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弁天さまが琵琶を奏でる湖の恵み〜滋賀県長浜市。

一般道を使って岐阜から関ヶ原を通り、そのまま滋賀県に入ると、右手には伊吹山が大きく、のどかな田園風景を抜けると、間もなく琵琶湖。そのまま北へ向かい、山をひとつ越えると日本海。
滋賀県に住んでいる人にとっては当たり前のことなのかもしれない。しかし、関東地方に住んで、新幹線に乗れば名古屋の次は京都、という常識の中で暮らしてきた僕は、この、岐阜〜滋賀〜福井の位置関係に、今でもたまに混乱します。
もっとも、こんなことを思うのは僕だけなのかもしれないけれど、琵琶湖とか関西地方はもっと南にあり、日本海はもっと北にあるはず。だって福井って北陸で、滋賀って近畿じゃないですか。こんなに近いなんておかしい。
(※ また今回も、5000字を越える、イタズラに長い投稿になってしまいました。お時間のあるときにでもご覧ください…)

この三県にまたがる道路標示が、わたしを狂わせる。

言うまでもなく、本州は近畿地方のあたりから弓形に曲がっており、しかも岐阜と滋賀の県境あたりでくびれているからそうなるんだけど、それはあくまでも地図の上で納得する話。実際に行ってみると、この感覚の狂いこそが不思議でもあり楽しくもあります。そして魚好きの僕にとっては、琵琶湖の固有種と若狭湾の魚介を同時に楽しめる地域ということになる。歴史好きの人にとっては、戦国武将が割拠していた地域であり、歴史に残る戦の数々は、意外に狭い範囲の中で行われていたことを、改めて気づかされる地域でもあるはずです。

まず始めに、琵琶湖の北の端、湖北地方でゆるりと過ごす。

ついでに言うと、岐阜の西隣には近江八幡や大津がある、というのが僕の感覚でした。この感覚は、東海道新幹線に狂わされたのかもしれない。何より、岐阜羽島〜米原のあたりで、そろそろ下りる準備をしているうちに京都に着いてしまうから、途中に何があるのかがわからない。新幹線からは、ほとんど琵琶湖が見えないし。

しかし一般道をクルマで移動すると、岐阜の西隣は米原であり、少し走れば北の街だと思っていた長浜です。隣だと思っていた大津なんてずっと南。
そして、長浜が近いとわかればどれほどありがたいことか。なぜなら、僕は琵琶湖の魚介類が大好きだから。そして、その多くが長浜に集まっているからです。
話が長くなるといけないので、その前におひとつ。6〜9月が旬のビワマスの写真を貼っておきましょう。

さっぱりとした脂肪分と溶けるような食感。養殖ではなく、獲れたてを味わえるのも長浜ならでは。

羽柴秀吉が、最初に与えられた城が長浜城。もちろんこの城下町も秀吉の手によるもの。ではありますが、まず最初に、秀吉がやって来る前に湖北地方を治めていた名将、浅井長政に敬意を表し、まず湖北地方で一泊。長浜の市内には、その翌日に行くことにしました。

あれが小谷山かな。浅井長政が織田信長を裏切り、3年がかりの戦いの末に焼け落ちた小谷城があった山。浅井家の三姉妹も、あの山容を眺めていたものと思われます。小谷城の跡も見ておきたいし、麓には小谷城歴史資料館もあるので、次回は行かねば。
「湖北野鳥センター」近くの琵琶湖は、野鳥保護のために立ち入り禁止。こうして、手つかずの湖を眺めることができる。この夏の暑さのせいで水草が多いようです。
湖北のシンボルと言えば竹生島なのだろうか。島の古刹、宝巌寺(ほうごんじ)は西暦724年創建と伝わる。ご本尊は大弁財天。弁天さまが手にする楽器は琵琶。そして琵琶湖は琵琶のカタチ。……なるほど。

漁師さんが営む宿に泊まる。

こうして辿り着いた湖北地方は、とても静かです。広い田んぼの向こうには漁村の風景。湖なのに漁村。海なし県なのに漁港がある。思えば不思議なことであり、とても珍しいことなのかもしれない。風が強いものの、湖なので肌がベタつかない。サラッとサワヤカですね。
で、このエリアで、親子三代の漁師さんが営む民宿で一泊。獲れたての湖魚がいただける宿なんてめったに無いので、ちょっと値は張りますが頑張ってみました。

入り口にて。この民宿を営む親子がポスターになっていた。手にした魚はビワマスですね。地元のアマチュアカメラマンが集まって、開催した写真展のポスターとのこと。写真集(非売品)にもなっています。湖北地方には、地元愛に溢れる人たちが多くて楽しい。

