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Thinking Error「認知の歪み」

Thinking Error「認知の歪み」
~14タイプの危険な思考パターン~

感銘を受けたブログ、引用メモとその時の気持ちを残しとこう。

とてもわかりやすい言語化。

わたし流にこれを一言でまとめるなら、

「二元論思考で"決め付け”という楽な道を選択し続ける思考パターンによる他者批判、自己肯定を繰り返さざるを得なくなり結果的に自分を苦しめてゆくことになる生き方への戒め」

ってとこかな。

※パターンとは、個人においては習慣(habit)。
思考と習慣は重要なペアだ。思考も習慣もリズム合わせながら変えなければ行動(人生)は変えられない。

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https://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12654885051.html
私たちの置かれた状況は、それだけで私たちの人生を決定はしません。人生で何が起きようとも、それに対する態度(考え)を決めるのはいつも私たち自身です。

大きな問題を抱えながらも希望を持ち続けている人がいる一方で、足の指先をぶつけただけで一日中不機嫌なままの人もいますが、その違いはどこから生まれてくるのでしょう。

その答えは、その人の考え方のパターン(癖)の中にあります。


人が現実を認識する際、現実を大きく歪めるほど、不合理的に増幅させるフィルターで見ている場合があります。心理学者らはこれを「認知の歪み」という言葉で説明しています。

「考え方の癖」のようになっているため、その思考を持つ人自身がその癖を変えることができるということを知らない人がほとんどでしょう。単にそれが普通だと信じて成長している人も多くいます。

しかしこういった認知の歪みは、精神的な状態に深刻なダメージを与えることがあり、ストレスやうつ病、不安症の悪化の原因となります。意識的にならずに放置すると、こういった自動的な感が方のパターンが定着し、自分で物事を決定する際に必要となる、合理的かつ論理的な思考に悪影響をもたらす可能性があります。

あなたのリアリティ(現実)の受け入れ方(認識の仕方)をすでに歪めている可能性がある、一般的な認知の歪みのいくつかをここにまとめました。メンタルヘルスを改善したい方は、こういった認知の歪みをまず確認することも手助けになるでしょう。

1. 「白か黒か」という考え方(二元論)

これは二つに強く分かれた思考パターンで、この考え方の人は通常、そのどちらか、または両極の観点から物事を見ています。

何が善で悪か、何が正しくて何が間違っているか。あるいは0か100か、などのように。
こういった白黒はっきりした考え方では、ほとんどの場合に、白と黒の間に様々なグレーの色合いが存在していることを認識できません。

人物や物事、できごとなどに対し、2つの極端な側面、または結果しか見ないため、その中間にある、おそらくはより合理的な見方を無視しています。

2. なんでも自分に関連づける(自己関連づけ)

何でも起きたことを自分と関連付けて考える癖を持つ人がいます。他の人の行動は、自分の言動や態度が原因であると考えるタイプの人です。

自分がコントロールできない外部の状況に対してまで、自分が原因だと自分を責めるている場合、この考え方の癖がベースになっているかもしれません。


3. 「すべき」思考

「あるべき、するべき(should)」または「しなければならない(must)」などと考えている場合のほとんどは、認知の歪みに関連しています。こういった考え方から、罪悪感や恥という感情が生まれます。

また「すべき」の主体が、自分だけではなく他の人に向けられる場合もあります。例えば「あの人はもっと早く私に電話するべきだった」や「彼女を助けてあげたのだから、私に感謝するべきだ」などです。

こういった考え方が強い場合、他人に向けられた、自分の現実的でない期待をその人が満たさない時には欲求不満や怒り、不快感を感じることになります。

どれだけ強く願ったところで、他人の言動をコントロールすることはできないので、他人がどう行動するべきかと考えることは健康的とはいえません。


4. ささいな出来事を大惨事のように受け止める

ちょっとした不愉快なできごとがあった時に、それを最悪の結果だと認識する考え方です。

この考え方の人は、例えばテストで一度失敗した時に、そのままコース全体に失敗するだろうという考えに至ります。
またはまだテストを受けてもいないのに、すでに失敗するだろうと信じることも。この場合は最悪の結果を予測、つまり事前に破滅的な結果になると考えてることになります。


5.拡大解釈・過小解釈

これは3の破滅的な考え方ほどではありませんが、バランスを欠くほどに物事を誇張・過小解釈する認知の歪みです。

「モグラの穴が山であるかのように大騒ぎする」という昔ながらの表現がありますが、これを実地で行くのがこの考え方です。

ネガティブなことを拡大解釈しがちな人はまた、ポジティブなできごとを過小解釈する傾向があります。この二つの歪みは時として、お互いに関連しあって起きるようです。


6. すぐに結論に飛びつく

根拠もなく、誰にも分からないような将来を決めつけ、あるいは他の人の何気ない言動からその人の考えていることを決めつけてしまう思考パターン。

偶然やその他の原因などの他の可能性を考慮せず、自分の頭の中だけで確信してしまうことが多いと、他の人との関係に悪影響がでることもあります。

たとえば他人の考えがわかると思い込み、外部からの確認情報がないのにもかかわらず、自分の推測が正しいと思い込んでしまいがちです。

7. 一般化のしすぎ(まとめすぎ)
「一般化」とはさまざまな事物に共通する性質を抽象し、一つの概念にまとめることです。

現実には複雑すぎて一般化してまとめることができないようなことでも、一般化をしすぎる傾向のある人は一つか二つなどわずかな事実に基づいて結論を出すことがあります。

一般化をしすぎる人は、「いつでも」「絶対に~しない」「みんなが」「すべてが」などという言葉をよく遣い、ごく一部でみられた「法則」が常に該当するように話しがちです。

