『縁食論(えんしょくろん)』を形にできる場所

今日ある本を読み、とても考えさせられたので、シェアしたいと思う。

その本というのが藤原辰史さんが書いた『縁食論(えんしょくろん)~孤食と共食の間~』という本。

藤原さんは、食の思想史などを研究なさっている京都大学の准教授。友人が紹介していたのでこの本を読んだのだが、いや~考えさせられる。

何を考えさせられたかというのと、現代日本における「食」の価値について。

現代は1人孤独に食事をする「孤食」と、みんな仲良く一緒に食べるという「共食」がある。前者は社会的によろしくないものとされてるが、一方で気楽であるというメリットがある。

反対に、後者は他者と一緒に同じ場所で食事を摂るという「空間」の共有をし、どちらかというと心の結びつきも伴う。人が好きな人、出会いを求めている人にとってはいいが、そうでない人にとっては、正直負担である。

この本は、その中間ともいえる「縁食」というものを提案している。

この「縁食」を表しているドキュメンタリー映画がある。60分間、台詞が1つも出てこないこの映画。

『聖者たちの食卓』

これはインドにある寺院の1日を映し出したもの。

この寺院では、1日10万人を超える人が訪れる。礼拝をしに、ではなく、食事を食べに。

この寺院では、無償で10万人へ毎日食事を提供している。宗教、人種、肌の色、性別、年齢。誰も何も聞かないし、誰でも皿を渡し、受け入れる。

寺院の何百人というボランティアが、毎日食事をつくり、食後の皿を洗い、鍋を洗う。

この寺院は、誰でもウェルカムで、ごはんを食べに来ていい場所。友達同士、家族同士でもいい、ひとりで来てもいい。会話をしてもしなくてもいい。おかわりを要求すれば、差し出した手には、必ず食事が盛られる。

ただ、みんなで同じスペースの中で、ごはんを食べる。それだけ。

これが、まさにこの本で書かれた「縁食」。つまり、すべてが「めぐり合わせ」の場所。

このゆるさ、すごくいいいなと個人的に思っていて。日本でこういうことをしようと思うと、どうしても「無償で食べられるんだから、ありがたく思え!」と言う人が出てくる。だから、そこにいる人に無理に話しかけたり、関係性を築こうとしたり、すぐ帰ってしまうのが申し訳ないと、人が苦手なひとが無理やり長居したりする。

でも、この縁食は、そういう気遣いも要らない。思い思いの時間を過ごし、帰りたい時に帰ればいい。

すごく気楽だし、孤独を感じてる人もプレッシャーなく来られる空間だと思う。

私は、アフリカ事業をとっかかりにビジネスをスタートさせましたが、一方で日本国内の貧困の問題や、心の居場所がない人が多いことにもすごく危機感を感じている。だから、今すぐできないかもしれないけど、こういう1人でもフラっと来られる居場所づくりみたいなものも、やりたいと思っている。

そういう意味で、この縁食はすごくいいコンセプトだなぁ、と思っていて。

コミュニティ同士の繋がりが密なアフリカ諸国では不要な考えかもしれないけど、都市部では地方から出てきた人とか、こういう場所あったら有難いですよね。日本では確実にこういう場所必要ですし。

やりたいなぁ、こういうの。

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