見出し画像

当事者、日本人女性の海外移住の背景にあるものN=1

ツイッターを見ていると、何も関係無いのに
自分が気に入っている場所から人が出ていく、という事実になんとなくショックを感じる人が多いのだな、と感じる。
日本の女が国外に流れているそうだ。

そりゃそうよなぁ、なんて思う。

ただし女性が国が嫌いだとかそんな話ではなく、
色んなことを経験して、考えた結果、
日本社会外で生きる経験をした方がいいかな、という戦略的な決定にたどりつくのだ。
そこから女たちは
『あら、移住できるじゃん』というイージーさを感じるのだと思う。
日本での生活デフォルトが厳しすぎるので。


私も端から見ればその当事者であり、
私の周りの多くの女性が海外移住しているので、
この決定にどんな背景があったか、私の経験を書き残しておく。


生きづらいのは日本という解釈


テレビやらで

『日本は他と違う!外国人が驚くJapan!
 日本の同調圧力!日本の経済!失われた20年!』

みたいな見出しをたくさん見てきたので
生きづらさや日々の問題を
日本社会構造として理由付けしやすかった。

世代的に『Youは何しに日本へ?』の視聴率が上がり、新観光立国論という本が売れ、東日本大震災後の対応が世界から注目を浴び、『お・も・て・な・し』な東京オリンピックへの期待があふれる2010年代を青春の毎日として過ごした私にとって、日本に生まれたことは特別で、他とは違うんだ、という選民意識は着々と醸成されたように思う。

日本特有な文化は、(ホフステードの文化分析によれば)
長期思考、権力格差、男性社会、集団主義、抑制的、リスク回避であり


未来のために、先人と上の人の言うことを聞いて
皆で我慢しながら準備しよう!

という言葉に言い換えられる。
体育会系男社会にどっぷりだった10代の私には妙に納得感があった。


武士道と仁義、ゴリゴリ体育会系の思想を内包した私は、自責のマインドを持ち合わせていた。他責なんてのは恥ずかしい、雨が降っても自分の責任だ、そんな風に感じて、運動場の水溜まりを早朝に一人でスポンジで吸って午後の部活に備えていた。


メディアを見ているうちに、良い事も悪い事も、
日本の社会構成と文化に基づいていて、
悪いことは『もー!日本は~』
良いことは『わ!日本に生まれてよかった!先人に感謝!』なんて言葉で表すことができるようになった。

だから何か自分に問題があれば、
きっとこれは日本特有なことなのだ、なんて解釈してしまえば楽だった。自責してしまえば解決に向けて動かないといけなくなるから。

その解釈の後には確実に『海外移住』への道が開く。


どんな『日本特有の』悪いことが私の人生に起きてきたのだろう。

幼少期からの自己否定ルッキズム


5才くらいから毎年こどもの日には
スケート場が無料公開になるので、家族で行っていた。

男たちと私がどんなに転けることなく、速く滑ろうと、スケートリンク上での評価軸は見映えがすべてのようだった。可愛い女の子が下手くそにとろとろ滑る方が、ブスが滑るより注目を得られる。

その点、親の会社の避暑地で行うスキーは、全身防寒着で良かった。父も、向上心と忍耐が防寒着の隙間から垣間見れる6才の私に必死にスキーを教えていた。他の兄弟は寒い帰りたいとごねていた。

中学でテニスを始めた時、
練習試合で走ってこけた同級生を
先輩とコーチは『可愛いなぁ』と言った。
点を取ったのは私だった。練習し、勝ち、部長になった。

高校での部活で
OBとして大学から来た女好きの先輩が
ランキング戦の結果を無視して
レギュラーに選んだのは外見の良いパーマをかけた子だった。

小さいころから何となく姉と顔面を比べられて育った私は、まぁ当然だろう、とも思ったし、スポーツや学力など、あらゆる判断軸が設定されている場に、
突拍子もなく外見評価軸を自然とのめり込ませられる方々に、非ロジックを感じていた。
部活は引退を期にすっぱり切り替えて、
受験と英語学習に走った。スコアだけが評価の世界へ!

