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日経平均がバブル期を超えて...賃上げ、役職、恩恵なくとも生き抜く人たち

 この日は、冷たい冬の風が吹き抜けていた。木々は枯れ、街路樹は寂しげに立っている。都心オフィスに向かう。そこには、何人かのビジネスマンがランチに入るために寒そうに並んでいるのが見える。彼らはスーツを着て、びっくり真剣な表情で何かを話している。

とある日の風景

 34年ぶりに日経平均が過去バブル期の最高値38915円を超えた。40代後半から60代の会社員たちの心情はどうなんだろう…? 彼らは長い間、期待と現実の狭間で揺れ動いてきた。昇進やポジションの夢は遠ざかり、給与は上がらず、人手不足の言葉の裏に隠された現実の人生を歩んできた。

34年ぶりに市場最高値を超えた日本株式市場

 自分が日経平均が最高値を超えるのを知ったのは通勤途中のスマホで。 ニュースとしてメールが飛んでくる。 その日のニュースはこの話題が多い。(せっかくなのでしっかりと覚えておこう2024年2月22日、38915円突破。その数字は、経済の健康を示す指標であり、私たちの生活に影響を与えるものだろう)。
 ランチ待ちの同年代会社員、約30年前から置かれてきた自分達の境遇を思い出しているのではなかろうか。その数字の背後に隠された感情は、私たちの心に深く刻まれているかも知れない。

我慢しておけば、いつかは報われる…と信じていた若き時代に

 自分たち50代から60代の会社員は、長い間期待と現実の狭間で揺れ動いてきた。入社してからバブル崩壊へと向かう。社会、経済、景気が悪くなっていくのだ。当時バブル崩壊など経験した人はいない。そんな人たちから良く聞かされたのは、「すぐに良くなるよ」「 お金持ってる人は持ってるしなぁ」「 今だけ出費を控えているんだよ」 といったフレーズの数々。どことなく評論家のように聞かされたものだった…ことを思い出す。

 当時の会社は今のように人に優しくない職場だ。夜10時まで働いても残業はつかない。休日出勤をしても出勤手当もつかず、そんな 会社員生活の人、多かったのでは? 表面上の言葉として「早く帰れ」と言われたこともあった。本当に早く帰ろうものなら「やることをやってから帰れよ」と言われた悪き思い出がある。 部署内でも「あいつはなんで早く帰るんだ?」みたいな悪しき雰囲気が多分にあったこと思い出す。

当時の風景

 「我慢しておけば、いつかは報われるから」と上司から言われてきた言葉。それに少しの期待を持たされてきた。残業代もつかず、休日勤務もつかず、昇給の遠のいている。でも「今だけだから」と言い聞かせ頑張ってきた人もいる。真面目にコツコツと。それが30年も続いてきたのだ。

 それでも当時、同僚たちとの飲み会などで笑顔で話し、将来の展望を語っていた。いや、ちょっと年上年配の方も一緒だったと思う。私もその一員であり、私たちの未来は明るいものだと信じていた。当時の年上の年配の人たちには良く奢ってもらった記憶がある。勇気づけるいい人もいました。

当時の若者の期待

徐々に変化する社内の悪い雰囲気、まさに少しずつ進行していた

 しかし現実はどうだろう。人件費は会社経営側にとっては圧迫される課題だと言い始めた。時には人員整理なるものが行われてきた。それが従業員にとっては厳しい現実だったのだ。課長レベルからのにわか管理職も経営層が「人件費が高い、人件費が経営を圧迫している」と言いはじめると、それに同調するかのように我々に降ろしてきた。ブーメランのように自分達に降りかかると知らずに。私たちは会社のお荷物だったのか? 効率重視、数字重視、無駄取り、成果主義・・・、その言葉の裏に隠された現実を知っていくことになる。

 この頃からだろう、社員は増やさず派遣社員を採用するケースが増えてきたのは。しかしその後は「派遣切り」と言う"汚い言葉"が広まったのを覚えている。派遣さんがいなくなって苦労するのは自分達と知らずに…。それでも管理職は会社に「ノー」と言わずにイエスマンになってしまった。(そんな人間が今の会社側の役職として残り続けている。)

