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映画「プリシラ」、ミュージシャンの妻や恋人という存在について考えてしまう

ソフィ コッポラの映画「プリシラ」をあまり期待しないで見た。
プリシラとは、あのエルビス プレスリーの元妻として有名だった人。
私の前知識はそれだけ。エルビス プレスリーの伝記映画も見た記憶があるけど彼方遠く、そこにプリシラがいたのかさえ思い出せない。記憶力のなさは前から安定、悪い!(汗)まぁ私の記憶力のなさは置いておいて、で、どういう映画なのかというと、これもまた伝記映画なのだ。

元妻プリシラが1985年に発表した回想録「私のエルヴィス」をベースに、世界的スターと恋に落ちた少女の波乱の日々を描いている。エルビスと知り合った14歳の時から、結婚、そして離婚に至る20代後半までの日々。

そして、私が思うのは、まさにこの最後の部分、エルビスに別れを告げる彼女……。これこそがソフィア コッポラが伝えたかったことで、題材にこの伝記を選んだのではないかと思う。そう、無垢な一人の少女が、鳥籠を出る。自立である! 

うーん、ソフィア・コッポラ自身にも興味があるなぁ。


ソフィア コッボラ、最高な映画センス



この映画も恐ろしくソフィア コッポラらしいガールズ系のファッションや小道具が散りばまれている。最近、色々な映画の見過ぎで頭がかなり疲れてきていている私には、この彼女のチョイスのフランス出身のロックバンド「フェニックス」の映画音楽の中で、60年から70年台のファッション、美術をじっくり堪能。少し癒されたうえ楽しめた。

主人公のケイリー スピーニーの演技は、2023年・第80回ベネチア国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。
小さな彼女がプレスリー好みに染まり変わりゆく様子、そして、自らをまた取り戻す様子。
その様子がコスチュームやヘアスタイル、メイクだけでもはっきりわかるのが最高である。もしこれがサイレンス映画であったとしても、おそらく意味が通じる映画である。

あまりにこの衣装やヘアのせいなのかわからないけど、本当に、小さい人、子供のように見える。まるで4頭身。西欧人でここまで幼児的に見えるのは珍しいと思う。

演技も良かったけれど、観客を魅了したのが、コスチュームデザイナー、ステイシー・バタットのファッションセンス。
この方の功績は大きい。何せ、上でも言ったように主役がとても幼児的に見える。美術も良かった!
ちなみに、ソフィア コッポラ監督の、ファッションセンスを見ることがあるけど、日常着はなかなか小粋。

彼好みの髪型にするプリシラー(似合わないぞー)


extra|最近見た音楽家の伝記映画での女性たち


レオナード バーンスタインの映画「マエストロ」。


こちらは、ウエストサイド物語の音楽でも知られた作曲家の巨匠だ。もちろん指揮者としても有名。
この映画は、バーンスタインと、女優・ピアニストのフェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインが共に生きた日々を描いていると、色々なところに書かれていたし、確かにその通りだけれど、
彼の秘密の部分、ゲイであること、それがベースにあるせいか、ここでの男女関係は、なんだか少しわからなくなる。
彼女が優しいから続いている関係。
昔の男女関係なのだ。彼女が女優として有名であっても。私にはあんまり彼女が幸せには見えなかった。

そう、時代のバックグランドもあるが、二人ともユダヤ系の出身ということもあり、幼馴染のような穏やかな愛が二人の間にはあり、それは彼の音楽への情熱とは不一致。
あの自然に囲まれた素晴らしい王国のような彼の家は、優しさでいっぱいの妻と、家族の力によって支えられてはいたけれど、、、。
とにかくあまり共感が私に入ってこない。先にも言ったようになんだか昔の男女関係を感じさせるからかも? とにかくモヤモヤ。

そして、「マエストロ」を見た後に思い出したのは、

クイーンズの映画、「ボヘミアン ラプソディ」



あれも、フレディがゲイで、愛する女性は常に同じ方だったことがバーンスタインと同じ。

おそらく身体的には男性を求めるけれど、精神的には女性がベストフレンドなのだ。

ただ、女性の方が違う。
バーンスタインの奥さんが秘密を知っていても結婚したのと違い、フレディのマリアは、他で家族を作る。フレディが彼女との間だったら家族になれたと後で言ってるのを読むと、う〜むと思ってしまった。フレディ、そこまで好きだったのね。でも、それって、恋人として、それともママとして?
女性の生き方の差もあるだろうし。フェミニ観点で言えば、マリアはフェリシアに比べて利口だったのか? あるいはそれは階級によるものなのか? あるいは国の違いか?

音楽家はバイセクシャルの人が多いが……

私の人生体験によると音楽家はバイセクシャルが多い!

おそらく、そしてその人の気持ちの起伏も激しい感情表現が他の人たちより数段、いやめちゃくちゃ高いので、当たり前である。

天へ届くようなスーパーラブが体に入り、それを溢れさせているのであろう。
そういうエモーションがあるから人を感動させるものを作り出せるのではないだろうか。
溢れ出す愛は、男女問わず相手を魅了するし、自分自身でもみなさんわかってるように、そのままそのままにしておいたらダメなのだ。(そこがAIには難しいところ)

自分観察:私は音楽家のパートナーになれるのか?


自分を観察すると、音楽家の妻、恋人には絶対なれないタイプだと思う。

それにしても、音楽家は愛情深い人が多く、別れたり離婚した後も繋がっていたり、仲良くやれる人が多いのも特徴。人との関係を切らない。

ある音楽家の友人がコロナの頃に離婚が決まり、その後、今でもよくわからないまま死んでしまったが、(自死なのか、殺されたのかコロナの時期で分からず。無検証)

きっと彼女は、ドライな形の離婚を望んでなかったんだと、今ではわかる

おそらく、気持ちの凹み方が、鬱どころではないのだと思う。落ちたら、死ぬのかもしれない・気持ちが落ちていたのでそのまま死んでしまったのかもしれない。

一般的にも、自死なのか、クスリのやりすぎなのかわからないまま、亡くなるミュージシャンが世界中で多いのは、そういう性質だから……。

ステージで人々を大興奮をさせてくれるような力強い、音楽を奏でてくれるミュージシャン! でもそこには人間としての全ての情感が他の人より強いが、彼らには他の人にある、仕組みがない。

嫌なことがあってもそれを深掘りしないよう、普通の人々は、感情を殺す。AI化するその仕組み。それが彼らにはない。一歳ない。

流石にコッポラの娘とつい呟いてしまう


ソフィア コッポラの映画を見ると、つい考えてしまうのが、このタイトル通り「さすがコッポラの娘」と。

その人の努力というのもあるだろうけど、の才能というのが絶対にあるのかも? 努力だけではこれほど自分スタイルの映画を見事に始めから作り人を唸らせることはできない。

いや、もしかしたら小さい頃から映画の現場に立ち寄っていたその経験がなす技と考える方がいいのかもしれないのか? 

何にしても「プリシラ」、難しい映画が多いなか、単純に楽しめた。
見てない人は是非。 







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