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#58 民主主義と教育(下)

"民主主義と教育(下)"を読了。
直近読んでいた上巻に続いて下巻である本書をチョイス。
上巻に続いて、この時代の狭義の教育に対して批判しつつ、本当の意味での民主的な教育とは何なのか?を提言している内容。
ホモ・ルーデンス的思想、価値観が固定化される世の中における教育の在り方に対する指摘、いづれも共感する。

特に印象に残ったのは下記の3点。

  • 活動は徐々に仕事に転化していくのである。遊びを裕福な人々の無益な興奮にしてしまい、仕事を貧しい人々の性に合わない労働にしてしまう傾向になる歪んだ経済的情況は別として、遊びも仕事もともに等しく自由であり、しかも内的に動機づけられているのである。遊びの態度がたっぷり含まれたままでいる仕事は「芸術」なのである。

  • 社会生活に有効に参加する能力を発達させるすべての教育は道徳的である。

  • 充実した生活とは、できるだけ多くの知識によって意味付けられた過程を生きることだと言えるだろう。そして、そのことは、人類の経験を共有し、その意味を自分の生活によって確かめながら生きるということなのである。

人として生きるとは何なのか?を教育というキーワードからここまで繋がるとは。

これは良書!
以下、学びメモ。
ーーーーー
・遊びと仕事の心理的区別をその経済的区別と混同しないようにすることが大切である。心理的には、遊びの概念の定義的特徴は、娯楽性でもなければ、無目的性でもない。
→それは、産出される結果との関連において行動の連続性を限定することなしに、同一の路線上のより多くの活動として目標が考えられているということである。活動はより複雑になるにつれて、達成される特定の結果により多くの注意が向けられることによって、さらに多くの意味が付け加えられるのである。
→★こうして、活動は徐々に仕事に転化していくのである。遊びを裕福な人々の無益な興奮にしてしまい、仕事を貧しい人々の性に合わない労働にしてしまう傾向になる歪んだ経済的情況は別として、遊びも仕事もともに等しく自由であり、しかも内的に動機づけられているのである。遊びの態度がたっぷり含まれたままでいる仕事は「芸術」なのである。★
・教育課程の中の学科を、鑑賞的なもの、つまり本質的価値に関わる学科と、道具的なもの、つまりそれ自体を越える価値または目的を持つものに関わる学科へと分割してはならない。いかなる教科においても正しい価値基準の形成は、その強化が経験の直接的意義に寄与するのを実感すること、すなわち直接的な鑑賞に依存するのである。
・ギリシャ人たちは、自分たちの伝統的慣習や信念が生活を統制することができなくなってきたために、哲学的に思索するようになった。そのため彼らは慣習を批判し、生活や信念の権威の他の根源を探し求めるようになった。彼らはその根源として理性的基準を求め、また頼らないと決めていた慣習を経験と同一視したために、彼らは理性と経験をあからさまに対立させるようになった。やがて、心理学や産業の諸方法や科学における実験的方法の進歩によって、異なった経験概念が明らかに望ましいものとなり、可能にもなった。
・自由に関して心に留めておくべき大切なことは、自由とは外面的な行動の無拘束状態というよりもむしろ精神的態度を指すということ、しかし、この心の性質は、探検や実験や応用などにおける十分な行動の余地なしでは発達することができないということである。
→慣習に基礎を置く社会は、慣例に一致する限度までしか個人的変異を利用しないだろう。画一性が各階層の内部の主な理想なのである。進歩的な社会は、個人的変異の中にそれ自体の成長の手段を見出すから、それらの変異を大事なものと考える。
→★それゆえ、民主的な社会はその理想に従って、知的自由および多様な才能や興味の発揮を考慮に入れて教育政策を立てなければならないのである。★
・対立した諸傾向の調和的再調整をもたらす唯一の方法は、情緒的および知的性向の修正によるものであるから、哲学は生活のさまざまの利害の明確な理論的表現であると同時に、利害のより良い調和をもたらし得るような観点や方法の提示でもある。
・民主主義は原則として自由な交換、社会の連続性を支持するのであるから、それはある経験を他の経験に方向や意味を与えるのに役立ち得るようにする方法が知識の中に含まれているのを認める認識論を発展させなければならない。
・★社会生活に有効に参加する能力を発達させるすべての教育は道徳的である。★
→社会的に必要な個別の行為を為すだけでなく、成長に欠くことのできない連続的な再適応に興味を持つ性格をも形成するのである。生活のすべてのふれあいから生ずる学習への関心は、本質的な道徳的関心なのである。
・★充実した生活とは、できるだけ多くの知識によって意味付けられた過程を生きることだと言えるだろう。そして、そのことは、人類の経験を共有し、その意味を自分の生活によって確かめながら生きるということなのである。★

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