戦争反対を叫ぶだけでは平和は来ない
ある市議会で、「ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議」が全会一致で採択されました。これは当たり前のことだとして、疑問を抱く人はいないことでしょう。
今、世界中で、ロシ アが悪魔で、ウクライナは正義の味方とする空気が支配しています。
「ウクライナを支援せよ!」「ロシア軍をやっつけろ!」と盛んに叫ばれています。それが正義だ、と皆が信じます。
果たして、今ロシアを非難すること、ウクライナを軍事支援することが、平和の実現につながるでしょうか。
軍事侵攻直後から、ウクライナ大統領は一貫して国民に徹底抗戦を呼びかけています。
子どもと高齢者を除いて、男性の出国を禁止しています。ウクライナ兵たちは「子どもたちに素晴らしいウクライナを残すために、命をかけて戦うのだ」と言います。
どうしてそんな言葉が出てくるのでしょうか。親の死が子どもにとってよいはずがありません。ウクライナが残っても、残された子どもが素晴らしいと思うでしょうか。
戦争が長引けば、もっと悲しい現実が待っています。
戦争で家族を失くしたウクライナ人はロシアを憎悪するようになります。
ロシア人にとっても同じです。戦争の長期化は、互いの憎悪をどこまでも増強します。
ロシアとウクライナはお隣り同士です。国境地域では入り混じって国の別なく隣近所仲良く暮らしていました。そんな分け隔てのない仲のよい関係が、将来は期待できなくなります。憎しみ合いの関係が一旦生まれると、それを解消するのは大変なことです。
戦争犠牲者はロシア、ウクライナ双方に、日を追うごとに増え続けています。
日本は、過去の戦争で、徹底抗戦に突き進むことなく、戦争終結を選択しました。だから、現在の日本があるのです。現在は理想の日本とはいえなくてもこれからつくればよいのです。
生き残りさえすれば何でもできます。死んでしまったら終わりです。だから、ウクライナにおいても、何よりも人が生き残ることが大切です。そのためには即刻停戦です。
頭の固い人たちは、「それは無理だ」と言うでしょう。しかし、知恵とアイデアを集めれば、予想もしないやり方が出てくるかもし知れません。
「何としても停戦だ」と声を挙げ、この差し迫った課題を世界中で確認することが必要です。
一日早ければ、一日分の犠牲者が生き残れます。
平和を願う日本人として、平和主義とは何かを世界に先駆けて考えようではありませんか。
日本国憲法前文が平和への1つの道筋になると考えます。
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