グリコのシステム障害から見えてくる現代社会のディストピア感【このニュースで覚醒した学生時代のある記憶】
江崎グリコでシステム障害が発生したとのことで、プッチンプリンなどの冷蔵商品が出荷停止されているとのこと。
このニュース、興味深く見ています。
昨今、機械化、システム化が図られない産業は、当たり前のように労働生産性が低いといわれる時代になりました。
とはいうものの、生産性、生産性と繰り返し重要性を説かれるとそれなりに納得感はあるものの、労働集約型産業の典型である塾業界に身を置いていると、今一つピンと来ないところもあるのも事実で、このようなニュースに接すると自分の置かれた環境との違いに今更ながら驚いてしまいます。
プッチンプリンって、製造から販売まで機械化、システム化されているんだなと実感します。頭でわかっていても、このようなニュースに接しないと実感が持てないなとも思っています。
という部分は、人間の存在の必要性を実感できて、ホッとする一面があるものの、人間の手というのは、バックアップがせいぜいなんかいなと思わなくもありません。
人間が口にする食品にもかかわらずは、製造工程が高度になればなるほど、人の手が介在しなくなるというのは、ちょっとしたディストピア感があるなとも思います。
なぜ自分がそんなことを思ったかというと、学生時代にやったパン工場のアルバイトのことを思い出したからでしょう。
やったことのある方ならわかると思いますが、本当にキツイ仕事でした。特に自分は夜勤に入ったこともあり、特にそれを実感したものです。
あの頃に比べていろんな面で機械化が進んだとは思いますが、今でも大変なお仕事だと思うので、パンは今でもありがたく食べています。
あの時の体験が抜けきれないのは、パン工場に集約されている要素が、ザ・資本主義だと思うからでしょう。
資本主義の本当の恐ろしさを体験するには、何らかの形で工場労働をしてみることは大切なことではと思います。
金融関係でたくさん稼いでおられる方であっても、コンピューターなしではそれは成立しない。さらに人間の要素は時間を経るにつれて、徐々に狭まっていく。私は、いわゆる「勝ち組」「負け組」の議論に興味がないのも、結局の勝者は、機能としての「資本主義」だと思っているからかもしれません。
ただ、そんな高度にシステム化されている社会も、システム障害であっさりと崩れてしまう側面も持っている。
人間の身体を使ったバックアップは永遠になくならない。
絶対的な安全性、安定性を最終防衛ラインとして必要なものは、安易にシステム化を高度化すべきではないのではと思います。
それは、もちろん健康保険証がそうであると思っています。
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