外見至上主義がなければ、私はもう少し遠くまで行けたのだろうか。そんなのは2000年前からの『小さきものは美し』な文化に文句をつけることであって、無意味だった。

だから、自分の外見を変えるより、
外見が意味をもちにくい世界にいってしまった方がいいのだろう。

性被害:日本の性差別の産物にぶつかる

学校の女子更衣室で性被害があった。
被害者の友人たちやその男友達と彼氏、加害者の同級生、その後の対応と怒れる感情の渦中にいた16才の私は、『未来のために』『我慢』していた。

それでも、事件の対応に関わりながらも
気丈に振る舞えたのは私だけだったようで、
過呼吸、失神、食が喉を通らないなどの不調、学校に来ない、別れ、男性特有の嫉妬、ホモソーシャルの形成などを経験する友人と同級生たちを横目に
警察/校長/保護者/友人へ話す、友人の仲裁、など出来ることは全部やった。

結果、その後の学校生活は気分が重かった。

女の子たちは『まあ、気にしてないです。』『そんなに対した加害ではないし』と保身のために事無かれ主義をとる者が多く、

恋愛市場にいきる女たちは『帰ってきた男君は、加害者として扱わずにみんなで優しく対応しよう!』『ずっと悪者扱いなんてひどい!』と男社会に取り入ることで『寛容ないい女』自己ブランドを確立し、恋愛に走った。
姉御肌の女でさえ『女の子の気持ち考えられないヤツは男としてサイテー』程度の人権/ジェンダー意識に欠けた言葉を出すのが限界で保身と空気にながれ、本質に触れるものは誰もいなかった。

性加害後の渦中に入ることも、加害者と戦うことも怖がった者は、渦中にいそうな私を敵と見なして同族の女で群れることで自我を保った。行動する者に石を投げるような行為はこの社会では主流だった、仕方ない。

匿名のsnsでは性加害のことを嘆くアカウントが出てきて、恋愛市場に生きる女とホモソーシャル男がロジックも本質もない攻撃をしていた。
周りの人は、その匿名アカウントを運営しているのは私だと思っていたかもしれない。何度か男にアカウントを持っているかとそれとなく聞かれたが、私にはそんな暇はなかった。

加害者については、
学校で起きたことなので仕方ないという教師が醸し出す空気によって部活で成績を残していた者から順に学校に戻ってきた。男友達は加害者の目を気にしながらも被害者を支えた。

加害者は何も無かったように学校生活を送る一方、
被害者は居場所を奪われた。
被害者の気持ちを私は100%で分かってあげられなかった。
「とりあえず学校に来い」と言ってしまったこともあった。
私も見えない圧力を感じながら学校生活を送った。
はやく終われ、我慢するからはやくおわらせろ、と毎日が重かった。

石を投げるような行為をしていた、私を6ヵ月忌み嫌った女の子には、時間がたってから、ファミレスでティラミスをご馳走して話した。

彼女は元々乗り気でなくて、ずっと目の前に出されたティラミスを食べずに黙ったままだったので、私が状況と彼女のやってる行為についての話を終え、彼女が私と口を聞くようになって、それを食べようとした時にはどろどろになってしまっていた。
その子は泣いてしまった。「ずっと勘違いしててごめん、あなたの方が辛いはず」と言いながらどろどろのティラミスをフォークでかき集めてた。
もったいない。

他責で生きるが故に、本気で人にGiveしようとするからこそ悪目立ちする者を敵と見なし、石を投げ保身に走る人間は悲しい。後悔する頃にはgiveされるはずだったものも、人間関係もどろどろで、そこから必死にかき集めても、元のような価値は取り戻せない。私が差し出したのは、冷や冷やのティラミスだった。彼女が食べたのはどろどろの別物だ。
あなたに審美眼があれば、どんなに良かったことか。でもそれは私の問題ではないし、私は人より辛さに対して耐性があったので、この子の辛さは自己愛に見えた。「今日は話を聞いてくれてありがとう、沢山泣いて気持ちを整理してほしい。」私だって以前のように部活と勉強、筋トレとプリクラだけに集中できる学校生活だったらどんなに良かったか。

またゆるゆるな思考は若く未熟者な生徒だけではなかった。学校が設定した全校女子生徒への1on1では女教師が私の意見を理解できない、ドン引きするという地方独特の痴態が発生した。

