栗本慎一郎・小松和彦「経済の誕生 富と異人のフォークロア」

経済人類学者・栗本慎一郎さんと民俗学者・小松和彦さんが人間の本質的な営みとしての「経済」について、日本の絵巻ものや民族譚を素材に縦横無尽に語り合った対談集です。

最近よく「経済を回す」という表現が目につきます。単純化していうと、「富」を「貨幣」を媒介にして「交換」するもいうことになりますが、はたしてそのとき回っていくのは通貨としての貨幣だけなのでしょうか。

そうではなく、経済活動というのはもっと広い意味でとらえなくてはならないのだ、ということがこの対談ではくり返し説かれます。

例えば「富」という言葉について、小松さんはこう説明します。
「共同体の人びとがよいものだと思っているものは、すべて『富』なんですよ。食物、衣服、住居、道具といった具体的なものから、友情、愛情、健康、天気など、すべてここで私たちが考える『富』に入る」

また、「交換」について栗本さんは「社会でふたつの共同体、あるいはふたつの文化が何かを交換するというときに、精神的かどうかは知らないが、象徴的な欠損状態が生まれて、その欠損状態を補完してくれることも交換行為の中に含めているわけだ。べつに実際にお金もってきたり、モノをもってきたりして埋めているとはかぎらないわけだ。何か不秩序が起きる。(中略)それをなだめてくれる、あるいは鎮魂してくれる、補填してくれるというようなことも含めて『交換』といっているわけです」と語ります。

さらに「貨幣」についても「さっきいった共同体の生存を象徴するような『富』が貨幣に転化する。その過程はたとえば穢れを祓い落すというような祓い落としの手段、経済学的にいえば、支払いの手段というふうにまず転化してくるものです」と説いているのです。
これだけでもこの対談において「経済」が意味するところが思い切り拡張されているのが分かるのではないでしょうか。

上に引用したところだけ読むと堅苦しく感じるかもしれませんが、こうした認識を踏まえ、「里に住む長者の米俵がいっぱいつまった倉が、山から飛来する鉢をおろそかに扱ったため奪い去られてしまう」といった説話や、「醜い童が黄金などの富をもたらす」といった昔話を解き明かしていくさまはいまだに刺激的に読めます。

会話はさらに広がりをみせ「呪い」や「憑物」、タブーの考察、国家と他界の関係などが矢継ぎ早に論じられます。はては「私も、だから経済とは憑きものであると確信している」なんていう発言が飛び出すに至るのです。

対談当時、栗本さんは41歳、小松さんは35歳。学者として盛りを迎えようとした時期に実現したことが、この本全体に活気をもたらしていて、読者にも活力を与えてくれる対談となっています。

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