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ゴリゴリ体育会系な思想もってたやん俺。環境と僕と僕の思想と。

体育会系とゲイ。スポーツ界は性質上、どうしても男らしさを求められ、同性愛に対して差別的になってしまう人が多い。ゲイと男らしさって、一般的に結びつけにくい事実はあるし、女好きであることが男らしさの勲章みたいな謎の雰囲気もある。2020年6月8日現在、体育会系の思想は正直苦手だ。気合でなんとかしようとしすぎだ。

と、そんなことを言っている僕は、実はゴリゴリ体育会系の学校に通い、ゴリゴリな上下関係の中で高校生活を送っていた。上級生には大きな声で「ちわ!」と挨拶。1人に対して1回。5人居たら5回。入部したら、更衣室に閉じ込められて謎にブチ切れられる。「お前ら挨拶も出来ねえのかよ!!調子乗ってんじゃねえぞ!!」だとか、「返事の声が小せえんだよ!ふざけんじゃねえぞ!」だとか、なんだか良くわからん理由で怒られていた。整列して怒鳴られてる時、「ルール守ってねえやついたな、出てこい」と同期のやつが呼ばれて、胸ぐらを掴まれていた。

「すみませんでした!!!!」

更衣室には大きな声が響き渡る。これは、本当に21世紀の都内の高校で起こっていることなのだろうか。夢でも見ているんじゃないのか、俺。いや、でも足が震えている。震えが止まらない。すると、

「すみませんでしたですむと思ってんのか?」

と、上級生の声が聞こえる。

そこで、俺は内心こう思う。すみませんで済まなかったらどうすりゃいいんだよ(笑)泣きわめけばいいのか。

同時期の中学の同級生はツイッター上で、「先輩マジで優しい!」とか「今日部活の先輩にご飯おごってもらった!」とか言っている。そんな上級生、僕の高校の校舎内にはどこにも見当たらない。通学時に電車に乗ることも怖かったので、地元が近い友人と待ち合わせて一緒に通ったこともある。

人間は不思議なもので、一定期間を同じ環境で過ごすと、慣れてしまうものだ。上級生に対する挨拶は無心で坦々とこなす。怒られてるときも正直、右から左へ内容がすーっと抜けていく。顧問に怒鳴られても無心で返事。こうして、僕は、「申し訳無さそうな顔を作りつつ内心スルーをするスキル」を身に着けてきた。

2年生になり、後輩ができた。僕は正直、上下関係も、ルールもどうでもよかった。1年生だけシャツの腕まくりが禁止であったが、「なんで1年だけ禁止なの〜!?」ってずっと思っていたし。意味ないルールはさっさと無くしたいと思っていた、はずだった。

そんな想いとは裏腹に、僕は後輩のダメな部分が目につくようになった。実際に後輩の振る舞いを見ると、やはり抜けている部分が多い。挨拶の声が小さかったり、ルールも平気で破る。最初から、すごく親しげに話しかけてきた奴もいた。なんでこんなことができるんだ、こいつ...?

あれ・・・?俺ゴリゴリの体育会系思想染み付いとるじゃん。体中の毛細血管まで染み渡ってるじゃん。気づいたら一定数の後輩のことを「調子乗っているやつら」として見ている自分がいた。恐ろしいぞ、俺。

挨拶を大きい声で、頭を下げてされることも慣れてしまっていた。1年生の時は「上級生は道端であんな事されて、一般の人に挨拶されている様子を見られて恥ずかしくないのかな」なんて思っていたけれども、気づいたら「挨拶をしない奴は調子のっている」という、圧倒的な厨二病かつ体育会系な考えに陥っていた。なんてこった。

こんな"ゴリゴリ体育会系思想"なんていうものに完璧に洗脳されていた僕は、訳あって国際系の大学に通うことになる。そう、あの英語で授業をすることで有名な大学だ。そんな大学に来たいと思う人に、体育会系の環境で育った同期は中々いなかった。率直に言うと、「ぬるい」と思ってしまっていた。何もかもがぬるい。本当に今思えば失礼極まりない話だが、入寮をしてからの一週間で泣いている同期をみて、「なんで?」と思っていた。泣いている意味がわからなかった。体育会系の環境にいた人であれば共感してくれる人が少しはいるのではないかと思うが、「体育会系の俺らが一番精神的にタフで、優れている」とさえ思っていた自分がいた。入学当初の自分をぶん殴ってやりたい。

環境は人を変える。僕もすっかり体育会系の思想からは解放された。大学は文化系のサークルに四年間所属。思いきり四年間を楽しむことができた。もちろん、体育会系な環境でも学びはあって、今も役立っている。長くなるので、思考が変わったきっかけや、どのように変化したのかは今回は述べないことにする。ただ、あんな僕に関わってくれて、変えてくれたすべての人に感謝をしたい。これからもよろしくね。

あっ、あの、、、今買いたい本、、が、、、対話についての、、、本で、、、5冊ぐらいあって、、、1冊1000円以上して、、、買えない、、、ので、、、ご支援頂けたら、、、泣きます、、、