この件があって、担任の女性教師は、性犯罪以降、一匹狼になっていた私の事を気にしていたのか、最後に手紙をくれた。
しかし、そこに書いてあったのは、
美しい字で書かれた謎の言葉だった。

『あなたが何を考えているか、ずっとわからなかったけど、この一年あったことを振り返ると、段々分かってきたような気がします。』

別姓を選び入籍しないことを選んだ子持ちの中年女が、
性加害を受けて少しでも戦おうとした私の言動の意図がわからない、というのだ。
お前はなぜ戦わないのか、
倫理や罪と罰、仕事とコミュニティに対する責任、人へのケアと自分の思想への内省からなぜ目をそらすのか。

上記のティラミス女や女性教師のような女たちと会った時に男が言う『女は話が通じない』はとっても納得できる。
この頭の悪さや洞察のなさ、他責の態度と自己愛ゆえの涙は女と言う属性に由来するものではないが、確実に男社会の日本の産物だった。
『上の人(男)の言う事を聞いて、皆で我慢しよう』。

あれから約10年たった今でも、被害者は
トラウマに苦しみ、雲隠れしてしまっている。
加害者の多くと恋愛市場に生きる女たちはこんなことは忘れて結婚している。
保身に走った女たちは婚活を頑張っている。
私はこんな社会では男側でも女側でも生きられず、海外を目指してしまった。

『もー、日本は…』という解釈にたどり着いたのだ。
似たような経験をした女性が、日本社会で生きられないと悟ってもおかしくない。

では、セクシャリティの問題か?

こんなことがあったので以降はずっと、
自分を性的アイデンティティーから隔離して、
人間としてコミュニケーションをとってくれる仲間
を探していた。

西洋文化に馴染む方々は比較的にその傾向があり、私が何を着ていてもどんな言葉を使っても、保身に走らず私の考えを聞いて、自分の考えをつたえてくれた。異文化に馴染める社会階層の人だったからなのかもしれない。 

そこから西洋の友人が増えるのはすぐだった。

英語を話せば異質になれる

『金と地位が欲しいなら英語を勉強しろ、海外に行け』と19才の私に言ってくれたのはアメリカと日本のトップで叩き上げられたブルーカラー出身の下克上エリート男性だった。
西洋出身の人たちは『あんなのに感化されてもねぇ』なんて態度だったけど、私はそこに救いがあると思って没頭してしまった。行動しなさい、戦っていいのだ、と言ってくれているようだった。

この没頭は、確かに救いであり、
私が日本の猿山から抜け出す道を示してくれた。

海外で過ごしたり周りに非日本人が増えたりすると
日本人としては異質な物として扱われ、楽になれた。
『海外行ってる子だから』『海外ではそうなの?』なんて何も考えない人から適当にあしらわれることが可能になった。
石をなげられるよりもきっと楽で、幸せな孤独になれた。

もう、言葉を尽くしても理解されないまま一匹狼として戦ったり、冷や冷やのティラミスを差し出してどろどろにされて泣き付かれたり、自責の念から早起きしてかじかむ手で校庭の水溜まりを吸ったりしなくていい。

海外のイメージを免罪符に日本人コミュニティで楽に生きる。帰国子女もハーフも移民もこんな風に考えているのかもしれない。

日本で鍛えられた最高峰スキル

私は日本で義務教育を受けた。多くの日本人は気づいていないが、私は世界の平民にしては世界最高峰レベルの教育を受けられたのだと解釈している。
なので海外生活で自分のスキルが原因で困ることはあまりない。

読み書き、そろばん、倹約、長期的に人生の計画を立てること、食育と栄養学、衛生観念、片付け掃除、裁縫と料理のライフスキル、スポーツや水泳、クリエイティビティ、ロジック、人の感情をよむこと、根回し、パーティーの企画と団体行動。そしてサラリーマンとしての長時間労働、お客様は神様の精神で送るレポート。何より、辛くても『未来のために我慢すること』。

