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醜さ極まる孤独な疎外生徒の先に待ち受けていたのは


#私の作品紹介

◆相手が自分の目の前にいる時といない時とでは全然違う態度を見せる奴

◆こちらが特定の人にだけ話しているのに横から口を挟んでくる奴

◆こちらがまともに答えていないのに「◯◯さんも◯◯だってぇ。」と、勝手に他人に言いふらす奴

◆集団である課題に取り組んでいて誰かのせいで失敗した時、いつまでもその張本人を執拗に非難し続け、ちっとも前向きに改善していく姿勢を見せない奴ら

このような厄介者は子供の頃から社会人になった現在でも周りにいます。

これまで関わってきた中でいろんな奴がいたけど、こいつだけは絶対許せないという奴が誰にでも必ず1~2人はいるはず。

そこで僕がこれまで関わってきた人物の中でも、特に目の前に姿を現しただけで思わず眉間にしわが寄って心がかき乱されるほど不快さがまとわりついてしまう奴を採り上げさせてもらいます。

それが下の写真

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これから語る上の写真の人物について、行動やしぐさから分かるその人の性格や心理状態を研究している職業、例えば幼児教育研究家、心理カウンセラー、心療内科といった専門家の方が見ていらっしゃれば意見をお聞かせ願えればと思い、掲載する決心をしました。

つい最近、ツイッターの方で少しつぶやいたのですが、長文掲載可能なnoteの方であえて詳細を語らせてもらいたいと思います。

さて、上の写真に写っている見るからに気難しそうな偏屈な感じのするつらがまえの奴は、僕が通っていた神奈川県三浦郡葉山町立葉山中学校の同級生の白仁成信(しらにしげのぶ)といいます。2学年、3学年の2年間同じクラスでした。

「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」という孔子の名言がまさに自分にぴったりの言葉だと、何食わぬ顔で卒業文集に書いてうそぶいている。

「自分がされて嫌なことを他人にしてはならない」という意味だが、こいつ、誠実で温厚な生徒ばかりにけんか売ったり嫌がらせをしたりしていた。そして、泣いている生徒を見て同情を買うように指さして笑ってやがる。卒業文集に書いてあることと実際の学校での行動に矛盾がある。

卒業文集と言えば学校生活の総決算。思い出や将来へ向けての抱負が綴られた、生涯を通しての宝ともなる人生の一つの大きな節目を象徴するもの。本人が亡くなった後も子供や孫に読まれることだってこの先あるはず。もし彼らが読んだら、「〈自分がされて嫌なことを他人にしてはいけないよ〉という教えをずっと貫いてきたんだ。思いやりのあるやさしいパパ(じいちゃん)だったんだね。」と、これから先長い人生、嘘を信じ込んで勘違いしながら生きていくことになる。そんな実の子供や孫が大人になってさらに「うちのおじいちゃん(ひいおじいちゃん)は道理をわきまえている立派な人だったんだよ。」と、あとから生まれてくる子供や孫に勘違いの情報を流して、嘘が嘘を呼ぶ、永遠に誰も気付くことのない虚言の連鎖反応の悪循環に間違いなく陥っていく。実に怖いことだ。

そんな永久的に残るものの思い出の1ページを占有して嘘を綴って完成された一冊の書物に罪悪感を抱かないのは、それこそ知性を司る神経が麻痺しているとでもいうべきなのでしょうか。

数百人もの生徒一人一人が書き上げれば、その人数分だけの個性あふれる文章が、一冊の卒業文集の骨格となり血肉となり完成に至ります。

僕が今回このことについて採り上げるのは、この白仁成信というクラスメイトが夏休みの宿題の読書感想文コンクールで、中学3年間毎年何らかの賞を受賞していて、1学年の時は優勝さえしており、こんな奴が人の心の痛みの分かる感想など到底かけるはずがないと、普段の学校でのふるまいから見ても絶対あり得ないという理由からです。

加えて2学年では佳作、3学年では準優勝と、皮肉にも3年間いずれもベスト3をそれぞれ制覇してやがる。

またさらに加えて、両親共に学校の教師をしているという。

親が教師ならなおさら道理を踏み外すようなことに対して、人一倍よその家庭より厳格でなくてはならない。

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ここで白仁成信の性格と学校でのふるまいについて詳しく記載します。

