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今こそアヒンサーという旗をかかげろとは、幻想なのか?

今頃になって、死んだじいちゃんの事を思い出している。
じいちゃんと言っても、自分自身もじいちゃんになりかけているのだから、もうずいぶん、昔の事だ。

父方のじいちゃんは、私が中学生の時に死んだし、一緒に暮らしていたわけでもないから、特に際立つ思い出があるわけではない。
ただ、このじいちゃん、会うたびに、誰かに似ている、と子供心にいつも思っていた。
 
じいちゃんは根っからの百姓で、決して豊かな暮らしはしていなかったけれど、それでも父を含む七人の子を育てた。

父は高等小学校を卒業すると、田舎を離れ町に出て、炭鉱や工場で働いた。
結婚して子供を持ち、裕福ではないが、慎ましやかな家庭を持った。住む家は六畳一間のアパートか炭鉱住宅だった。
つまり私はそういう中で育ったのである。
 
時折、私たちの住む家を、じいちゃんが訪れた。
およそ20キロ離れた田舎から野菜やお米を携えて、自転車で来た!
今どきの、サイクリング車なんかではなく、運搬車と呼ばれるやつだ。
今思えば、うちだけではなく、他の子どもたちの所にもそうしていたに違いない。

子供の頃、恥ずかしがりだった私は、母の背中に甘えながら、くつろいで上半身裸になって、汗を拭きながら、何処かで買ってきた新聞を読んでいるじいちゃんを見ていた。
じいちゃんは私を特に可愛がるというわけでもなく、それでいて、目が合うとにっこり笑った。そして、禿げ上がった頭をごしごしと手のひらで触りながら、照れたように、また笑った。

じいちゃんの葬儀に私は親と一緒には行かなかった。
その頃中学生の私は気難しい思春期を迎えていて、家に閉じこもりがちだったのだ。
それでも叔父に説得されて、田舎のじいちゃんの家に行くと、先に来ていた父と目が合った。
父は私を認めると、何とも言いようのない憔悴しきった苦笑いを浮かべた。父のそんな顔を見たのは初めてだった。
親が死ぬのは、人が死ぬのは、そんなにも悲しいんだ、と、その時思った。

じいちゃんが誰に似ているのか、もう小学校の高学年になれば分かっていた。
禿げた頭に丸眼鏡、きっと暑い時期以外にも会っているはずなのに、何故かいつも上半身裸でしかもアバラの浮いた痩せたその姿はまさに、ガンジーだった。

アヒンサーとは、古代インドを起源するさまざまな宗教においての重要な教義である。
アは否定。ヒンサーは害する、という意味。だから、「不傷害」となる。
仏教の言葉では、「不殺生」

すなわち釈尊の言葉にすれば、「自分が他の生き物を傷つけてはいけない。殺してもいけない。他人をして傷つけたり、殺さしめてはいけない。また他人が他者を傷つけたり、殺すのを認めてはいけない」と厳粛なものになる。

インド独立の父、マハトマ・ガンジーはその精神を「非暴力、不服従」という言葉にして行動をおこした。
ガンジーが独立運動を始めた頃のインド人はイギリスから搾取され、迫害されていた。
相手は圧倒的な軍事力を持っていた。それに抵抗して、インド人が武器を持ち、爆弾を使えば、人をあやめ、今自分たちを迫害しているイギリス人と同じ罪を犯すことになる。だからガンジーはそうしなかった。徹底的なアヒンサーで立ち向かった。

有名な話だから、簡単に記すが、イギリスの物を買わない不買運動。そのかわりに昔のように自分たちで糸車を廻して織物工業を復興させた。
塩も自分たちで作るようにした。
身近で安価な動物であった山羊の飼育を勧め、その乳を飲んだ。
要するに、昔インドの人々がしていた、裕福ではないが無駄なものは省き、他者を傷つけず人間らしく生きる生き方に戻していったのである。

果たせるかな、インドはイギリスから独立を勝ち取り、ガンジーは今もインドでは尊敬を集めている。

ただこの成功が他の要因に寄ることも確かであり、たとえばその時、イギリスが日本との戦いで軍事力が落ちていて、合理主義的にインドに独立を与えたほうが都合がよいと考えたからでもあるだろうし、非暴力の運動が簡単に成功するとも思えない。

東ヨーロッパのハンガリーで民主化運動がおきた時、近くの共産主義の大国が多数の戦車であっという間に粉砕してしまった。そういう事実もある。

現にガンジー自身も後に凶弾という暴力によって命を落としている。
だがその事実を悲劇的なアイロニーなどと決して言うまい。

考えるに、ガンジーがなした偉大な尊さは、ただ一点、アヒンサーという旗を頭上高く、掲げたことにあるのではないだろうか?  

その崇高な理想はやがてグローバルな意味を持ち、アメリカではキング牧師に受け継がれ、黒人の地位向上に寄与した。

今ウクライナで行われていること、ガザ地区で行われていること。

祖父が殺され、父が殺され、いたいけな子が殺され、絆を絶ち切られ、人間の人間らしい想いや尊さを感じることもなく、生命を失っていく。

それが今まさに続いている。

一夜にして何万発のミサイルが飛び、核が全てを瓦礫にしてしまう現代では、アヒンサーという旗を掲げることは、幻想に過ぎないのか?
それでも何かを頭上高くかかげていないと、私たちは何もできない。


その無力さのなかで、茫然として、煩悶する日々である。

今頃になって、ガンジーによく似た死んだじいちゃんの事を考えている。
貧しかったじいちゃんは私に何かをくれただろうか?
いや、特別な何かとかではない。
少なくとも慈愛に満ちたあの微笑。
それだけで十分だ。
父を通して、その優しさが、私にも受継がれているなら、それはそれで、うれしい。










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