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僕の病気 今の社会制度に無いもの


僕は、精神病院に通院している。
境界性人格障害という診断名でだ。



普通、医者から自分の診断名を告げられれば、自分で、その診断を調べてみるひとが多いと思う。


僕もそうだった。
調べてみた結果、境界性人格障害の大きな生物学的要因は、親、ということだった。


ちょっと前に、僕の母親が、役場になにかの相談をしたみたいで、僕も来てくれということなので、役場の相談室みたいなところにに、母と行った。



行ってみると、そこには臨床心理士という肩書きのひとがいて、そのひとのはなしによると、現在は、境界性人格障害は親が生物学的要因、というばかりではない、ということを、言われた。
そう言われたので、僕は家に帰ってから、改めて、境界性人格障害を、調べてみた。




そしたらば、そのひとの言うとおりではあるが、大きな生物学的要因要因は、やはり、親、であることは、変わりがない、というのが僕の印象だった。



僕は、境界性人格障害、という診断をうける前から、精神病院に通院していて、投薬治療をうけていた。



もともと僕は、体調不良で精神病院以外の病院を受診したのだったが、いろいろ検査した結果が悪くはなかったのだと思う、その病院から、精神病院を紹介されたのだった。


精神病院への通院がある程度たってから、境界性人格障害、という診断名を告げられた。それから先程書いたとおり、自分でその診断名のことを調べて、その診断名が、生物学的要因が、親、あるということを、知った。


その後も投薬治療は続いたが、主治医が何人か変わり、その何人目かの主治医が、何という治療法かは僕にはわからないが、臨床心理士がやるみたいな治療をしてくれた。
今、考えればいわいる、カウンセリングの一種みたいなものだったと思う。その治療時間は、長ければ1時間を超えることもあった。



その治療は、例えるならば、ぐちゃぐちゃにからまった、釣り糸を、時間をかけて、ゆっくりゆっくり、ほどいていくような作業だった気がする。

長生きが良いことなのかは、僕は知らないが、もし良いことなのだとしたら、いま、僕が生きているのは、その治療のおかげだと思っている。


僕の診断名の、大きな生物学的要因は、親だ。

だから、要因が親なのだから、僕の診断名を治療するには、僕にすごい希死思念などがある場合を除いて、僕に投薬してもあまり意味が無いと思う。


やはり要因を変化させなければならないと思う。

そう考えていくと、僕の場合は、僕の親への臨床心理士などの介入、僕の家へのケースワーカなどの介入が、必要だど思う。


しかし、今の社会の医療制度だと、僕の主治医の指示で、僕の親に、臨床心理士を介入させることも、僕の家へ、ケースワーカーを介入させることも、不可能だ。



ということは、僕の不調を根本的に良くすることは、できない、ということになる。



僕の場合のように、今僕は具体的に例が閃かないが、世の中に、親とか家とかが要因で、困っているひとは、たくさんいると思う。

僕の親も自分の子供を精神病院に通院する人間にしようと思ったわけではないことは、間違い無い。

僕の親も、僕にしあわせになってほしいと思って、よかれと思って、生きたことだと思う。



僕がそう思うのは、僕の親が、良い人間だからだ。


しかし、すべての人間は、不完全だ。
良い人間が、良かれと思ってしたことでも、失敗することも、ある。


それは仕方のないことだ。



失敗したら、それをまた繰り返さないように、努めるしか、他に方法は、無い。
もし、その失敗に、相手があることならば、その相手に、ごめんなさい、と、言うしか、無い。

大概の失敗は、ごめんなさい、で相手は、許すことだろう。時間がかかる場合もあるだろうが。

僕のように家が要因で、困っているひとは、世の中に、大勢いると思う。


いまの社会が、その要因に介入するには、いまの日本の法律では、その家で刑事事件が起こるのを待つしか、無いだろう。

家で刑事事件が起こるなんて、良く無い事に、決まってる。
警察は、民事不介入だ。
家の問題は、家で解決してくれと、言う。
それはそうだ、日本には、そんな法律が存在しないからだ。
彼らは法律でしか動けない。


たくさんの困っている家で、悲惨なことが起こる前に、それを食い止める法律が、日本には、無い。
僕は、それが無い原因の根底には、日本人の理想の家族、天皇家の存在が、あると思う。


例えば、簡単な一例で恐縮だが、上皇后美智子さまが、今上天皇徳仁さまに、良くないことをすることは、絶対に、無い。
これは僕の、稚拙なたとえ話しだが、そんなことが無いのが、天皇家だ。


その絶対のあたりまえの絶対現実が、日本人の理想の家だ。


その理想のあたりまえの上に、日本の法律はできている。


しかし、現実、我々ふつうの多くの日本人は、家の問題で困っている。

多くの日本人が困っているのに、それを救済する法律が、無い原因は、日本人の家はみんな天皇家みたいでしょ。
だって、天皇家が理想の家なんだもん。
みんなの家は、天皇家を見習ってるから、そういう家に、決まってるよね。
できるよね。できてるよね。


繰り返しになるが、そういうことを基にして、日本の法律は、できていると、思う。


しかし、現実、困っている日本人の家は、たくさんある。



さっきの僕の稚拙なたとえ話に戻ると、絶対に、上皇后美智子さまが、今上天皇徳仁さまに、よくないことをすることは、無い。


しかし、またまた、繰り返しになるが、現実に、困っている、日本人の家は、たくさんあるのだ!

この理想の家への日本人の思いが、現実に、日本人の家に、たくさんの問題があるのに、悲惨なことが起こる前に、それを食い止める法律が無い、原因だと、僕は思う。

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