1 自意識過剰

すぐ上の2枚の写真に写っているように、左手で顔を隠そうとしているしぐさからその傾向がすでにお分かりかと。

2 地声がやたら小さい

何かにつけて神経を逆なでするようなことをいろいろ言ってくるが、言い寄られた生徒は耳に手を当てて「えっ!?」と聞き返さなくては聞き取れないほどの声の小ささ。

1学年の時、隣のクラスのベランダで同級生と遊んでいたら、ベランダの窓が開けっ放しになっていることにつけ込んで、「開けたら閉めろよ。寒いなぁー。」と、か細い声で睨みを利かせてきた。まだ残暑が厳しい9月だというのにだ。実際その時の体感温度はかなりのものだった。なのに「寒い」などと真逆なことを言ってきている。明らかに挑発だ。

一目見て明らかに自分の方に分があると悟った相手には、そんな感じで片っ端からそいつらを挑発のターゲットにしている。そんな手段でしか人と関わることができない、まことに寂しい奴だ。

あの時のにがむしをつぶしたかのような奴の人相の悪さはいまだに忘れもしない。

3 爪が伸びた指先で原型をとどめないぐらい顔面をかきむしってやりたくなるほどの粘着質

とにかく大したことじゃない些細なことにいちいち深く追及してくる。ウザすぎ

4 同じ件で自分より大きなミスを犯した生徒に対して執拗に非難する

これは僕自身が受けたことなのだが、葉山中学校の年間行事の一つに6月に開催されるバレーボール大会というのがあった。

午前の部でこの白仁成信が試合開始になっても姿を現さない。10分経過した頃にようやくチームに参戦してきた。

だが、僕自身も午後の部の方でうっかり試合開始に気付かず、終了まで参戦しなかった。

周りのクラスメイトは過ぎてしまったことはしょうがないと目をつぶってくれたが、その失態に対して白仁成信だけが猛烈につけ込んできやがった。自分も午前の部で同じミスをしたくせに。

奴がこだわっていたのは、「それでも俺の場合途中から合流した、でもお前は最後まで参戦しなかった。」、おそらくそのわずかな違いについて非難したんだろう。途中から加わっただけでもその時点で俺のほうがまだましだという、何とも縫い針のちっちゃな穴の中にうまく糸を通せるか通せないかでもめるかのような、こんなミクロン単位ごときのことで相手にするこちらもさすがにアホらしくなってくる。

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他に体育祭の種目の一つ「人間ピラミッド」の予行練習で、完成したピラミッドが一気に崩れ落ちる練習をしている時も、崩れ落ちた時に自分の上に乗っかっていたクラスメイトの膝が奴の体に当たっては、その都度「痛ってえなぁー、◯◯よぉー。」と、文句を放っていた。

崩れ落ちれば上にいるクラスメイトの体の一部が自分に当たってそれなりに痛いのは当たり前。他の連中もみんな同じ思いをしているんであって、痛い思いをしているのは奴だけではない。文句を言っているのはこいつだけで、他の連中は何一つ愚痴をこぼしていない。幼稚なのか、それともただ単にバカなだけなのか。

5 一見強面に見えるが実は救いようのない小心者

ちょっとうっかり体が当たってしまっただけで、すぐけんか腰に文句を言ってくる。しかも例のか細い声でネチネチと。

そのくせ強い奴には何も言えない。

奴の存在を噂で聞きつけてか、他のクラスにいる学年一の番長に呼び止められて、胸ぐらをつかまれ「あんまり調子に乗んじゃねぇ。分かったか!? おい、分かったのかよ!!?」とお灸をすえられ、全く抵抗できずあっさり「す、すいません・・・」と尻尾を巻いた子犬と化して、そそくさと自分のクラスへ戻っていった光景は、学年中かなりの生徒の間に広く知れ渡った。

