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「鬱」と「宇宙」

https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594

↑この漫画がとても良い。
ずーっと下のほうまである。
何人かのFBFさんからまわってきた。

最初、なんの漫画だ?とおもったら、
医者に鬱病と定義された自分から、
たまたま知った「ものの考え方」で、
自分自身で卒業できたおはなし。

それが「アドラー心理学」だった。

アドラー心理学については、
これまでもお勧めとして投稿してきたが、
まず絶対的に、
「嫌われる勇気」(青い本)
「幸せになる勇気」(赤い本)
この二冊がお勧めだ。若者のキレっぷりが極端すぎてめちゃめちゃ面白いために、とても読みやすくなっている。

しかし。
この二冊は、さすがのベストセラーだし読んでうぉ~なるほどなーと思うんだけれども、あとで体型立てて「アドラー心理学ってこんなかんじ」と振り返ったり、人に伝えるには向かない。自分に染み込ませたり、人へのアウトプットの過程で理解を深めるに至らず、
読んで終わる危険性がある。

まぁ物語ゆえ。
アドラー知りたければ「この本読んでみなよ」しかいえないかもしれない。

たとえば箇条書きしてもこんなかんじ。

ーーーー
問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

あなたが変われないでいるのは、自らに対して変わらないという決心をしているからなのです。

関係が壊れることだけを恐れて生きているのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。

トラウマなど、ありません。過去も、ありません。過去は存在はしたけれど、いまのあなたを苦しめるためにいまここにはありません、それを繋げてトラウマとしたいのはあなたです。
ーーーー

これだけ伝えたって、
ああ、間に合ってます、とか、
なんとなくわかる、そっち系ね、的な。

これでは、本質というか、言葉に表しにくいコアな部分がな~んも伝わらない😂

そこで、にわかに盛り上がってきたアドラー心理学をきちんと体型立てて表現したいがために買った本がこれ。

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解釈は人それぞれだし、そもそも心理学そのものが、相当スピリチュアルで非科学的なのだ。
そんなもん、捉え方次第だし、
この本も好き嫌い、合う合わないあるだろう。

が、わたしは好き。
イラストでビジュアルイメージで理解が深まり、ポイントがおさえられる気がする。

たとえば、これ。

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アドラー心理学での、わたしが思う超絶重要ポイント、「共同体感覚」についても、
「家族」→「職場」→・・・「宇宙」
までちゃんともってってる。
ここが、こここそが、心理学とか名のつくもの、それを語るなら絶対的に必要な「スケール」である、大自然、大宇宙。

その次元にいざなえないものならば、
それは学問でもないしその人の助けにもならないただの「一時の気休め」だと思うのだ。

まぁ、アドラー心理学イズ ナンバーワン!
なんてことも言うつもりはないし、別に学ばなくとも、アムラーやシノラーみたく天然アドラーな奴だってたくさんいる。

この手のものが好きで、突き詰めたい、
もっと深みへ、自分のその先へ、
精神性の進化の領域へ、悟りの世界へ、
かといって学問的小難しいのはイヤじゃ、
ってことならば、

わたしなら
エックハルト・トール「ニュー・アース」を絶対的にお勧めしたい。

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わたしはこれで、
アタマがパッカーンなりました。🤯

もう、過去のペインボディこね繰り返してた自分に完全に「もどれなくなった」。
たったの350ページ、2000円程度で。

セミナーやら医者なんか行く必要ない。
いま苦しんでいて、行動を起こすきっかけとして程度なら良いが、他人や誰かのまとめたメソッド、処方されたクスリが助けてくれるわけじゃない。断じて、ナイ。

結局、自分をトランスフォームさせることができるのは、自分でしかないのだ。

それを、この漫画もよーく現してくれている。

https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594

※最後にちょっとわたしのバックヤードを。
わたしも日本で人に語れば引かれるほど苛められまくり、気付いたらマンションから落ちてたが無傷だった過去がある。
でも、あれで強くなれたとも思わないし、トラウマが残ってるとも思わない。

また、変に、「苛められたお陰で人の気持ちがわかる優しい人間になれた」なんてことも思わない。そうなのかもしれないが、そんなもん、いじめられなかったほうが当然楽しかっただろうし、たった一人の友達らしき子も最後はわたしを突き放した、あの孤独感の闇、深い闇。
失語症的なのも本当に辛かった。あんな経験、あんなもの、無いに越したことない。
苛めから成長した、なんて、都合良く苛めの存在を認めることになる。苛めは絶対悪。
だから、苛めで強くなったなど、自分の本音への虐待なのだ。

が。
大人になってからもその苛められた小学校のある町に行ったら頭痛と吐き気がしていたのが、あるときから全く普通に行けるようになった。
それはそれで、事実だ。

どうして?理由はわからない。
こじつけたくもない。いきなり、行けるようになった。懐かしめるようになった。
おかしなもんだ。解放感に包まれた。

こんなプライペートなはなしも、隠しもしないし出し惜しみもしない。
がんじがらめに自分を縛り付けている苦しさから誰かが解放されるなら、いくらでも書くし、話す。

だって、精神が解放されたほうが、地球は輝き、宇宙は喜ぶのだ。

問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部でありたいと思っています。