この宿の夕食にはビワマスのみならず、イワトコナマズなどなど琵琶湖でしか食べられない魚介類が並ぶという。この日、伝説のナマズは無かったものの、その代わり、そりゃぁもう新鮮なビワマス尽くしとなりました。

写真は左から、ビワマスの造り、あぶり、ビワマスの卵、そして肝。肝なんて、新鮮じゃないと出せないでしょう。
ビワマスのあら煮汁。この脂、ちっともしつこくない、カラダによさそうな脂です。

ほかにもメニューはいろいろあったのですが、ゴメン、興奮して写真を撮っていませんでした。ただし、このデザートには驚いて撮っておきました。

これは何と、鮒寿司についてくる飯(いい)を練り込んだジェラート。あの臭みはどこにもなくて、酸味だけを活かした大人の味。目が覚めました。

そんなこんなで、美味しいもの自慢が続いてスミマセン。こればっかりは、関東では食べられないものばかりなので。
やがて夜は深まり、水平線の上には漁り火が見える……はずはないか。ここは湖なので、あの灯りは対岸の湖西地方の灯りなのでした。おやすみなさい。

そして翌朝、目覚めると、竹生島が朝日に映えて美しい。宿を営む漁師さん親子は、早朝の漁を終えて早くも厨房に立っていた。ご苦労さまです。

朝日に映える竹生島には、秀吉時代の大阪城から移築された、国宝の唐門がある。秀吉が建てた大阪城は焼失しているので、今となってはとても貴重な建築物なのです。
そして朝ごはん。普通の朝食メニューに見えるものの、魚はビワマスの味噌漬け、味噌汁はイシガイ、ほかにもエビ豆、氷魚の佃煮など。琵琶湖ならではのメニューが並びました。

チェックアウトは10時。その日は長浜市内にチェックインし、友人に会う予定があったものの、いずれも夕方以降なので、念願の若狭湾を見に行くことにした。今回は日帰りでロケハン。よさそうな宿を探しておいて(僕は検索サイトでの宿選びはしません)、次回来るときに備える。

若狭湾でゲリラ豪雨に見舞われる。

今日は、あの道路標示を北へ。うれしい。
余呉湖の周りは田んぼが黄金色。うつくし。やがて賤ヶ岳の古戦場の脇を通り、トンネルをいくつか抜けると単調な山道に入る。昔の人は、日本海の海の幸を運ぶために、こういう道を歩いて通ったんだな、などと思いつつ。
そうだった。これは昨年の写真だけど、賤ヶ岳の古戦場から琵琶湖を見たのだった。貼っておこう。

賤ヶ岳の山頂より。スキー場の、今じゃ懐かしいシングルリフトで登る。

山道の中にある県境から、30分ほどで敦賀市内に到着。朝から雲行きは怪しかったけれど、ここでポツリと雨が来た。空を見上げると凶悪な雲が見える。敦賀市内にも行きたいところはあったのだけど、とりあえず距離感だけはつかんだので良しとして、小浜市方面に移動する。

小浜の漁港にて。こんなのあるんだ。さすが、鯖街道の起点。

そして小浜市内に到着。漁港を散策しているうちに大雨となってきた。
若狭湾沿いの国道162号線が気になっており、海沿いに小さな漁港を見て回りたかったのだけど、この雨で初めての山道は危険かもしれない。このままゲリラ豪雨になることも予想されたので、途中、田烏の棚田まで行って撤退。最寄りのインターで高速道路に乗り、三方五湖のサービスエリアで雨をやり過ごすことにした。

山々、と言うか、岬々が折り重なるグラデーションがうつくし。

それにしても、だ。クルマを運転していると垣間見える、山々のグラデーションが本当に美しい。写真を撮ろうにも、道は狭いし、ドアを開けられないほどの雨だったので、記憶に留めておきました。上の写真は、途中に一カ所だけあった駐車スペースに停めて撮ったもの。これから、この道にもたびたび来ることになりそう。若狭湾情報、大募集中です。

もしも高速道路でゲリラ豪雨に遭ったら。

まずは灯りをつけて左の車線を走る。路面に川のような水が流れていることがあるので、速度を出しすぎたまま入ると危険。路面に注意しながら大雨時の制限速度まで落とし、あとは次のサービスエリアで避難、ですね。
トラックがいたら、飛沫がかからない程度に距離をあけて後ろに入るのも手です。プロのドライバーは、こんなときに絶対に無理をしないし、トラックのテールランプが目標になるし、まさかこんなときにトラックの真後ろに割り込んでくるドライバーもいないからです。
そして高速道路は南に分かれ、僕は長浜市方面へ。トンネルをいくつか越えると、雨は小降りになっていた。