特定の生徒に対して威圧的な態度をとっていかにも強そうだと思われていた奴が、いとも簡単に鼻っ柱をへし折られ大恥をかかされ、それまでの周囲が抱いていたイメージが大きく覆えされた。

これと同じ苦い体験を白仁成信はのちにまた味わわさせられる運命に出会うことになる。

6 うちの学年の英語担当のある教師が授業中の雑談で「ついに待望のマイホームを土地と家合わせて2200万円で購入しました!」と発表した時(※1986年当時)、「先生、なんでそんなに安いの!?」と、普段のか細い声からは想像できないほどの大声を上げた。いかにも自分がそれこそ7000万~8000万円ぐらいの邸宅にでも住んでいるかのような、さりげなく周囲に優越感を起こさせる発言。このあとも英語教師はマイホームのことについてしばらく話し続けるのだが、ところどころで適度に間を空けては執拗に「先生、なんでそんなに安いの!?」を3~4回連発。

しかしながら、白仁成信の家庭はとりわけ裕福ではないことが後日判明。

いつもか細い声しか出せないくせに、周りのクラスメイト達がおとなしく聞いている状況をちゃっかり計算に入れた上で発した大声か?

普段からまともに誰からもかまってもらえないゴミくずみたいな嫌われ者のくせに、ただ周りから注目を浴びたいだけのその場しのぎのせいいっぱいの虚勢。

実に見苦しい!!!

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卒業文集の内容と言い、英語教師のマイホーム購入に対しての発言と言い、なぜ逐一嘘や見栄で己を固めたがるのか不思議でしょうがない。

7 修学旅行の宿泊先での悪行

修学旅行の現地で行動を共にするグループ、宿泊先での部屋の割り振りでも、以上のような偏屈な性格から当然のように一人だけ見事に除け者になる。

そこで担任の先生が奴を僕らのグループに入れてあげるよう言い寄ってくる。

宿泊先の部屋の割り振りは、ひとクラスにつき男女各2班までとなっている。

もう一つの男子の班は、太いズボンを履いているちょっとツッパリ系の連中の集まりで、なりゆき上仕方なく奴を、見かけが普通の僕らの班に入れる羽目になってしまった。それだけで行く前から楽しい気分も半減だ。

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京都・奈良の修学旅行の初日の夜、部屋での夕食でご飯のお代わりをよそってもらうのを、上から目線の言い方で横にいるクラスメイトに頼んでいる。その場のクラスメイト全員を従えて、僕らの班の主導権を握っているひとりよがりの王様気分に浸っているかのように。

夕食後、他のクラスの男子が枕投げか何かでヒートアップして調子に乗って部屋の中の障子を面白がってわざと破ったなどと騒いでいた。そこでその様子を見に行くと白仁成信までついてきて、混乱しているどさくさに紛れて奴もその部屋の障子をわざと手で突き刺して破って、僕らの部屋へ戻ってきて「俺もついでに破ってきた。」と、薄ら笑いを浮かべていた。

「集団生活の中での自分の行動のとり方など、多くの知識を学び身に付けることができた。」と、これもまた卒業文集に書いている。

つまりこれって、「修学旅行の宿泊先でわざと障子を破った時の何とも言えない楽しさ、すがすがしさを学んだ。」というふうに解釈できないだろうか。だとしたら、こいつ相当イカれている。

かの一連の騒動が落ち着いて部屋でみんなでテレビを見ていると、一人のクラスメイトが旅行用カバンの中に手を入れて何か探していたら、「ガサガサうるせえなぁ!そんなの明日やれ!」と一喝。

誰からもかまってもらえないひとりぼっちの汚らわしい子犬を拾って、しぶしぶうちの班に入れてやってんだから、むしろ頭を下げて感謝すべきだろ、なぁ、えっ!? ろくに身分もわきまえず、お前いったい何様?

