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もしもしともしもの話

moshimoshi & moshimo



 最近、仕事以外で電話することが少なくなったな~と感じる今日この頃、やっぱり電話によって時間を共有させるという強制力も負担になっちゃうんですよね、きっと....


 LINEやSNSの無かった時代を生きてきた世代にとっては、電話で共有した時間が特別な感じにも思えたりします。



 電話の時、いつも思っていたのですが、電話で使う「もしもし」という言葉は、不思議な言葉ですよね。

 調べてみると、一説では、日本で電話が導入されてから電話交換手らが「申す申す」という意味で使い始めたものらしいです。

「申す」って言葉自体も、あまり日常では使わないんでわかりにくいんですが、よく時代劇等で見知らぬ人に道を尋ねるときなどに、「もし...」と、前置きしてる場面を見かけますよね。

 多分、それって ~聞いてもいいですか?~話してもいいですか?という感じで使われているわけで、それを重ねた言葉として「もしもし」って言葉になっていったのかなと思います....


 この「もしもし」って言葉って、意味はともかく、耳障りがいい感じがするんですよね。多分、大勢の人も心地よく感じたからこそ、現代でも使われるんでしょう。


 
 ドラえもんの中では「もしもボックス」という公衆電話ボックス型の道具が出てきますが、これは通常の「もしもし」と、仮定の場合を指す「もしも」という言葉を合わせたものですよね。(今では電話ボックスも見かけませんが...)

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 この「もしもし」と「もしも」を重ね合わせるイメージは、個人的によくわかります。

 

 電話で話をする場面によっては

「もし」良かったら、今度、会いたい....

「もし」かして、待っててくれてるんじゃないか....

「もしも」もう一度、声を聞けたら...   などなど



 そんな仮定の願いをこめた「もしもし」を使っているときが、私にもよくありました。



 そんなことを思い出していると、声を聞きたくなってくるのですが、そう簡単には電話できないことが、より寂しい気持ちにさせたりするのです。