をみることになった。どうしてそうなったかはまるで覚えていないのだけれど、わたしがそのかばんをひらいた。小銭入れに小銭が少し。どこかでもらったポケットティッシュ。メモのようなもの。ボールペン。櫛も入っていたかもしれない。いつもきちんと髪をとかしていたから。それと、郵便局でもらったような通帳入れ。地味な色のものばかりな中にひときわ鮮やかな色のものが通帳入れにはいっていた。5、6枚のポストカードを連ねて折ったようなプロマイドだった。当時モデルで女優でコマーシャルでも人気だった鷲尾いさ子のものだった。その、通帳入れに通帳ははいっていなかったのでそのプロマイドのようなものを汚さないように入れるケースにしていたようだった。

可笑しかった。真面目で品のよい祖父が誰にも知られず毎日持ち歩く大切なかばんの中に美人さんのプロマイドを忍ばせていたなんて。おじいにそんな一面があるなんて、知らなかった。だから可笑しかった。近くで他のものを片付けていた祖母と母に言うと「おじいちゃん美人が好きだったからねぇ。栗原小巻が好きって聞いたことあったけれどそんな若い女優さんのことはきいたことなかったわ。」と2人が笑った。

おじい。勉強になりましたよ。いなくなってから片付けてもらわなくちゃいけないのなら、「自分だけのもの」にしておこうというものはきちんとできる時にわたしは片付けておくことにします。でもいいものなのかもしれないね。そうやっていなくなった後に笑ってもらえるということも。

そのかばんはたしか処分しないで戦争に行っていた時の手帳とか祖父の最小限の思い出のものを入れてまだ天袋のダンボールにはいっているはずだ。

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