そして、安定の長浜市内。

友人に会う前にコインランドリー。乾燥するまでの間、大通寺の門前町、通称黒壁スクエアを歩いてみました。

今年は、羽柴秀吉が長浜にやって来てから450年めの記念の年らしい。
そう言えば、メンソレータムの会社は近江兄弟社だったな。などと思いながら歩く。
琵琶湖東岸の地域では、今でも石田三成は人気です。関ヶ原の戦の後、この地を治めるようになった井伊氏も、この人気にはかなり気を遣ったらしく、彦根城下では関ヶ原での話が禁句とされていたようです。

そして夕刻、滋賀県出身の友人と連れだって、黒壁スクエアからは少し離れた割烹料理の店へ。この店は、前日に泊まった民宿の漁師さんも湖魚を卸しているという。今回の投稿の最初に出てきたビワマスの造りも、この店のものです。そしてこんなものも。

ビワマスのイクラ。たびたび見かける鱒のイクラよりも歯ごたえがあり、無論、美味なり。
エビのかき揚げを頼んだら、エビがぎっしり、エビ以外に何も入っていないかき揚げなのだった。
この店は、太田和彦さんや吉田類さんもたびたび紹介しており、関東からのお客さんも多いという。とは言えもっぱら地元のお客さんがひとり、または少人数で来ることが多く、とても落ち着いています。
ということで、長浜ナイトはお開き。明日は帰ります。

おはよう、長浜。門前町のようすを眺めて帰ろう。

まずは黒壁スクエアの中心。大通寺にお参り。

この寺には伏見桃山城から移されたという大広間があるけれど、これはオミゴトです。大河ドラマの予算でも、あれほどのセットは作れないであろうよ。京都、二条城の大政奉還の部屋よりも広いし、かつ、畳に上がることもできる。この広間に座っていると、かつての殿さまがどれほど偉く見えたことか、実感できるというものです。撮影は禁止。
この店を教えてもらってよかった。鮒寿司はもちろん、湖魚の佃煮はほとんどの種類が揃う。あの香ばしい「イサザの佃煮」なんて、東京では買えませんから。そして何と、鮒寿司の「飯(いい)」だけでも、ワンパック400円で買うことができた。小分けして冷凍しておけば、半年は楽しめますね。

近江長浜の観光スポットと言えば、大通寺門前の通称”黒壁スクエア”が知られています。で、普通、こういう観光地の古い街並みには、レトロを狙った”新しい”施設が多く、どこも似たり寄ったりでかなり食傷気味なのだけど、ここは少し違う。昔から続く店が、建物や看板などを大切にしていたら、今、たまたまこうしてスポットライトを浴びている、というオモムキです。
何より、昔の看板をそのまま使っている店が多く、書体フェチなわたしとしては散歩に飽きません。最後に、気になった店頭のようすをご覧いただき、この長〜い投稿の〆とさせていただきます。

お線香の香り漂う荒物屋さん。500円のハタキを買って帰りたかったけれど、荷物を増やしたくないのであきらめました。
緑のカーテンの使い方がオミゴト。
明治時代に櫛やかんざしなど、女性用の装身具を商っていたという化粧品店。昔のポスターが大切に保存されていて、ゆっくり見せてくれました。お礼に、使うことの無かった脂取り紙を買ったりして。
今はどんな自転車を扱っているのか見たかったんだけど、お休みでした。
大通寺の山門前は、こんな感じ。
こうした堀がアクセントになっているのも、城下町ならでは。そうか、この一帯は、城下町であり門前町でもあるのだな。
雨に濡れずに歩けるアーケードも、けっこう長いです。
鯖そうめんを忘れてはいけません。この店は、15時閉店。売り切れても閉店なので、急げ!
無事に、鯖そうめんをいただきました。

あとは、ここからクルマで30分ほどの米原駅でレンタカーを返し、新幹線に乗って帰るのみです。米原駅周辺は空き地や駐車場ばかりで、ご飯が食べられる施設が少ないのが難点。駅に向かう前に済ませておきましょう。
それでは、さよなら長浜。また来ます。

※ なお「自分で探す」楽しみも旅の大切な要素だと思いますので、宿や飲食店について、詳しい場所は紹介していません。とは言えヒントは入れてますので、参考にしてください。現地に行けばすぐにわかると思います。



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