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我慢が限界に近付いていた。かと言って、つかみどころのない奴にむやみに手を挙げるのも割に合わない。

そんな罰が当たったか、何か月か経って学校の音楽の授業でピアノを弾く先生の周りを囲ってみんなで合唱している最中に、一人のツッパリ系クラスメイトが白仁成信に向かって、消しゴムを細かく砕いたものをあの醜いつら目掛けて何度も繰り返し投げつけたのだ。これで汚らわしい子犬、いや、ドブネズミも、嫌がらせというたちの悪い虫にゆっくり時間をかけて体の内側からじわじわと蝕まれていくこのうえない屈辱感を味わったことだろう。所詮小心者、ただひたすら歌集を使って必死で顔を防御することしかできない今にも泣き出しそうな奴の無様なつらは、見ていてほんとちゃんちゃらおかしく、僕の横にいた友人も「なんだ、あのざまは。」と、二人で顔を見合わせて大笑いしたものだ。

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ツッパリも前々から奴に違和感を抱いていたんだろう。

前回の番長からの締め上げに続き、別のツッパリからの2度目の奇襲を受け、見るも無残な醜態をさらした。

普段いきがってる奴がみっともねぇ~ かっこわりぃ~ バカ丸出し

悪いことをした奴は必ずその報いを受けるという現実をまざまざと目にした瞬間だった。ほんとざまあみろ、いい気味だ

さんざん周囲に対して横柄にふるまってきた極めつけに、ツッパリからの消しゴム大襲撃を受けてなす術もなくてんてこ舞いしてしまうというみっともなさすぎるオチがついて、救いようのない問題児のドブネズミは見事こっぱみじんに砕け散るという、僕らからしてはそれなりの大きな収穫を得て一連の幕を閉じた。

ツッパリからの思いがけない制裁が、これまでの己の言動を慎む特効薬になっただろうと思いきや、その後も相変わらず自分に分がある生徒の前で同じようにふるまっている。懲りない腐れ根性には全く見上げたもんだ

もうここまできたらもはや白仁(しらに)ではない、振り払ってもしつこく忍び寄ってくる「シラミ」という表現がベストマッチだろ。

奴の度重なる見苦しい言動は、ついに学校生活の最後の最後まで続く。

卒業式の当日、卒業色紙に生徒一人一人がお別れの短い一言を書こうと一斉に詰め寄る。その時、白仁(しらに)、いや、シラミが後ろから「邪魔だ。どけよ!」と言い放ちながら体当たりしてきて、卒業を目前に控えた新たな門出にふさわしい一言を決めようと我先にと詰め寄っていく。

そんなシラミが書き残したのが

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お分かりだろうか。向かって右寄りのやや上の位置に「See  you  again 白仁」と書かれてあるのを。

「See  you  again」は厳密には「永遠のお別れ」という意味なのだが、もしこのシラミが「また会う日まで」というつもりでこう書いたのなら、思わず笑えてくる。

てめえみたいな誰からもかまってもらえない空気みたいな存在の価値でしかありえない奴なんかに、卒業後の再会を望んでる同級生なんて誰一人 い・や・し・ね・え・ん・だ・よ。このボケが。

ここまでうぬぼれを見せつけられるとただただあっけにとられるばかり。

立つ鳥跡を濁さずは実行されることなく中学校生活にピリオドを打たれた。

これまでの人生の中でこれほど言動にギャップがあり矛盾だらけの人間は他にいません。ここまでくると、親の教育の仕方にどうしても目を向けざるを得ません。きっと親は相当の変わり者でしょう。悪い意味でこのような極めて特殊性の強い問題児がこの世にいるんだということを多くの人に知ってもらいたく掲載しました。

これと似たような奴がこの世にどのぐらいいるのかなどと考えると、考えている自分がすごくちっぽけに思えてくるので、こんな奴もいたんだと自分の中でひと区切りを付け、もっとましなことに目を向けていこうと思っています。

嘘と見栄で塗り固められた矛盾だらけの人生を引きずりながら、孤独な嫌われドブネズミは今どうやって生きているのだろうか。

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相変わらずのか細い声で、やることなすこと目の敵にするターゲットはみな自分に分がある同級生ばかり。そんなことでしか喜びを知ることができないちっちゃなちっちゃな、そう、まさにシ・ラ・ミみたいなちっちゃなちっちゃな白仁(し・ら・に)が、おっきなおっきな地球上でまともな人間に生まれ変わることができるのか。いや、永遠に無理だろう。

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