8. 心のフィルター:「ポジティブなことはなかったことに」

これは1番の「白か黒か」の考え方の極端な例の一つで、選択的抽象化とも言われます。

業績やできごと、経験などにおいてポジティブな情報を差し引いて、ネガティブな面だけを受け入れる考え方の癖です。

こういった考え方の人は、誉め言葉やポジティブな励ましを無視する傾向があります。

たとえば学校や職場での課題に対する評価に対し、ポジティブな評価は軽視して、批判的なコメントばかりに意識を集中させるなど。

9. レッテル貼り

一度二度の偶然、あるいは外的な原因で起きたできごとや経験から、人や物事にレッテルを貼り付ける癖で、一般化のし過ぎの深刻なケースです。

このタイプの人は、ただの偶然や間違いだったかもしれないとは考えず、自分自身に対しても出来損ないだと自動的にレッテルを貼り付ける場合もよくあります。

10. 自分以外を批判してばかり

これは2番の「なんでも自分に関連づける」のとは反対のケースです。

すべての事象が自分の責任だと感じるのではなく、批判をすべて自分以外の他人やものに向ける癖です。

11. 感情を根拠に判断する

このタイプの人は、自分が感じていることこそが現実だと勘違いします。

たとえば自分が怖いと感じる場合には本物の危険があるに違いないと考え、あるいは自分が愚かだと考える場合には、それが絶対に正しいというように。

この考え方の癖が深刻なものになると、強迫神経症として現れる場合もあります。たとえば、過去1時間の間に2回もシャワーをしているのに、まだ自分が汚いと感じるなどです。

12. 自分はいつでも「正しい」

自分の意見こそが「事実」であると頭で理解し、議論や話し合いの場で他の人の感情を考慮しないタイプの人は、この考え方に陥っているかもしれません。

こういった認知の歪みを抱えたままだと、他の人たちと健康的な人間関係を築き、維持することは難しくなるでしょう。

13. 自分に都合のよい偏見(自己奉仕バイアス)

よいできごとがあった場合はすべて、自分の性格・性質のおかげだと考え、一方であらゆるネガティブなできごとが起きた場合は自分にはどうしようもない、と考える癖は自己奉仕バイアスと呼ばれます。

この考え方が強い場合、自分の過ちや欠点を受け入れることができなくなり、自分のすることはすべて正しいという歪んだ現実の中に生きていることになります。

14. 自分が幸せになるには他人の変化が必要?

自分が幸せになるためには、他の人が行動を変える必要があると考える認知の歪みです。

たとえば、あなたのスケジュールに合うようにするため他の人がスケジュールを変えなければならないと考え、あるいは自分が嫌いだからといって恋人に着ているTシャツを変えるように求めるため、自己中心的だと考えられることが一般的です。

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わかるわー😂
いるよね~こういうひと~😅
ほんと、勘弁して欲しいわ~😫
・・・

と、感じた人は、10番、12番、14番あたりの認知の歪みに気を付けた方がいいわけだ😅

しかしまぁ、ほんとに、SNSなどでも、
「勘弁してくれ」と感じるひとはいるわな。

わたし的な「勘弁してくれ」タイプはざっくり二種類かな。

まず、
会ったことはもちろん、本人と会話したこともなく、直接被害を受けたわけでもないのに、誰かを批判する人。妄想が過ぎる。
飲み屋での酒のつまみならまだ良いとおもうが、他国の民族性についてや(友達いるのかよ)、政治家など有名人の批判(知り合いでもないのに過去の行いからレッテル貼り)、
こういった思考はもう、上記「認知の歪み」すべてに該当しちゃうほどであり、いずれ自分を苦しめることになろう。

あともうひとつの勘弁してくれ族としては、
「普通」「常識」「あたりまえ」という言葉使う人。それ、アナタの色眼鏡でみた「普通」でしかないし、的な。
これらは、思考の歪み以前に稚拙なコミュニケーションであり、会話にならない。
これらの言葉は、会話で簡単にマウントを取れるズルい言葉。(ってことすらわかってない)
建設的な会話のなかで使う必要が全くない。
相手を力付くでやり込めるための爆竹みたいな言葉で、たいていこの手の人は言い放ってからそのうち「アホ」「バカ」などの、お前の母ちゃんデベソ的ワードを言葉を並べ、無理やりその場から距離をおく。
距離をおくのはもちろん、「普通」「常識」「あたりまえ」ではないことを論理的にファクトを並べられたら論破されて終わりだと心の奥で察知してるからだ。

こういった人々は、真っ正面から論破しようとしない方が良いと感じる。
どうせスッキリもしないし、
相手はますます袋小路に入りこわばるし、
論破された感情によって、生きにくくなる。
そして精神的な状態に深刻なダメージを与えることがあり、ストレスやうつ病、不安症の悪化の原因となり、自分自身や社会にたいしてますます愛を持てなくなってしまう。

かといって正直・・・
付き合うのもメンドクサイ😂

でもな。
人類にそんな思考の歪みから自分を苦しめるひとが増えれば増えるほど、愛と平和の社会は遠ざかるのだ。

平和を唱えながら、
考え方が合わないなんて小さな理由で関係性を切り捨てれば、世界平和を遠ざけている元凶の一部といっても過言ではないと、わたし自身はおもっている。
わかりあうため、集団知性を磨き成長するためにSNSやってんでしょ的な。

となると、
まぁ、
相手の言ってることわかろうがわかるまいが、
「ああ、そんな風に考えてるのね!」
納得はできないけど、
「それはそれでおもしろい考え方だ、もっと聞かせてよ!」
ってくらいの、
「相互理解への努力」はしたほうがいいのだろうな、と、おもっている。

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