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サンタクロースは本当にいる その④【大きな段ボール箱】

2015年の12月。のクリスマスが近づく頃、僕は、抱えるのに肘が伸びきるくらいの大きな段ボール箱を近所のクロネコヤマトに運び込んだ。中身は鉄道模型で、大学を卒業して社会人となり、小学生以来の鉄道模型を再び始めてから20数年間にわたりコレクションしてきた物だ。

…24歳だった教員初任者当時【正解だらけのクルマ選び その9】に書いたように、僕は5LDKの校長住宅に一人で住んでいた。広さを持て余していたので一部屋をレイアウト専用室にしていた程だ。山下達郎の《ターナーの機関車》をBGMにしてC62を走らせたり、旅先で『乗り鉄』した特急電車を買い集めては走らせ、行った先々での風景に想いを馳せ、その時の気分や思考を振り返ったりしていた。それは結婚したのちも、家を引っ越す度にも大荷物になったけれど手放さずに運んで移り、唯一のインドア趣味として不惑を越えても続いた。そして次の鉄道旅をする毎に同様に繰り返した。

そんな思い出の一つに山陰は松江・出雲への旅がある。妻とともに二人でいたく気に入り、季節を違えて一年の間に3度も脚を運び、移住まで考えた程だった。その旅はいつも*寝台特急《サンライズ出雲》に乗って行った。個室のB寝台よりも、のびのびシートと呼ばれる簡易ベットの方が広く寝心地も良いのでシュラフとマットを持ち込み、沼津駅を深夜に出て、朝を過ぎた頃には松江駅に到着する。朝焼けの山陽本線沿いに建つ赤瓦の家並みは美しく、大山を眺めながら進む伯備線の繰り返す曲線はいつも素敵だった。

そんな思い出深い285系《サンライズ出雲》だけを残し、その他の特急も線路もコントローラーも全てコウノスケにあげよう、と思って荷を詰めた。とにかく身の回りを片付けたい一心だった。ほとんど身辺整理に近いくらいの断捨離だった。元よりミニマリストなので、引っ越しは家電やダイニングテーブルや食器棚を含めても、借りたハイエースが2回で済むくらいの物しかない。それをさらに減らしたのは、若くして妻に先立たれ、一人残された人生は、もういつ終わってもいいと思っていたから…。

荷物は無事届いたようで、添えた手紙への返事も兼ねたお礼の手紙がコウノスケから届いた。僕等の暮らしと旅とその想い出も、全て受けてめて大切にする、と書いてあった。涙は止まらなかった。僕は鉄道模型のコレクション全てを彼にあげてとっても嬉しかったし満足した。ただ一つの失敗を除いて。それは、日を改めて母親一人で蕎麦宗に立ち寄ってくれた時に知ったのだが、その際、その失敗をかき消すくらいな驚きにも出くわすことになった。

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