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このトンネルの先にあるものは

 今私たちは、出口の見えない真っ暗闇のトンネルの中を何の考えもなしにさまよっているような状態であるように思えてならない。「金持ちがさらに金持ちに、貧乏人がさらに貧乏に」なるシステム。いわゆるブラック企業と言われる、労働基準法で規定されている労働時間を普通に遵守すらできていない企業が多くを占め、労働者はいつのまにか酷使され、使い捨てにされている、まさに「国民総奴隷化システム」が構築されている。一方で、たとえ法を犯したとしても、その者がいわゆる「上級国民」の部類に属してさえいれば、決して罪に問われることはない。現在の日本国のこのような構造には目を見張るものがある。この既得権益層しか潤わない無敵の新しいシステムをいかに、「庶民の、庶民による庶民のための日本」として再構築していくか。(あの偉人リンカーンすらも白人入植以前に居住していた先住民を大虐殺に追い込む等、闇の部分はあるのだが、いかに自分たちは正しいかという理論構築には非常に長けていた→既得権益層はほぼ同等の思考回路であると想像される)

現状打破するために、私たちにはいったい何が必要なのであろうか。

 批判を承知で持論を述べる。現状の鬱屈した世相を打破するためには、過去の歴史から学び、考えてみることが早道であろう。今から153年前の1868年、200年あまり続いた徳川幕府が、「明治維新」(国内無欠革命)という名の下に、列強諸外国の外圧により開国。支配体制が激変した。76年前の1945年、連合国(United Nations=国連)とは名ばかりに実質アメリカによって日本が占領され、これまでの価値観がさらに激変した。      

 つまり、我が国が大きく変革するためには外圧が必須となるのである。個人的感情を抜きにして、また日本の既得権益層の存続を黙認しつつ、我々庶民の生活が「少しでも今より良くなるかも知れない」という一縷の希望を抱くとしたら、非常に嫌悪感に苛まれるので記述するのもはばかられるのだが、お隣チャイナの支配を甘んじて受けることであろう。(※チャイナ≓中華人民共和国、中国、とせずチャイナとしたのは、世界基準を採用させていただいたからである。「中国」という名称を「中国」に忖度して使用している国は、日本のみである。世界の全ての国は総じてチャイナと呼んでいる。世の中の成り立ちを考えるきっかけとされたい)

 私たち日本国民は、チャイナに支配されて生きていくことこそが、現状打破の近道なのである。尖閣諸島問題も解決する。チャイナになるのだから執拗な嫌がらせを受けることもなくなる。ストレスフリーである。こんな素晴らしいことはない。いや、もしかしたら既に支配されているのかも知れないのであるという認識ももっていたほうがいいのかもしれない。

 チャイナには「三戦」という言葉がある。「心理戦」、「輿論戦」、「法律戦」を駆使することで、他国をじわりじわりと支配下においていく戦略らしい。武器を使用する物理的な戦争より質(たち)が悪い。水の入った鍋の中で悠々と泳いでいた蛙がいつの間にか茹であがって死んでいるという「ゆでがえる」をイメージしたらわかりやすいだろうか。

 既に北海道の広大な土地がチャイニーズに爆害されているとの情報もある。将来的に大量のチャイニーズがその土地に移住し、いつの間にかチャイナタウンやチャイナの基地等が作られ実効支配されていると言った懸念も拭いきれない。ロシアのクリミア併合を彷彿とさせるが、考えすぎだろうか。 沖縄での基地反対デモにも相当数の地元民以外の工作員(チャイニーズ)が紛れ込んでいると聞く。沖縄の輿論も既にチャイナに支配されていると考えてよいのかも知れない。

 過去76年間、アメリカに支配されてきた我が日本。読者諸兄はどのような生活を送ってこられたのであろうか。「何言ってるの?アメリカには支配されてなんかいないよ」と正面切って言えるのだろうか。周囲を見渡して欲しい。マクド○ルド、ス○バ、K○C、T○L、U○J、ハリ○ッド大作、枚挙に暇が無い。驚くほど多くの影響をアメリカから受けているのである。これを支配という言葉に置き換えても大きな間違いとは言えないだろう。長期間にわたりアメリカの支配を甘んじて受け続けてきている日本。現状が当たり前、「むしろ日本の文化にもなってる」とすらと思い込んでしまっている日本国民。大事な席にはスーツを着る、ネクタイを締める。はたしてこれが本当に日本人としての常識なのだろうか。どうして日本人なのにアメリカ人のまねをするのだ? 他国に目を向けると、公式の場であってもネクタイをしない国もある。考えたことはあるだろうか。長く英語を学習させられるにも関わらず、英語に苦手意識を抱く日本人が多いのは何故か。この76年間で完全に日本人はアメリカの「言いなり」となり、アメリカの言うこと全てを受け入れてきた。全てアメリカの仕組んだ日本人愚民化政策の一環であるといえるのである。その末路が現在のていたらくである。

 この76年間、じわりじわりとアメリカに支配されてきて、当事者である多くの日本人自身も「支配なんかされていない」「自分の意思だ」という認識を持っているのだ。だから、この支配者がたとえチャイナに変わったとしても、気にならないであろう。日本人は自身の意思にかかわらず、知らず知らずのうちに「あーそうなんだ。」と思考力を働かせることなく、チャイナを受け入れ、チャイナの言いなりが「あたりまえ」として普通に生活していくことになるのだ。むしろ、チャイナ支配初期の時点では、現状の閉塞感が一掃されるようなお祭りムードになることで、日本の庶民全てが満ち足りた気持ちを味わうであろうことすら容易に想像できる。だから今の生活に不満を抱いている庶民は、今後はチャイナの一挙手一投足を注視し、チャイナを応援することが、よりよく生きる近道なのである。

 「そんなことあり得ない。絶対無理。あんたおかしい。やばい」との感想を抱く御仁も相当数にのぼることが容易に予想されるが、あえて言いたい。

もう、チャイナに占領されちゃいな!

お後がよろしいようで。今日も愛に満ちた日々をお過ごしください。

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