見出し画像

未来予測好きの私が新自由主義者を嫌う理由【未来予測を舐めてますよね?】

私は、未来予測が好きでいろいろ予想しています。なぜ未来予測が好きかというと、自虐的ではありますが、

未来予測はそう簡単に当たらない

からです。

昨今、新自由主義という言葉が嫌われていることもあり、「私は新自由主義者です」と名乗る人はあまり見受けられませんが、実際に社会にはたくさんの新自由主義者がおられると私は理解しています。

さて、私はこのような新自由主義的な思想の人があまりというか、かなり嫌いです。

いくつかある理由のひとつにこの界隈の方が「あまりに杜撰な未来予測をする」というのがあります。付け加えるなら、全く当たらなかったことへの反省もない点も好まない理由です。

未来予測が外れたからダメだというのではありません。
基本、未来予測というは外れる宿命にあるものだからです。

未来予測のダイナミズムは、なぜ外れたのかを考えることであり、その思考を通して現実はどのように動くものかを理解できることです。

私のような未来予測シロウトの場合、当たらない理由は見落としも多い。若いころは、偉い人の予測をまともに信じていたことも多かった。誰がやっても未来予測は簡単ではないと学ぶには時間が必要でした。

それからは、どんな人の未来予測も、それなりに距離感をもって拝聴しています。

あと、5Gは未来を変えるという類のものは、未来予測でもなんでもありません。技術的な効果を予測したにすぎないからです。未来予測は、そのテクノロジーが社会をどのように変えるのかに意味があります。

なので、GIGAスクールが教育を変えるという主張などは一つの未来予測でしょう。そして、その未来予測は恐らく当たらないでしょう。なぜなら、先ほど言ったように、なぜか未来予測は当たらないことが多いからです。

単純な推測がなぜか外れる。それが未来予測の難しさであり、面白さなのだと私は思っています。

例えば、コンピューターが普及し始めたころ、さんざん言われたのが、これからはペーパーレスの時代になるというのがありました。この説には、それなりの合理性があり、説得力があった。ところが、未だに私たちは膨大な紙の文書と格闘しています。現実は簡単にペーパーレスに動かなかった。

多少、ペーパーレス化が進んだのは、スマートフォンやタブレット端末が普及したからです。

つまり、手元で管理するタイプのデジタル端末機の到来によって、ようやくペーパーレス化が動いた。人間の感覚は意外に繊細で、モビリティと視認の問題は結構大きかったのでしょう。

先ほど、例に挙げたGIGAスクールも将来はそのような方向性になる可能性はありますが、その前に「教育の効果」は問題として浮上するのではとみています。

時間の経過によって、↓のような事例が分かってくるというのもあります。

未来予測は、いろいろ頑張って予測しても、こういうことが見落とされたり、軽視されたりする。予測の精度を上げるためには、何を見落としがちになるのかを意識することが大切なんでしょう

また、旧来のものが新しいものにとって代わるということは、そう単純には前に進まないものでもあります。それは新しい考え方に反対する人が邪魔をするからではなく、既存のやり方を終わらせて、新しくかつ、ひとつのプラットフォームに収斂するためには、時間がかかるものだからです。場合によっては、収斂すらしない。

例えば新幹線への乗り方を見ても、スマートフォンでさっと乗ることもできる一方で、券売機で紙の切符も売られている。また、スケジュール管理においても、スマホで管理する人もいる一方で、未だに大量の紙の手帳が書店や文具店に並ぶことからわかるように、こちらもひとつの方向性には収斂しない。

社会にはいろんな立場の人がいろんな「未来予測」をしますが、ひどいのが新自由主義の方の未来予測だと述べましたが、最近のニュースで明らかになったのが郵政民営化の問題です。

新自由主義の界隈の方は、当時大賛成だったように思いますが、この現実はどうお考えになっておられるのか気になるところです。

どうせこうなるなら、アメリカさまからのお達しだったと言われれている簡易保険事業や郵便貯金の民営化はともかく、郵便事業は官営のままでよかったはずだと思う人は私だけではないでしょう。

民営化されて、
・普通郵便が届く日数がかかるようになり
・土曜配達がなくなった
のであれば、民営化のメリットあったのかさえ疑いたくなる。

この郵便事業が苦境になっているのは、社会がデジタル化したからだ、民営化とは関係ないという方がおられますが、これも先ほど述べたようにそれは、テクノロジーの進化によって生じた「当たり前」なので、主張になっていません。

それどころか、このような事態は、十分に予測もできたことです。郵便事業の民営化で何が起こるのかを本気で考えていなかったのではと疑われても仕方ないくらいの精度が荒いと私は思います。

なので、コテコテのアナログである郵便事業をどのように新しい社会になじませるかを考えないといけない。民営化が唯一の答えだったわけでない。それは今の現実が説明しているのではと思います。

このような点について、経済合理性のみで答えをだそうとするのが新自由主義界隈の方かなと感じます。答えを出すための検討項目が少ないから、彼らの未来予測は大きく外すのではと思います。

だったら、未来予測なんて、やめればいいのにと思うのですが、なぜか彼らはやめないんですよね。それが不思議なところですが、だったら未来予測をするなら、ちゃんとやれよというのが、私が新自由主義の方に対して言いたいことでもありますね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?