これが現実
ノーと言えなかった

50歳で何者にもなれなかった人たちへの著作本が心に。。。

 その当時の入社した私たちのような50代から60代の会社員は今まで30間、賃上げなどなかったのが現実。結果として報われることはなかった。給与は上がらず、昇進の約束は空しく響いた輩も沢山いる。

「40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか」、、、河合薫さんの著書のこのタイトルがぴったりか、日経にも連載がある。 ご興味あればば見てください。 

エレベーターが到着し、同僚たちは次々と中に乗り込んでいった。私は、彼らの背中を見送りながら、自分の存在意義を問い直した。何のために働いているのだろうか。何のために努力しているのだろうか。

仲間の心情はこんな感じだった

当時の仲間達の今の心情はどうなんだろう? 

国が動き出したのか、企業が変わってきたのか?

 企業は今まで人に投資せず、自分達の存続のために内部留保も沢山積み上がっているのである。バランスが悪い。当時銀行担当の記者と話したことを思いだす。「こんな不景気でも会社は内部留保ばっかりを貯めているので、内部留保税というものができるかもしれない。」 ようやくこの意味が世間に 理解されてきたのか。

 国が言う「インフレと賃上げの好循環」とは良いフレーズだと思われる。と言うのは株式市場に精通する人たちの言葉。岸田政権は色々と批判されるが、これを強く言い出したのは岸田さんである。メディアは悪い面だけをクローズアップする。岸田さんは淡々と経済復興に進めているのかも知れない、目立たないが…。

ひとり言

 30年以上、不景気にしてきたのは誰? 内部留保優先で設備投資も人材にも投資して来なかった多くの企業、それが今になって人材が大切などと言い出してきた。人手が足りないらしい、、、本当か?信用する人も以外と少ない。今まで騙されてきたのだから、、、。会社で昇進したのはゴマすり上手な人だけと思っているかも知れない。

世の中の変化を見ていた! 自分の生き方を探し始めた50代

 一日が終わり私は帰路についた。街灯がぼんやりと灯り、人々は家路を急いでいた。私は、自分の足取りを重く感じながら、家に向かった。何か複雑な気持ちではあったが、でも何か期待できる面もあった。

ひとり言

 長年生きてきた私のような年寄りも何らかのアイデアやスキルもあると信じたい。メディアでは老害ろうがいと雑誌のタイトルに取り上げる。品のない言葉だ。そんなタチの悪い言葉を使う雑誌は読まなくていい。会社は今や若い人に向けての発信がメインだ。会社の役員もZ世代、若者向けのPRを行う。しかしそんな事にいちいち目くじらを立てる人も以外と少ない。諦めとかではなく、これが当たり前なのだと分かってるのだ。自分達の娘や息子も働き出している。引き継がれていくのが"時代"だ。自分の人生、やりたい事の楽しさを見つけている人、若者との共存、コミュニケーションを自然と楽しんでいる人、以外とそんな心広い人がたくさんいる…そんな現実を知ろう。

我が娘、そしてZ世代よ、これからを生きよ! 

 そして、若いゼット世代が注目されている今、私たちはどこに立っているのだろうか。会社の言葉は、確かに彼らに向けてのものであり、私たちの存在は薄れていく。しかし、私たちの経験と知識は、次世代に受け継がれるべべくメッセージがある。

 50代から60代の私たちが伝えられるヒントは"常に世の中の変化する"と言うこと。今やAIが発展、このままの世の中であり続けるか? そんな事は絶対あり得ない。きっと今の若い人も年を取れば老害と言われる時代が来るのだ。自分達は若い世代に変化すると言う事の意味を上手く伝えなければならない、老害と言われないように注意しながら。

追伸…

 自分達は会社を卒業すればやる事がいっぱいある。"会"社から"社"会へと移行するとすれば、それをつなぐコミュニティや共存が足りない。そこには若い人から中高年の参画もある。世代間をつなぐ(調和的発展が乏しい)日本社会でのシステム作りだと思う。まだまだやることはいっぱいありそうだが、どう思われますか?

(終わり)


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