海外で色んな人と関わる内に
え?泳げないの?え?計算できないの?
え?ビタミンBの欠乏症しらないの?
あ、効率いいやり方はこれだよ、汚さないようにするんだよ、
こうやって切ると味が染み込むんだよ
結び方こうしないとほどけちゃうよ?
サラダ油には火は付かないよ。それだと長持ちしないよ。
二重窓じゃないからでしょ。
え?仕事5時でオワルノ?
レポ―トのクオリティ上げときました

https://x.com/UIAlchemist/status/1779133258749329687

全部、日本の教育と生活で習ったことだった。
そして当たり前に質の高さを追求できる、残業できる、人の事を思いやれる。私はただ日本の教育を受けてきただけなのに海外では楽に生きてても感謝されることが多い
特に日本人の生活スキルと衛生観念の程度は他の国の人間よりずば抜けて高く、日々助かっている。


海外に行けば、当たり前に日本でやっていたことが自分の長所になるんだ、こんな簡単なセルフブランディングはないでしょう。

国外という「ここではないどこか」

海外で過ごす日が増えてから、
日本に帰りたいという気持ちはなくならない。

みたらし団子、肉まん、だし、細やかな気遣いと思いやり、安いコストで大満足のサービス、衛生がきっちりされた社会。人との言語を介した阿吽の繋がり。ボケとツッコミ、バカけた演出と武士道と仁義。

『未来のために、先人と上の人の言うことを聞いて皆で我慢しながら準備しよう!』ができる日本人は最強で最高だった。私は日本が一番素敵な社会だと思う。

日本で悪い事があった時に『もー、日本は…』と解釈するようにプログラムされたmade in Japanの私の脳は、海外生活で
『くそったれ、海外はこれだから…』の解釈もできるようになった。

そしたら、海外で「くそったれ!」と思ってる方が100倍楽なんですよ。日本で悪い事が起こった時のように愛国心とそれ由来の思想を詰め込んだ自我を否定しなくていい。
「バカチャイナ、オナニーアメリカン、変態英国紳士、血も涙もないヒットラー気質ドイツ人!」なんて風に思える。
つまり、他責が可能になったのです。海外に身をおくことで他責思考が許される。
こういう一種の甘さが、日本人女性を海外にとどまらせていると思う。つまり、日本がいい国だからこそ、海外で嫌なことがあっても自己と同一化した国の文化と思想を責めなくていい。

移住してても日本のパスポートは持ってるから帰国できるし。なんて危機管理が徹底された安心安全構造なのでしょう。私は幸せです。

周りの海外移住者の声

私の経験は上記の通りだが、
多くの海外にいる女性移住者はこんなにひねくれていないことは付け加えておく。

海外に長期滞在している20~60才の女性と話すことがあるが、海外にいるとちょうどよく逃げられた気持ちになるよねというのが主流だと思う。

せわしい日々ではない、性別で見てこない、飲み会は行かない、謝らなくていい、期待されない、周りが自分を見ていない、人を助ける義務や形だけの慣行を行わない、外国人として現地人に見られるので気を回さなくていいのかもしれない。『未来のために、先人と上の人の言うことを聞いて皆で我慢しながら準備しよう!』なんてしなくていいのだ。みんなが自分勝手で、皆が計画&準備不足で雑。

孤独になれて嬉しい、そんなメリットが海外移住にはあるのかもしれない。

なぜ移住男性は少ないか?

これ、日本に限ったことではないのでは?
どの国でも男中心で社会がつくられ、
その国の男が生きやすい構造が用意されている
のだから。

電車の椅子も、シートベルトも、スマホのサイズも、長時間労働や単身赴任制度、社会保障も法律も、はたまた風俗も全部全部男性用基準で作られている。私は体育会系ホモソーシャルで育ってしまったのでこれに違和感を感じる事が少ないのは幸いなことなのかもしれない。

私のパートナーは非日本人ですが、
彼の母国では一番生きやすい人間だろう。
だから彼の国に私が移った。戦略的決断です。

長くなりましたが
女の海外移住の背景ってこんなものだと思う。
『未来のために、先人と上の人の言うことを聞いて皆で我慢しながら準備しよう!』から、ちょっと逃げてみる。
そこに国に対しての嫌悪も憎悪もない。

そして、何より、日本で幸せに生きられるのであれば、そんな恵まれたことはないと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?