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山口昌男『学問の春 〈知と遊び〉の10講義』

8月に文化人類学者・山口昌男の著書が文庫化されました。それも講談社学術文庫『アフリカ史』と中公文庫『本の神話学 増補新版』の2冊です。
これをもって「山口昌男ルネッサンスが始まった!」とするのは早計にすぎるでしょうが、私にとっては、本書を読み直すきっかけになりました。

本書の基となったのは1997年の春に札幌大学文化学部で行われた講義です。ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』を取り上げて、比較文化の方法について語るというものですが、話題は山口自身のフィールドワークの体験談や、オランダのライデン学派、世界の神話の比較などと目まぐるしく飛び交うので、体系的に『ホモ・ルーデンス』を学ぼうと思って本書を手に取った人は、最初はいささか戸惑うものと思われます。

しかし、それこそが山口の方法であることが第4講「雑学とイリュージョン」で明かされます。
山口自身の言葉を引用しましょう。

「…複雑とか混沌とか、そういった発想を積極的に取りこんで新しい方向に展開する学問の方向が、かなり一般化しつつあるといえる。
だからこの講義でも、自分が予測しない方向に話がいっているからといって、それに対して拒絶反応しない方がよろしいんしゃないか。雑なるものの方が雑でないものに対して創造的な力をもっているということが、だんだんと理解されるようになっている」。

山口の理論の柱となるのは道化=トリックスターですが、上述の言葉を読むと、山口自身がまさに境界を自在に往還し、硬直化した知性を活性化させる、トリックスター的存在であろうとしていたことがよく分かるのではないでしょうか。

さらに、今の私たちとって重要だと思われる提言は第七講で語られる「文化は危機に直面する技術」という言葉です。
「要するに人間が危機に陥るということの意味を考えたとき、いろんな次元があるわけです。危機っていうのは、危険なことがどこかから降ってわいたから危機なのではなくて、一貫性や体系性を備えているようなふりをしている組織や制度が、潜在的にすでに抱えている危機が表面化するということなんです。
(中略)しかしながら、その危機に直面する技術をつねに養っておく。技術ということが重要なので、文化はそういう危機に直面することを助ける、まあ制度とはいわない、もっと広い創造的な仕掛けであるということができる。

「あえて危機を引き起こすような動機が文化の中に潜んでいて行動の源泉になる。まさにそこが、未知の新しい現実が起こってきたときにそれを乗り越える技術を個々人が学ぶ場であって、それが文化であるということになる。」

編者によって丹念な「講義ノート」も添えられている本書は、山口昌男の世界への格好の入門書であるだけではなく、今なお文化を、世界を考えさせる示唆に富んだ一冊です。

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